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14.俺たちに残された時間は、どれぐらいだ?

 自転車の練習をした日から、さらに1週間近く経ったが――特に敵が襲ってくることはなかった。

 そして……シィナは毎日少しずつ成長していた。

 ユズが言う通り、元に戻ろうとしているんだと思う。

 まだユズが言っていたような容姿ではなく、黒い髪で黒い瞳のままだが、だんだん大人びて……奇麗になっていく。

 記憶の方がどうなっているのかは分からないが……ときどき憂いを帯びた目で空を眺めていることがあった。

 前みたいな無邪気な言動はだんだん治まるかと思ったが……こちらはそうでもなかった。

 ……いや、わざとはしゃいでいるのかも知れない。

 何となく……この奇妙な共同生活が終わりに近付いている気がした。



「あ、そうだ。明後日から……2泊3日の泊まりのバイトがあるんだけど……その間、どうしようか?」


 夕食を終えてくつろいでいるときを見計らって、俺はユズとシィナに切り出した。

 二人は俺の方を見ると、不思議そうに首を傾げた。


「泊まりのバイト……?」

「少し田舎の方の……ゴルフ場の近くのホテルのバイト。朝食のサービスをしたり、宴会場の料理出しをするんだ。日給がいいから先輩に紹介してもらった」

「何か楽しそう……」


 旅行いいな、とでも思ったのか、シィナがワクワクしたような顔をしている。

 一瞬、大自然の中で嬉しそうにはしゃぐシィナの姿を想像して、俺は慌ててお茶を飲んだ。

 バイトだ、バイト。連れて行ってやろうかな、じゃないんだよ。


「遊びに行くんじゃないぞ。……で、ユズ、どうする?」

「……」


 自分にも言い聞かせるように強めに言うと、シィナは「えー」というような顔をした。

 だから、そんな目で俺を見るんじゃない。

 一方ユズは、少し考え込んだあと「すぐ戻るから」と言って俺の部屋を出て行った。

 そして、本当にすぐに帰って来た。

 手にしていたのは……貯金通帳。


「……なんだ?」

「じゃあその間は……僕たちもそのホテルに泊まるよ」

「そんな金あるのか?」

「そう言うと思った」


 ユズはちょっと笑って俺に通帳を見せた。

 残高を見ると……五千万?


「何だ、こりゃ」

「母さんの遺産なんだ。それを少しずつ使って生活していたんだ」


 そう言えば……ユズは母子二人きりだったのに、スミレさんて働かずにいつも家にいたような気がする。

 じいちゃんはきっと金持ちのお嬢さんなんだろうって言ってたっけ。


「でも……何で? 二人で留守番て、そんなにマズいのか?」

「僕はまだ、隠蔽(カバー)をマスターしきれていないしね……。他に人がいる方が襲撃される可能性が低いから。ホテルって、大勢の人が働いてるでしょ」

「何で、可能性が低いんだ? あの変な出入り口から来るんなら、関係ないんじゃ……」


 俺が反論すると、ユズはちょっと首を横に振った。


「……男が来る前、公園が暗くなったの覚えてる? それに……海岸のときも」

「……覚えてるけど」

「あのとき、急に周りに誰もいなくなったけど……これは予想だけど、周りの人がいなくなったんじゃなくて、僕達が周りから隔離されたんじゃないかと思うんだ」

「……煙幕みたいな?」

「そう。つまり……関係ない人に目撃されると困る、ということじゃないかなって」


 覚悟を決めたユズは、対応が早い。

 やっぱり頭の回転が速いからかな……。給食費のときも、そうだったっけ。


「……なるほどね」

「部屋空いてるかな。調べてみるね」


 ユズが俺のパソコンを立ち上げて調べ出す。

 自分たちも行けるらしい、とわかったシィナが興味津々の様子で俺の方に擦り寄ってきた。


「ねぇ、ホテルってどんな感じ?」

「んー部屋にもよるけど、奇麗なところだと思うぞ」

「そうなんだ……」

「田舎だから自然もいっぱいだしな」


 そんな会話をしていると、ユズが

「部屋はいくつか空いているみたいだ。どうする?」

と聞いてきた。


「俺はバイトだから、従業員用の場所で寝泊まりするぞ。ツインでいいんじゃないか?」

「えーっ! やだ!」


 シィナが俺に抱きついてきた。

 不意打ち過ぎて、思わず動揺する。


「だから……やめ……」

「あ、ユズが嫌って意味じゃないの」


 シィナが俺にしがみつきながら慌ててユズに言う。

 ユズは「それはわかってるけど」と苦笑していた。


「トーマも一緒じゃないと、嫌!」


 頼むから、そういう可愛いことを言わないでくれ……。

 もう年齢も俺達とほとんど変わらない。こんなんじゃ、俺が錯覚してしまうだろ。

 ただでさえ……俺の部屋に寝泊まりさせるのに限界を感じてきているところだってのに……。


「……じゃあ、とりあえずトリプルにしておくから」


 ユズは特に慌てることなくさっさと予約を済ませた。


「行ってみないとわからないけど……バイトだし、多分、仕事さえ終われば自由でしょ? いいんじゃない?」

「まぁ……」


 俺にしてみたら、そういう問題じゃないんだけどな。

 でもユズと一緒だから……ま、いいか。

 ユズのやつ、前はシィナを拒否しろとか言ってたのに、今はむしろ面白そうに眺めているだけなんだよな。


「じゃあ……明日のうちに移動するか。俺は、明後日の朝から仕事だから」


 そう言いながら、俺はシィナを自分の身体から離した。

 シィナは「もう」と呟いてちょっと膨れていたが、おとなしく頷いた。

 ……そしてユズは、ちょっと可笑しそうにしていた。



 次の日。荷物をまとめてアパートを出た。

 バスと電車を乗り継ぎ……最後はタクシーで目的のホテルへ。

 かなり田舎の方にあるので、本当はここからさらにバスに乗るはずだったが、暑さですっかりバテたユズが

「僕が払うから……」

と言ってさっさとタクシーに乗り込んでしまったからだ。


 タクシーを降りると、ムッとした熱気が俺たちにつきまとう。

 道の一方は鬱蒼とした森が押し寄せていて、その向こうがどうなっているのかは全く分からない。

 反対側は、広い駐車場。遠くの方まで車が停まっていて、どこが端っこなのかわからないぐらいだ。

 そしてその正面の奥には、たくさんの木々を背景に横長のクラブハウス的な建物と、併設されている5階建てのホテルが建ち並んでいた。


 俺のバイトは明日の朝からなので、まだ行く必要はない。

 ホテルに入り、チェックインを済ませると、エレベーターに乗り込んだ。

「これ、何? 何?」

と、エレベーター初体験のシィナが聞いてくるので、説明してやる。各階ボタンは二回押すとキャンセルできるタイプだったので、とりあえず気が済むまで自由にさせておいた。俺たちのほかに、客もいなかったし。


 エレベーターを降りると、目の前には大きなガラス窓があった。

 さっきは見えなかったクラブハウスの向こう側が見える。ゴルフ場のフェアウェイ、小高い丘……そして背景には、広大な海。

 緑と茶色と白と青……素晴らしい景色だった。

 シィナがガラス窓にぶつかりそうな勢いで突進したので、慌てて腕を引っ張って引き戻す。


「部屋からも見えるから」

「えー、でも……」

「いいから」


 とにかく手を繋いで歩き出すと、少し不満そうではあるものの、シィナはおとなしく付いてきた。 

 ユズが苦笑しながら「ここだよ」と言ってドアを開けた。

 目の前には、壁一面の大きなガラス窓。どうやら、エレベーターの前の窓とは、違う向きのようだ。海は見えず、森が遠くまで広がっているのが見える。

 そして黒塗りの何だか高級そうなキャビネット、中央にはガラスのテーブル、その周りにはこれまた凄そうなソファが並んでいた。

 左手の奥には、もう一つ扉がある。


「こっちはベッドルームだね」


 ユズがその扉を開けたので、後をついていく。

 ベッドが二つ置かれた部屋と、さらに奥にもう1つ扉があり……そちらにも、ベッドが二つ置かれていた。

 どう見ても、かなり高そうだった。……俺には一生、縁がなさそう。


「……ユズ、かなり高いんじゃないか?」

「気にしないで。こんなことでもなきゃ、僕も来ることないだろうし」


 ユズが少し微笑む。

 シィナは部屋のあちらこちらを興味津々で歩きまわったあと、窓から外を眺めた。

 俺も隣に行く。下を見下ろすと、このホテルの庭園らしく、いろいろな樹木がレンガで仕切られた場所に配置されていた。

 今は夏だから、ところどころしか花は咲いておらず、さまざまな緑が広がっている感じだが、春になれば色とりどりの花が咲くのだろう。


「……すごーい……王宮の庭みたい……」


 シィナがそっと呟く。その言葉を、俺は聞き逃さなかった。


「……王宮?」

「え?」


 シィナは何事もなかったような顔をしている。ユズを見ると、そっと首を横に振った。

 今は……問い詰めない方がいいようだ。


「ね、今日はお仕事ないんでしょ? 外に散歩に行きたい」


 シィナはそう言うと、無邪気に笑った。


「……いいよ」


 俺は何だか変な胸騒ぎを感じたが……なかったことにして、シィナに微笑み返した。

 俺たちの心配をよそに、シィナはとても幸せそうだった。



 次の日の朝は、6時からバイトの打ち合わせだった。

 俺は二人を起こさないようにそっとベッドから起き出した。

 服を着替えて部屋を出ると、ホテルを出て、隣のクラブハウスに向かった。従業員用の出入り口から入る。


「……すみません、今日から来た中平ですけど……」

「あら? トーマも?」


 女性の声がして振り返ると、石橋先輩がいた。


「えっ!」

「久しぶりね」


 先輩はにこっと笑ったが……俺は胸騒ぎが大きくなるような気がして……変な汗が出てきた。

 何でこの人、要所要所で現れるんだ?


「先輩……も、バイトですか?」

「そうよ」

「何で……」

「何でって、お金を稼ぐためよ。このバイト、日給がいいから」

「……」


 俺が紹介してもらった先輩も同じ教育学部の三年生だから、まぁ、知っててもおかしくはない。

 おかしくは、ないんだが……。でも……。


「ほら、早く入りましょ」


 先輩に促されて、俺は何とも言えない不安を拭えないまま中に入って行った。



 朝はホテル宿泊者の朝食バイキングの皿の片付け。昼はゴルフコンペなどの宴会の料理出し。夜は披露宴の飲料出しだった。

 途中で1時間ずつ休憩はもらえるものの、1日中立ちっぱなしだったから結構疲れた。

 ユズとシィナは俺の仕事の邪魔にならない程度に近くに居る予定だったが……石橋先輩がいることに気づくと、見つからないように少し離れていることにしたようで、姿は見当たらなかった。


 それでも先輩は俺がユズとシィナと一緒に来ていることを知っていたみたいで

「二人は今どうしてるの?」

と突然聞いてきた。

 俺はぎょっとして

「二人って?」

ととぼけてみた。


「お友達の……ユズルくんだっけ。……と、シィナちゃん」


 俺……ユズの名前教えたかな……。

 まぁ、ユズは有名人だから知っててもおかしくはないけど……。

 でも、先輩は確信を持って言ってるみたいだから、来てないなんて嘘をついても意味がない気がした。


 俺は仕方なく

「近くを散歩してるんじゃないですかね?」

とだけ答えた。


「……仲良いのね。こんなところでも三人なんて」

「まぁ……」


 どう返事をしたらいいかわからず、曖昧になる。

 ふと、昨日の出来事を思い出した。

 シィナは『王宮』という言葉を口にした。

 あのあとユズに確認をしたけど、記憶の欠片がバラバラに散っていて、それをたまに拾い上げている感じだという。

 だから、それが形になるのも、そう……遠くはない、と。


 ――思い出しちゃ、駄目なの……。


 あのときの、シィナの泣き顔を思い出す。


 シィナが記憶を取り戻したら……終わる?

 シィナは自分の世界に帰らなければならない……そういうことなんだろうか。

 そしたら、俺は……? どうするんだ?

 ……いや、きっとどうにもできないに違いない。

 だから……シィナはあれだけ怯えていたのかも。

 今……実は、とても貴重な時間なのかもしれない。


 その時間を、邪魔されたくはなかった。

 だから、見透かしたように現れた先輩が何だか不気味で、怖くて……不安が拭えないのかもしれない。

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