9 素直
始業式から一週間以上が経過したが、浅賀フィーバーは止まらなかった。最初はクラス内だけで留まっていたこの波は徐々に学年、学校と波及していき、今では休み時間のたびに他学年の生徒まで集まってきていた。
中でも熱心に来る集団があった。
「浅賀先輩! お願いします!」
「「お願いします!!」」
丸坊主の集団がイケメンに頭を下げる図がそこにはあった。こいつらは休み時間にまで何をしに来ているのだろう。
浅賀は「いいよ」と笑って彼らの願いを聞き入れている。その事に、また坊主の集団が頭を下げる。
「……ほんと、何してんだか」
「そうだね~。もっと素直になればいいのにね」
もみじの独り言に一華が反応する。しかし、それはもみじの独り言に反応したにしては、少し内容がおかしい。
「……何のこと?」
もみじは訳が分からずそう聞き返す。すると一華は「別に~」と一言返すだけでその話の続きを話そうとはしない。何となくだが、もみじに対して何か言おうとしているような気がした。
「あ、齋藤先輩!!」
放課後、鞄を持って教室を出ると急に声をかけられる。声のする方に視線を向けると、見慣れた坊主頭の後輩が立っていた。もみじよりは十センチほど背が高いが、少し頼りなさそうな印象を覚えるその後輩は、もみじを見つけて近寄ってくる。
「……輪島か。どうしたの?」
「いえ、特に用はないんですけど……。最近、練習来てくれないなと思って」
「あー」
確かに、最近後輩の練習に付き合っていない。彼らの代なのにもみじ達3年生が未練がましく練習に参加するのは良くないと思っての事だったが、少しくらいなら顔を出してもいいかもしれない。
「……今度、藤田たちと行くから」
「ほんとですか!? ありがとうございます!!」
もみじの言葉に輪島は嬉しそうに笑う。輪島は2年で野球部のキャプテンだ。本当はもう少し先輩らしく威厳を持ってもらいたいところだが。可愛い後輩からの頼みだし、今度少し顔を出すとしよう。
「――で、なんであいつが居るの?」
もみじは、週末に藤田と石垣の3人で学校のグラウンドに顔を出した。すると、ユニフォームを着てバッティングピッチャーをしている浅賀の姿があった。
確かに今週、学校でそんなやり取りはあった。しかし、なぜ日にちまで被るのか。もみじは何か作為めいた物を感じ取り、藤田の方を見る。すると、吹けもしない口笛を吹いている藤田の姿が目に入る。
これは……間違いない。藤田は分かっていて言わなかったのだ。
「――藤田」
もみじは真顔で藤田の方を見る。すると、藤田は「ぎくっ」と擬音が聞こえてきそうなほど肩をびくつかせる。
「え、いや~、ははは~」
藤田は笑っている。そう、ただ笑って。
「……はぁ。ほら、さっさとアップ始めるよ」
もみじはそんな藤田を見て、少しあきれ顔を作りながらそう促す。藤田との付き合いは長い。こういう奴だという事は前々から分かっていたことだ。
それに、藤田は本当に人の嫌がることはしない。……多分。
もみじ達はグラウンドを大きく2周してから、簡単なストレッチをこなしてから三角になってキャッチボールを始める。引退して1か月ほどしか経っていないが、少し体が重く感じた。
そして、念入りにキャッチボールを終えると、練習をしている後輩たちに合流する。丁度ノックを受けている所だ。
しかし、もみじ達はぱっと見ただけで違いに気が付く。
「――上手くなってるな」
石垣がそう呟く。しかし、それはもみじ達3人が皆思ったことだった。
後輩たちの守備が、以前とは比べ物にならないほど上達していた。どれだけ言っても腰を下げて捕球体勢を作れなかった後藤も今では理想的な捕球体勢で打球を呼び込めているし、ハンドリング(捕球時のグローブを持つ手の動き)が下手だった新垣も、難しいバウンドの送球を難なく捕っている。
彼らは、もはや別人のように成長していた。
理由は簡単。浅賀だ。
「……本当、凄いヤツだぜ」
藤田は珍しく真剣な表情でそう言う。その言葉は、もみじの頭の中で反駁していた。
練習は18時ごろに終了となった。
まだ残暑が残る季節であったため、まだ日は落ちていない。ただ、2年生たちは朝から練習をしているという事なので、かなり長時間の練習と言えるだろう。しかし、彼らの顔にはしんどさよりも達成感の方が色濃く映し出されている。
「「お疲れ様でした!」」
もみじたち4人は彼らよりも先にグラウンドを出る。後方から野球部の後輩たちの挨拶の声が聞こえたので小さく手を振って応える。
「俺、コンビニ寄ってくぜ」
「あー、俺も寄る」
そう言って石垣と藤田はコンビニの方に歩いていく。
「……あんたは行かないの?」
その場に立ち尽くしていた浅賀にそう尋ねる。しかし、浅賀は首を横に振る。
「俺はいいよ。もうそろそろ夕食時だし。齋藤さんこそ行かないの?」
「私は――」
鞄から財布を取り出して中を見る。茶色の硬貨が2枚、財布の中で躍動する。紙の方が無いのは分かり切ったこと。
「……お金ないの?」
もみじの様子を見て、浅賀はそう尋ねてくる。
「うるさいなー、今月はちょっとお金が入り用だったの!」
「ふーん」
そう言って浅賀は目を細めてこちらを見る。何となく馬鹿にされている気がして仕方がない。
もみじと浅賀は帰路につく。仕方がない、家が同じ方向なのだから。
もみじは隣を歩く浅賀をチラッと見る。健康的に焼けてはいるが、石垣たちと比べると黒くはない。シニアは坊主が強制ではないのか髪もある。長くはないが。
そして大きめのエナメルのバッグを左肩に担ぎ、もみじと同じペースで歩いている。
「……いつから練習に参加してたの?」
もみじは浅賀から視線を外して、進行方向を見ながらそう尋ねる。
視界の隅で浅賀がこちらを見ていることが分かる。
「一昨日から」
一昨日。つまり、坊主集団(野球部の後輩)に囲まれていた日だ。本当に、気前のいいことだ。
浅賀はシニア経験者である。彼は、普段から硬球を使って野球をしているのだ。
それに対して安岡中野球部は軟式。つまり、浅賀はわざわざ軟球を投げてバッティングピッチャーなどをこなしているのだ。
硬球と軟球は全く違う。重さも違えば大きさだって違う。そんなボールを投げていれば、指先の感覚が狂ってしまいかねない。そんな悪影響があるのに、浅賀は練習を手伝っているという。
馬鹿なのか、底なしのお人よしか。
もみじ達は黙ったまま歩いている。すると、浅賀と別れる道に辿り着いた。
「じゃあ、俺こっちだから」
そう言って浅賀はこちらに小さく手を振る。
「ねぇ!」
もみじは浅賀を呼び止める。浅賀は不思議そうにもみじを見る。正直、もみじ自身も何故呼び止めたのか分からない。しかし、勝手に口が動く。
「あんた、神ケ谷高校にしなよ。進学先」
もみじはそう口に出していた。浅賀はもみじの表情を伺いながら、少し怪訝な表情を浮かべる。
「……何で?」
もっともな問いかけだ。どうして急にそのような事を言ってくるのか、浅賀には全く見当がつかなかった。もみじは一旦閉じた口を開く。
「――その方が、双葉が喜ぶから」
我ながら何を言っているのか分からない。ぱっと浅賀の方を見る。すると、元々大きな目をさら大きく開けてこちらを見る浅賀の顔があった。そして、徐々に口元が緩んできたかと思うと、浅賀は大きな声で笑い始める。
「――ははは! 何それ!」
初めて、浅賀の素を見た気がした。
確かに、我ながら意味が分からない。なんで双葉の名前を出したのか。それよりも、何故浅賀に神ケ谷高校に進学してほしいと思ったのか。自分で言っておきながら、自分が一番よく分かっていなかった。
ひとしきり笑い終えた浅賀は、優しい笑顔でこちらを見る。
「――分かった。俺、神ケ谷高校に進学するよ」
浅賀は「じゃあね」と一言残して体を翻し、歩き出す。なぜかその時、この前一華が言っていた言葉が頭の中に浮かんだ。
――素直になればいいのにね
私は何回か頭を横に振ってその言葉を頭の中で散らした。
「絶対にない!」
もみじは誰もいない細道でそう自分に言い聞かせた。
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