22.神の願い
リークの足が赴いた先は、例の教会だ。ただ勢いで来てしまっただけで、目的があるわけではない。とはいえ、何度か足を運んだ教会である。リークはそこで、ある不可解な点に気づいた。いつ来ても手入れが行き届いているのに、作業している人の姿を見ないことだ。
そういえば、日曜の礼拝もやってないみたいだったな。と、リークは思って眉をひそめた。しかし老人の口ぶりから、町の者はみな、悪魔が出ることを知っているようだ。近寄らないのは仕方ないのかも知れない。
リークはバラ園を見ながら、教会の裏手へ回った。
その時にちょうどセシルとキャサリンがやって来た。町人の目撃情報を頼りにリークを追いかけて来たのだ。
「いないわね」
「中へ入ったのかもしれん」
二人は軽く辺りを確認しただけで、礼拝堂内へ駆け込んだ。すると扉が音を立てて勢いよく閉じた。裏庭にいたリークはそれに驚いて入口へ回ってみたが、時すでに遅く、中と外とは隔絶されていた。
「やだ! 毎回これね! ほんとに嫌!」
キャサリンは悪態をつきながら、扉を叩いた。それは外にも聞こえたらしく、リークが答えるように扉を叩いた。
「マーカーさん! いるんですか!?」
「リーク!? 外にいたの!」
「そりゃ一人で飛び込みませんよ。いろいろあったし」
「あら、冷静な判断だこと」
「感心している場合ではないよ、マーカー君。さいわい外に一人いる。なんとか出られる方法を探ろう」
後ろからセシルが割り込むと、キャサリンはややウンザリしたように言った。
「マーカーはもういいわよ。キャシーって呼んで」
セシルは意表をつかれたような顔をしたあと、嬉しそうに笑った。
「いいね、親しみがある」
「じゃあ親しくなったところで、さっそくここから出る方法を見つけましょ?」
中からはセシルとキャサリンが、外からはリークが、なんとかできないものかと思案した。しかし何をしても出られないのは、前回確認済みである。結局、悪魔が出て来たところで退散させる以外に方法はなさそうだった。
そこへ、老人が声をかけた。奇跡について証言した老人である。教会の前にたたずむリークの背を見れば、困っているのは一目瞭然だったからだ。原因も分かっている。伊達に長年この町で暮らしているわけではない。
「その扉は、火で燃すしかない」
リークは声に振り返った。老人は目を伏せた。後ろめたいのである。誰でも家族が犠牲にされれば、憤りを覚える。リークがそのことを悲しみ、苦しみの中からつらい言葉を浴びせたのだと承知しているのだ。
老人の心情を悟ったリークも少し気まずくなったが、今はそれどころではない。せっかくアドバイスをくれたのだから、積極的に答えようと努力した。
「燃やすんですか?」
「ああ。悪魔を浄化するひとつの方法じゃよ。低級な悪魔なら、炎によって滅することができる。つまり術にかかった物も、同じ方法によって解くことができるというわけじゃ」
「……詳しいですね」
「独学じゃから、正しいかどうかは分からん。しかしこう頻繁に悪魔やら天使やらが町を騒がすようじゃ、調べんわけにもいかんかったからのう」
「すみません」
「ん?」
「さっき、あんなこと言って」
「いやいや、あれは、言われて当然じゃよ。わしらは結局なんにもせんかった」
老人は遠い目をして、そっと扉に手を触れた。
「怖かった。天使も悪魔も、奇跡も——すべてが恐ろしかった」
「しかたありませんよ。そりゃ、マイクを助けてほしかったって気持ちはあります。でも、恐怖心を乗り越えるのは大変です。誰でもできることじゃありません。やっぱり、僕が言い過ぎました」
「いや、それは違う」
老人は扉に当てていた手を拳にして、小さく震えた。
「わしらは大火災から救ってもろうた。その恩を仇で返したんじゃ。人として、最もやってはならんことをしてしもうた」
そうして、うめくように告白した。
「わしらは天使と悪魔を閉じ込めた。この……教会に。どちらが勝とうが負けようが、あの時はもうどうでもよかった。町の災いをすべてこの中へ戻して、なかったことにしてしまいたかったんじゃ」
リークは背筋に寒気を覚えて、言葉を失い、二歩下がった。地下室の上に建てられた教会。その意味が、なんとなく分かってしまったのだ。
「箱——なんですね?」
絞り出した声でリークが問うと、老人はうなずいた。
「ここの地下室は、大きな箱じゃ。かつて世界のあらゆる災いが閉じ込められていたという。なぜこんなところにあるのか、なぜわしらの町でなくてはならんかったのか、みな、ずいぶん神に問うた。むろん答えはなかった。じゃが、わしは……」
老人の言葉が途切れたので、リークは眉をひそめた。
「どうかしましたか?」
先をうながすと、老人は深く息を吐いた。
「天使の探し物を見つけた」
リークはドキッとした。ジョン・Jが言っていたことを思い出したのだ。
「あの、箱の中にあって、クライストの中になく、神の祝福の中にあって、信仰に関係なく、十字架に宿るもの、ですか?」
老人は振り向いた。
「そうじゃ。これはまさしく箱の中にあった。クライストの中になくとも、神の祝福の中にあり、信仰も必要とはしない。だが十字架に宿っておる——神の願いじゃ」
それから、上着の内ポケットに手を入れ、四つ折りにした紙を取り出して見せた。
リークはその紙を受け取り、そっと開いてみた。美しい紋様に縁取られたキリストの絵。左下にあるのは、さらに円で縁取られた少年の横顔。そして綴られている文字には、神の願いが込められていた。
リークの、紙を持つ手が震えた。
『翼を持たぬことを許された天使』と命名したのは、誤って落としたリークを救うための、苦肉の策に違いない。そう思うと胸が締め付けられた。もしかしたら地獄へ行ったかもしれない。だがどこへ堕ちても見ていよう。どこへ行っても目の届く所に置いていよう。そんな願いが心臓をわしづかみにするのだ。
リークはいたたまれず、天を仰ぎ、神と視線を合わせた。
「僕は自ら望んで避雷針になりました。慈悲など必要ないんです。それでも哀れとお思いなら、この地に縫われた少女を、どうかお救いください。そしてマイクを試練から解き放ってください。僕に向ける眼差しのすべてを、この地に生きる人々にお与えください」
すると、晴れ渡った空の彼方から教会の扉に向かって稲妻が走った。激しく生木を割くような音がし、同時に、破壊された扉の破片が四方へ飛び散った。
「わっ!」
「キャア!」
手荒い救済に、セシルとキャサリンは尻もちついた。あまりの衝撃に、老人もへたり込んでしまった。
「な、なんと……」
神に祈ったリーク本人も、ビックリして硬直した。
「と、とにかく脱出だ」
セシルはキャサリンの手を引いて、外へ出た。その際、リークの顔を見て言った。
「君は神々しい太陽の光で救っておいて、我々は雷とくる。参るね、どうも。贅沢は言えんが、扱いに差がありすぎる」
リークは苦笑いして答えた。
「僕のせいですか?」
「さてね。分からんが、神はよほど君を好いているらしい」
「どこが気に入ったんですかね?」
首をかしげるリークを、老人とセシルとキャサリンは、なかば呆れるように眺めた。
「まあ、自分のことは意外と見えないものだよ」
「えーっ?」
結局わからない回答にリークは不満顔である。が、そんなリークに老人がそっと手を伸ばした。両膝をついた姿勢で、リークの右手を握り見上げる瞳は、奇跡を見るような眼差しである。
「神は自身のための祈りには耳を貸さん。じゃが、自らを顧みず、人のために捧げる祈りには耳を貸す。それを真実の心でやれる者は、そうそうおらんのじゃよ」
セシルとキャサリンはしんとして老人の言葉に聞き入り、戸惑うリークを見つめた。




