20.雷霆
四日後。
リークはホテルの一室にて、ローマ司教区から派遣されてきたという三人の司祭に囲まれた。部屋の隅にはキャサリンとセシルがいて、様子を見守っている。
キャサリンは肘でセシルをつつき、小声で文句を言った。
「どうして呼んだの?」
「呼んではいない。報告をした」
「どっちでも一緒よ。大丈夫なんでしょうね?」
「むろん。妙な真似はせんよ」
「だといいけど」
一方リークは、イスにかけた状態で、目の前に立つ三人の司祭を順に眺めた。
「えーと、なにが始まるんでしょうか」
すると眼鏡をかけた細身の司祭が答えた。
「簡単な質問です。正直にお答えください」
「は、はい」
「今回の奇跡はあなたが起こしたものだと聞いていますが?」
「あーいや、奇跡を起こしたのは神様で、僕じゃないですよ」
「願いをかけたのでは?」
「はあ」
「では同じことです。報告によると、悪魔が君をパンドラの天使と呼んでいたそうですが、間違いありませんか?」
リークは溜め息ついて目をそらした。
「ええ」
「夢にルシファーが出たと? それは本当にルシファーでしたか」
「たぶん。弟とそんな話をしていた直後ですから」
「そうですか」
司祭はあいづちを打ち、両脇にいるほかの司祭と視線を交わし合った。
実のところ、この三名の司祭はセシルと違い、特別な命を受けている。それは「パンドラの天使が天界の者か魔界の者か見極めよ」というものだ。
当の天使は、マイク・ジョッシュ・ゴールドバーグの実兄で悪魔を退散させるような奇跡を神に起こさせた。その観点から見ると天界の天使だろう。しかし夢にルシファーが現れたというのは、いただけない話である。現にルシファーは、兄弟に大天使ミカエルを持つ堕天使だ。そういった事実をふまえると、マイクの兄だからといって簡単には信用できない。自覚があろうとなかろうと、天使のふりをしてルシファーの支配に置かれている可能性も充分ありえるのだ。
神が奇跡を起こして悪魔を退けた件についても、パンドラの天使との接触を阻害するためだと考えられなくもない。
眼鏡の司祭は改めてリークを見据えた。
「ほかにも細かい報告を受けています。それに答えていただけますか」
「え?」
「たあいないことです。教会では同じ位置に腰かけることなど……ですが」
リークは、思わず司祭らの肩越しにセシルを睨んだ。
セシルは苦笑いした。
「そこが落ち着くんです。いつも端の席に座る人の感覚と同じです」
「音がいいとか?」
「はい」
「どうしてそのように感じるのでしょうか」
「さあ……遮るものがない、とか?」
「遮るもの、とは?」
リークは一瞬、口をつぐんで目の前の司祭を眺めながら、意識を遠くに飛ばした。教会のイスに腰かけたときの感覚を呼び起こしているのだ。そしてあることに気づいた。
「——神様が、そこだけ視線を外してくれているような……気がします」
眼鏡の司祭は意味ありげに、人差し指と中指で眼鏡の位置を調整した。
「つまりあなたは、神の視線から逃れているそのひとときに安らぎを感じている、ということですか」
「あ、はい。たぶん」
「なるほど」
眼鏡の司祭がうなずき、片手を軽く上げた。すると残り二名の司祭がリークを取り囲むように立った。
その状況に焦ったのはセシルだ。
「お、お待ちください!」
しかし眼鏡の司祭の返答はそっけないものだった。
「相手がルシファーでは手に負えないかもしれませんが、詰問は免れませんよ」
「ちょっと、どういうこと!?」
キャサリンが割って入ろうとすると、セシルが腕を横に上げて制した。
「悪魔祓いだよ」
キャサリンは驚いてセシルを見上げた。
「なんですって?」
「取り憑かれていると判断されたのだ」
「まさか」
その疑いに、セシルは目を伏せた。
もちろん彼とて、そんなことは信じていない。しかし三名の司祭が判断したことを、一人の司祭が反論したところで、聞き入れられるものではなかった。
「すべては、それによって証明される。黙って見ていよう」
中肉中背の司祭が旧約聖書の詩篇を読むと、眼鏡の司祭が新約聖書の福音書を読み上げ、祈りを捧げた。ついで厳つい体格の司祭が、悪魔祓いの詞を唱える。ここで悪魔が出てくれば尋問へ移るが、気配はなく、三人の司祭は同じことを繰り返した。
それは根気強いものだった。司祭らは、出て来るまで頑として引き下がらないつもりなのである。
しかし、さすがに何回も繰り返されれば飽きてくる。リークは思い切り伸びをして、あくびをした。
「いつまでやるんですか? これ」
すると厳つい体格の司祭が、リークの身体をイスに押さえつけた。
「おとなしくしていろ! 悪魔め!」
「はあ!?」
リークが反論しようとすると、眼鏡の司祭が冷笑した。
「言葉をお慎みください。逆上してはあなたが取り憑かれますよ?」
仲間の司祭に対しても冷静な男である。そう見たリークは、言う通りおとなしく座っていることにした。だが何度繰り返しても、悪魔が出て来るはずはない。取り憑かれてなどいないのだから。
リークは思いながら、そっと溜め息ついた。
取り憑かれているのだとしたら、それはむしろ神だ、と。
束縛に近いほど降り注ぐ視線も、マイクが弟であることも、すべては神の仕業なのだ。
なぜ自分なのか、ということに関しては、マイクにも答えたとおり分からない。だが、おそらく天使ではない者に「パンドラの天使」と名付けた理由はあるはずで——
リークはつらつら考えるうち、眠気に襲われてうたた寝した。意識の一部は現世にあるのだが、視覚と聴覚は別の世界にあった。
***
美しい調べに乗るように、軽やかに歩く者たちの群れ。よく見ると彼らは男か女か分からない容姿で、背中に翼がある。
天使だったのか。
と、リークが驚いて見ていると、彼らは仲間同士でヒソヒソと話し始めた。
〝パンドラの天使——と名付けられたそうだよ〟
〝天使でもないのに?〟
〝ここへ置いておくためさ。まったく、どうしてこんな奴が〟
どうしてこんな奴が……
悪意ある言葉が、胸に刺さった。リークはいたたまれずに、目を伏せた。
すると歌が途切れて雷鳴が轟き、天使らの前に雷が落ちた。
天使らは悲鳴を上げ、逃げ惑い、辺りはたちまち混乱した。
ルシファーは言った。
〝私が本来あるべき私であり、彼に比べてもほとんど遜色ない私である限り、どこにいようと構うことはない。彼が私より偉大だというのは、雷霆を持っていたからにすぎぬ〟
つまり雷を落とせるのは、その彼——神である。
天使らは地へひれ伏し、許しを請うた。だが神は天使らを落とすつもりだ。鳴り止まぬ雷鳴がそれを告げている。
空がひときわ明るく輝くと、地を揺るがすような音がした。リークはとっさに平伏する天使らの前へ立ち、両腕を広げた。自らを避雷針にしたのだ。
***
リークはハッとして目を覚ました。
現実でも雷鳴が聞こえていた。いつのまにか空が曇り、稲光が部屋を明滅させている。そして辺りを見回すと、厳つい体格の司祭が、半分開いている窓を閉めようとしている最中だった。
リークは嫌な予感がして、叫んだ。
「ダメだ! 離れて!」
直後、天からの一撃が、司祭を襲った。細い帯のように走る稲妻が、窓の桟にふれた司祭の手を払ったのである。
「ぐわっ!」
リークは司祭に駆け寄り、背にかばいながら、窓を閉めた。
「まずいよ。怒ってる」
「誰が?」
セシルが尋ねると、眼鏡の司祭が人差し指と中指で眼鏡を少し押し上げながら、震える声で答えた。
「神でしょう。雷は主の怒りです」
「なんだって?」
「どうやら、我々が見誤ったので、お怒りになられたらしい。違いますか?」
眼鏡の司祭の問いはリークに投げられていた。
リークは視線をさまよわせた。
「分かりません。でも、前にもこんなことがありました」
「……どんな?」
「天使の言葉に僕が傷ついた時です。あんなことくらいで、傷つかなきゃ良かったな」
リークは言いながら、火傷を負った司祭の手を取った。
「すみません。大丈夫ですか?」
厳つい体格の司祭は言葉を失くした。目に映るのは、邪気のない澄んだ瞳である。それを一瞬でも取り憑かれていると疑った自分が信じられなかったのだ。
「あ……ああ、私は——いったい」
そこへ眼鏡の司祭が歩み寄り、片膝ついて言った。
「謝らなければならないのは我々です。このたびの失礼を、お許しください」
リークは返答に困って、うつむいた。それからマイクのことを思った。
マイクが悪魔と戦うのは、ルシファーがパンドラの天使を狙っているからという単純なものではないかもしれない、と。




