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16.踏みにじられた、自尊心 -ウルスラside-

 ウルスラ王宮の一室で、一人の美しい女性が不機嫌そうに藍色の空を見上げていた。

 彼女の名前はギャレット。現在の女王の孫娘で……元、皇女である。



 トーマ達のいる世界――ミュービュリとは異なる世界に、ウルスラという国があった。

 ウルスラでは代々一人の女王が予言によって国を見守っている。

 女王は18歳で即位すると『結契(けっけい)の儀』により女児を授かり……その女児が30歳までに娘を生むことで、次の女王となる。

 このように、代々、孫娘に女王の座を譲り渡していた。


 現在の女王はイファルナ……81歳。ただし、今は来たるべき譲位のために、10年前から眠り続けている。

 イファルナには二人の娘がいた。姉のエレーナと妹のマーガレット。

 本来ならエレーナの娘が女王になるはずであったが……エレーナは30歳までに子を産むことができなかった。

 そのため……マーガレットの娘である、当時1歳のギャレットが皇女(こうじょ)となった。

 しかしその10年後……エレーナが40歳で娘を生む。

 それが、シルヴァーナであった。


 本来なら皇女の変更などあり得ない。ともに女王の孫娘であることには変わりないからだ。

 しかし……ギャレットが18歳になっても、譲位は行われなかった。

 不測の事態により延期されることはあるものの……かなり異例なことであった。


 そしてその翌年……ギャレットが19歳になったときのこと。

 母のマーガレットと共に、ギャレットはイファルナに呼び出された。

 極秘の会談であるため、神官もみな下がっていた。その場には、エレーナとシルヴァーナも同席していた。

 女王の一族、たった5人きりの会議……かつて感じたことのない緊張感の中、イファルナが重々しく口を開いた。


「まず……ギャレット。そなたを皇女の位から外す」

「なっ……!」


 ギャレットは自分の耳を疑った。

 一度決まった皇女を変えるなど、長いウルスラの歴史でありえない。

 ギャレットは女王になるために必死で努力していたし、部下もみな、彼女を尊敬していた。

 歴代の女王と比較して力は弱いが……それも、女王の力を継承すれば解決するはずだった。


 言葉にならず、ギャレットはイファルナの顔をまじまじと見つめた。

 イファルナはギャレットの視線など意に介さず、そのまま低い声で続けた。


「そして……シルヴァーナを皇女とする。よって、異例ではあるが……今から10年後、シルヴァーナが18歳になったときに、譲位を行う。しかしわたしがそれまでに命尽きるようなことがあってはならぬため、今から長き眠りに入る。時が来れば……目覚めよう」


 そう告げると、イファルナはギャレットに手を翳した。


「何を……」


 ギャレットの身体から何かが引き剥がされて……シルヴァーナに移された。


「皇女……皇女の証が……」


 ギャレットは自分の身体を抱きしめながら打ち震えた。


「なぜですか、イファルナ女王! わたくしにどのような落ち度が……!」


 今にもイファルナに掴みかからんばかりの勢いでギャレットは叫んだ。

 激しい勢いで立ち上がったため、母のマーガレットが慌てて押しとどめる。しかしギャレットは母の手を振り払い、イファルナを睨みつけた。


「わたくしは……女王となるために、努力して参りました。女王の力を継承すれば、予言を行うことができ……皆を導けます。女王になる人間として、それほどシルヴァーナに劣るとは思えません!」


 戦争もなく、長い間平穏だったウルスラでは、フェルティガ――トーマ達の世界で言うところの超能力――をもつ人間は貴重だった。

 ウルスラではフェルティガエ――フェルティガをもつ者の総称である――は王宮で働くことができ、これが民にとって名誉なこととされていた。

 よってフェルティガエは女王の血をもつ者と、神官の一族、および民間出身である兵士……つまり、王宮に大半が集められている状態だった。

 女王は実際に国を統治している訳ではなく、あくまでウルスラにおける象徴であった。

 しかし、その予言の影響力は絶大である。

 女王の予言とは、そのフェルティガを用いて行うものであり、女王はフェルティガエとしても優秀である必要があった。


「……今までならそれでよかったのだがの」


 イファルナは深い溜息をついた。


「しかし……お前には時の欠片の器がない。そして、シルヴァーナには器がある。……だからだ」

「時の欠片の器……?」


 エレーナとマーガレットは黙って頷いた。

 どうやら……ギャレットが皇女を廃される理由を知っているようだ。

 幼いシルヴァーナと……自分だけが、何も知らなかったのか。

 ギャレットは周りすべてに裏切られた気持ちになった。


「……時の欠片は、千年前に失われていた力の触媒だ。……これが、ミュービュリで見つかった。千年もの間……代々の女王がミュービュリを監視し……ようやく、わたしの代で見つけたのだ」

「それは、いったい……」

「時を操る力の源で……女王の継承時に譲り渡すものだ。これは、人を選ぶ。器がなければ、受け取ることができん」

「それが、器……」

「……納得したかの」


 イファルナが溜息をついた。


「18歳で即位するのは……時の欠片を受け取れるのが18歳だからなのだ。……この千年の間は、あまり意味はなかったがの」

「では……女王の力の継承とは……何の意味もなかった……と?」


 ギャレットは震える声で尋ねた。


「……そんなことはない。皇女の証と同様、女王の証を継承してきた。……ただ、それだけだ。この千年の間はの。加護が与えられるだけで……予言の力を継承してきた訳ではない。女王の血を引く者は、継承された女王の力ではなく自分の力で予言を行っておったのだ。稀に力のない者は……周りで補佐をしての」


 在位五十年以上……今まで数々の予言で民を導いてきたイファルナの言葉とも思えなかった。

 イファルナはここ何代かの中でも特別な力の持ち主で、皇女時代には先代の女王も陰ながら支えていたらしい。

 ギャレットは、女王の力さえ継承すれば祖母のようになれると信じて、これまで生きてきた。

 継承する覚悟と素地さえしっかりしていれば、女王になれるのだと……。


「……シルヴァーナは、予言こそ今はできぬが器はあり、時を操る力もすでに持っておる。……わずかだがの。すでに女王の下地があるのだ。時の欠片さえ継承すれば、良き女王となるであろう。……これが、わたしが皇女を変更する理由だ」

「……」


 あまりのショックに、ギャレットは言葉を失った。


「……すまなかったの。器の有無は……8歳までわからぬからの。いたずらにお前を期待させてしまったかも知れぬ」


(シルヴァーナに器があることがわかったから……私は用済みになったというのか……。)

 ギャレットは愕然として座りこんでしまった。


「わたくしは……今まで何のために……」

「お前の努力は無駄にはならぬ」


 イファルナがなだめるように言った。


「時の欠片が見つかったとは言うたが……今は取り戻せる状況ではない。取り戻せるのは、10年後……時の欠片をもつ紫の瞳の少年が現れたときだ」

「それは……予言ですか」

「……そうだ。だから先ほども申したように……わたしは明日から、長き眠りに入る。女王の代行を……ギャレット、お前に任せる」


 女王代行……イファルナの権限を一時委ねられるということである。


(これは……わたくしにとって絶好の機会なのではないか……?)

(力……そうだ。力さえ、あれば……!)

(――それが、たとえどのようなものであろうと……!)


 ギャレットの胸中にどす黒いものがじわじわと広がった。

 ――10年。再び権力を手中にするには、十分な時間だ。

 今から計画的に……動けば。


「お前には……ウルスラ領土内の統治を任せたい。お前に遠視の力はないから……ミュービュリの監視はできまい。それはエレーナとマーガレットに任せればよいだろう。時が来れば……時の欠片の在処を見つけ、取り出すことができよう」

「……わかり……ました」


 ギャレットはおとなしく頷いた。

 ギャレットの激しい気性を知っている母のマーガレットは少し疑問に思いながらも……おとなしく頷く娘の様子に安堵したようだった。


 玉座の間から出た二組の母娘は、会釈を交わし東と西の塔にそれぞれ戻った。

 東の塔の居室の前でお付きの女官が一礼をして去る。

 部屋に入り、マーガレットとギャレットが二人きりになった。


「……ギャレット。こんなことになってしまって……本当に申し訳なかったわ。私とエレーナで補佐をするから……10年、女王代行として……」

「お母様。わたくし……子を生みます」


 ギャレットがマーガレットの言葉を遮った。


「え?」

「女王の『結契(けっけい)の儀』で、と思っておりましたが……でも、わたくしが正式に女王になることはないのですから、構わないでしょう?」

「それは……でも、なぜ……」

「……」


 ギャレットは振り返ると、マーガレットの顔に手を翳した。


「ギャレ……何を……」


 どうにか止めさせようとマーガレットは両腕を振り回したが……それは、無駄な抵抗だった。

 マーガレットの瞳が、どんよりと濁っていく。


「――お母様には、わたくしの駒となっていただきます。もう……母としての役目は必要ありません」


 マーガレットが、こくりと頷いた。


 力の弱かったギャレットが、唯一持っていた能力は……幻惑。

 他者を操り、自分の思うように動かす能力。

 自分の力の弱さを痛感していた彼女は、自分自身が強い力を持っていなくても、強い力を持っている人間を操れればいいことだと、幻惑の修業だけは一日たりとも欠かしたことはなかった。

 幻惑は関係性が深い相手ほどかかりやすい。

 何の防御もしていなかったマーガレットが一瞬で陥ってしまうのも、無理はなかった。


 こうして――ギャレットの復讐が、静かに幕を開けた。

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