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04.プライド

 次の礼拝までのあいだに、スティーブとケリーはマイクを説得した。「好きな歌を好きなように歌っていいから、今度の礼拝で歌ってみないか」と。

 マイクは最初、気が進まない様子でいたが、

「へえ、そんなに上手なの? 聴いてみたいな」

 とリークが言うと、しぶしぶうなずいた。


 そして当日。牧師は説教を終えると、うれしそうな顔で言った。

「今日はマイクが、みなさんのために歌を歌ってくれます」

 そのあと牧師にうながされたマイクは前へ出て、うつむきがちに立った。教会内は少しざわめいた。いつも賛美歌の時に歌わない少年が一人で歌うというので、みな奇異な眼差しと、好奇の目を向けた。

「さあ、マイク」

 小声で牧師に合図され、マイクはチラチラと上目遣いに参拝者を見ながら、歌い始めた。曲目は賛美歌三一二番〝いつくしみ深き〟である。

 やや小さめな声で始まったそれは、マイクが少しずつ顎を上げて天井を仰ぎ見るごとに大きくなり、艶を増した。まるでそこに神が降りて来たかのように宙を見つめて歌う少年は清らかだ。

 教会に響き渡る美しい声はやがて光のように降り注ぎ、一帯を包み込んだ。参拝者はみな驚き、身を震わせた。きっとここには神がいる——そう錯覚するほど魂を揺さぶられたのである。

 リークも感動した。だが心の片隅で心配した。歌い終わってしまうと背中に羽根が生えて、飛んで行ってしまうのではないかと思ったからだ。

 しかし歌い終わるころ、マイクはリークを見つめていた。

「まだ行かないよ」

 そう答えるように。


 マイクはその日から、街の有名人なった。聴く者を魅了する歌声は噂になって、いつしか風に乗り、しばしば報道陣を招き寄せるようにもなった。

 今日、街のバス停で下車したのは、キャサリン・マーカー、二十四歳である。新聞記者になりたてだ。

 キャサリンは慣れない手つきで近くを歩く中年男性にボイスレコーダーを向け、話しかけた。

「失礼。ちょっとよろしいでしょうか」

「ああ」

「この辺りでとても歌の上手な少年が評判になっていると聞きました。ご存知ですか?」

 すると中年男性は胸を張り、大きな声で答えた。

「ああ! マイクかい? 知ってるよ」

「会ってみたいんですけど、よろしければ教えていただけませんか?」

「うちの真向かいに住んでるが、今は遊びに出ていないんじゃないかな? 明日、教会に来てみるといいよ」

「あ、はい。そうですね。ありがとうございます」


 そんなわけでキャサリンは、日曜日の教会へと足を運んだ。

 期待はそれほどしていない。噂になるだけの歌唱力は結構なものだろうが、歌のうまい人は世の中ザラにいるものである。ただ初仕事には丁度いい題材だっただけだ。

 キャサリンは礼拝堂のイスに腰掛けた。すると通路を挟んだその横の席に座った男の子がいた。十二、三歳くらいである。亜麻色の髪に青い目をした美しい少年だ。「この子かしら」と、キャサリンは思った。利発そうな眼差しでまっすぐに前を見ている横顔が、天使のように見えたのだ。

 ところが少年は、座ったまま急にクルリと振り返って、手を振った。

「こっちこっち!」

 キャサリンも振り返ってみると、中年夫婦とその子供らしき集団が苦笑いしながらやって来た。

「やだもう、声大きい」

 高校生くらいの女の子が小声で注意すると、亜麻色の髪の少年はいたずらっぽく笑った。

「せっかく早く来たからさ、いい席取ろうと思って」

「バカね。教会なんてどの席も一緒よ」

「違うんだよ。ここがいいんだって」

「どういいの?」

「音がいいんだよ」

「そう?」

「そうそう。ほかの席は退屈で眠くなっちゃうよ」

「よく分かんない」

「いいから早く。ほら、マイクも」

 マイクと聞いて、キャサリンはハッとした。亜麻色の髪の少年が手をとったのは栗色の髪と鳶色の瞳の少年だ。年はまだ五、六歳といったところだ。

 あの子ね、とキャサリンは気取られないように前を向いた。


 やがて牧師の説教が終わり、みんな起立した。オルガンの伴奏が鳴り、参拝者の歌声が教会に溢れる。

 キャサリンはチラリとマイクの様子をうかがった。少年は突っ立ったまま、少しも口を開けていない。「歌わないのかしら」とキャサリンは訝った。しかししばらくすると合唱が止まり、オルガンも鳴り止んだ。そこへマイクのソロが入った。

 天井高く響く、空を突き抜けるほど透明な声は、正確な音を発しながらも、感情豊かに詩を紡ぎ出す。それは、あまりに美しい旋律だ。この教会を現実世界から隔絶してしまいそうな迫力である。

 キャサリンは息を止めた。ステンドグラスから差す光の中に、天使を見たような気がしたのだ。

「素晴らしいわ」


***


 街のホテルへ戻ったキャサリンは、ペンを取った。マイクの歌声は、もっと世間に広く知られるべきだと思ったのだ。

 記事を書き上げると、その足で掲載の許可をもらうため、ゴールドバーグ家を訪ねる。きっと喜んでもらえるはずだという自信が、彼女にはあった。

 しかしゴールドバーグ夫妻は戸惑いながら互いに視線を交わすだけで、そばにいたリークという少年はショックを受けた様子でリビングから出て行ってしまった。


「申し訳ありません。私たち、これ以上騒がれるようになると困るんです。リークが……あの子、難しい年頃を迎えてますでしょう? 街の人たちにマイクのことをチヤホヤされるのはいいみたいなんですが、あまり大々的に騒がれるのは、嫌みたいで」


「わかります。それはお察しいたします。兄弟は身近なライバルですからね。一人だけ注目を浴びると、やきもちを妬いたり、寂しい想いをしたりするかもしれません。ですが彼の歌は人の心を洗い流し、癒す力を持っています。そんな歌声を、世間は待っているんです。ここに埋もれさせておくには、あまりにも……」


 もったいないだろうと言い切りかけたキャサリンを、父スティーブが急にさえぎった。


「マイクは本来、人前では歌いたがらないんです。教会で歌うようになったのは最近で、それもいちいちリークからお願いしないと歌ってくれないんですよ。誤解のないように申し上げますが、街の人がマイクを誉めるたびに一番喜んでいるのは、リークなんです。あの子はただ、無口で引っ込み思案なマイクが少しでも街に馴染んでくれればいい、みんなと仲良くなってくれればいい、そう願っているだけなんです。ですから、過剰に騒ぎ立てたりして、また歌わなくなったりしたら困るんですよ。やきもちなんて……我々はそんな心配をしているんじゃありません」


 熱心に息子をかばう父親の姿に、キャサリンは胸を詰まらせた。そして手にしていた自分の記事を眺め、深く溜め息ついた。

「街の誇りになるかもしれないんですよ?」

 ダメもとで言ってみるも、ゴールドバーグ夫妻は首を横に振った。

「子供達はみんな、親たちの誇りです。それで充分じゃありませんか」


 キャサリンは諦めてゴールドバーグ家を出た。すると庭先にリークが待ち伏せていて、不安そうにキャサリンを見上げた。

「新聞に載るの?」

 キャサリンは情けなさそうに笑った。

「載らないわ。断られたの」

 それを聞いてリークは一瞬うれしそうにしたが、すぐにソワソワとして目をそらした。

「ごめんなさい。せっかく良く書いてくれたのに」

「いいの。マイクはこの街だけの天使ですもの。誰も奪ったりできないわ」

 リークはキャサリンに視線を戻して、満面の笑みを浮かべた。

 キャサリンはその時、とても不思議な気分がした。うまく表現できないが、なんともいえない幸せな気分に浸れたのだ。

「さあ。もう行かなくちゃ。さようなら」

「うん。ありがとう。さようなら」

 キャサリンが軽く手を振ると、リークは腕を伸ばして大きく手を振った。

「またね!」

 もう会うことはないだろうに、無邪気にそう告げるリークを、キャサリンは何度か振り返りながら遠ざかった。

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