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03.ハイデンレースライン(野ばら)

 五歳の誕生日を迎えたマイクに、教会から聖歌隊に入らないかと誘いが来た。「家でもろくに歌わず、礼拝での賛美歌を口ずさむことすらしないマイクを誘いにくるなんて無謀な話だ」と家族は断りかけたが、「聖歌隊に入れば少しは興味を持つかも知れない」とシスターに説得されたので、しぶしぶ入隊させてみた。

 が、やっぱり歌わなかった。うつむいたまま、ずっと黙っているマイクを見て、母ケリーはがっかりした。

「マイクには、向いていないようです」

 そばにいたシスター・アンジェラに言うと、アンジェラは困った様子で愛想笑いをしながら、胸に手を当てた。

「え、ええ。そのようですわね。残念ですわ」

 そこへ、マイクが割り込んで言った。

「ママ、裏庭に行っていい?」

 ケリーは溜め息ついて、「いいわよ」と答えるしかなかった。

「ごめんなさい、シスター。今日は私、見学して帰りますね。練習を見ることは、もうないでしょうから」

「まあ、こちらこそ、無理にお誘いして申し訳ありませんでした。どうぞゆっくりしてらして」


 そのころ、教会の周りを巡回していたシスターがいた。マリーというシスターだ。三十歳で、この教会では一番若い。

 落ちているゴミを拾ったり、のびている草を抜いたりするのが日課である。この日もいつものように、雑草を抜きながら歩いていた。するとふと、耳に歌声が響いてきた。今は聖歌隊が練習をしている時刻である。聞こえてきてもなんの不思議もないのだが、マリーは驚いて背筋を伸ばした。

 歌われているのは、ゲーテ作詩の〝野ばら〟である。絶えなる響きを持った歌声は青い空に吸い込まれるように伸びやかだ。そのソロは、聖歌隊の誰かの声ではなかった。

 マリーは全身に鳥肌を立てた。天使の声を聞いたと思ったのだ。震える足を忍ばせて、歌声が聞こえてくるほうへと近づくほどに、胸も高鳴った。

 そして目を見開いた。

 ブランコに揺られながら歌うのは、これまでポソリとも歌ったことがないマイクである。深い声量と天に響く声はマリーの心を強く打った。

 空に向かい、人知れず歌を捧げるマイク。その様子はとても神聖で、涙さえ誘った。


 この日から、マイクの歌を聴くことがマリーの密かな楽しみとなった。誰よりも美しい声で上手に歌うマイクは無邪気で、本当に天使のようだった。

 そのうちマリーは、ほかのみんなにもマイクの歌を聴いてもらいたいと思うようになった。人前で歌いたがらないマイクの気持ちを尊重したくもあるが、あまりにもったいないのである。

「ああ、アンジェラ、私はどうしたらいいのかしら」

 マリーはついにシスター・アンジェラに告白した。

「マイクはとても歌が上手なの。まるで天使が歌っているみたいにね。あの歌声をみんなにも聞かせたいわ」

 アンジェラは驚いて耳を疑った。

「それ本当なの?」


 アンジェラはマリーに誘われて、こっそり裏庭に回った。聖歌隊が歌の練習をしているその時刻に、マイクはブランコをこぎながら歌っているのである。

 澄んだ美しい歌声に、アンジェラも感動した。その日は〝揺れよチャリオット〟を歌っていた。マイクは好きな時に好きな歌を自由に歌うのがいいようだった。

 しかし五歳にしては歌える曲目が多い。マリーがこれまで聴いたのは、〝野ばら〟をはじめ、〝汝はそこに〟〝時には母のない子のように〟〝なつかしきケンタッキーのわが家〟〝アヴェ・マリア〟〝アニー・ローリー〟〝モーツァルトの子守唄〟そして〝揺れよチャリオット〟である。

 音程をはずさないのはもちろんだが、歌詞も一言一句、間違うことはないのだ。とくにドイツ語歌詞の歌はどう覚えたのかと首をかしげるところである。

 二人は思い切ってゴールドバーグ家を訪れることにした。レコードを頻繁にかけている家庭なら、覚えることもあるだろうと思ったのだ。ところが家にあるのは次女が持っているラジカセのみで、大きなオーディオも、クラシックのレコードも、置いてはいなかった。

 マリーとアンジェラがわけを話すと、マイクの両親はとても驚いた。

「家でも歌ったことがないんですよ?」

「でも本当に素晴らしい歌声なんです。今度、一緒にお聴きになってみませんか?」


 スティーブとケリーは半信半疑ながらも、翌週、二人に同行することにした。そして裏庭で一人、ブランコに揺られながら歌うマイクを見て仰天した。曲目は〝(ます)〟である。リズミカルに明るく歌う声は天に向かって響き、日差しの中で輝いているように見えた。天才としか思えぬ歌唱力に、スティーブとケリーは唖然とし、マリーとアンジェラはうっとりした。

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