02.リトル・トイ
ゴールドバーグ家が新しい街へ越してから、礼拝のため毎週訪れるようになった教会の裏には、孤児院がある。新しくもなく、経営もやや苦しそうだったが、清潔で明るいイメージのある施設だ。子供達が遊ぶ中庭には大きな樫の木があり、その下に砂場やブランコがある。
ブランコはマイクのお気に入りだった。牧師の説教が終わったあとの賛美歌をなぜか歌わないマイクは、そのあいだ一生懸命ブランコをこぐのである。
そんなマイクを悪い子だと言う大人もいた。しかし「マイクはシャイなんだよ」とリークが言い返すと、相手は大人げなかったと恥じて謝った。
マイクは確かに引っ込み思案だった。大きな声も出さないし、走り回ったりもしない。気がつけば一人でじっと絵本を読んでいるような子供で、かなり無口だった。いつもそばにいるリークにさえ、みずから話しかけたりしないのだ。
おかげでリークには積極的に声をかけるクセがついた。
やがて地域にも馴染み、新鮮だった生活も少し色褪せる頃。
大学生になった長男ジョージは自分の車を欲しがり、彼氏ができた長女リンダは家をよく空けるようになった。高校に上がってお洒落に目覚めた次女シェリーは、某ファッション雑誌に夢中になった。リークは十二歳らしくマウンテン・バイクを買ってもらい、四歳になったばかりのマイクは、テレビでやたらコマーシャルされているロボットのおもちゃを買い与えられた。
なんてことはない普通の光景が、当たり前に過ぎる毎日。それはきっと飽きることなく繰り返され、平凡な幸せを与えてくれるものであった。
そんなある日——
「母さん。ちょっとマイクと一緒に、孤児院へ遊びに行ってくるよ」
リークは元気よく声をかけた。
「孤児院?」
「うん。クラスの友達、そこの子なんだ」
「そうなの」
気の毒ね、とケリーは言ったが、小さな声だったので、リークの耳には届かなかった。リークが遊びに行くのを楽しみにしている様子なので、あえて聞こえないように言ったのだ。
リークはマイクの手を引き、うっすら積もった雪道を歩いた。
「マイク、ロボット持って来ちゃったの?」
五、六歩行ったところで気付いたリークは、歩調を緩めながら問いかけた。
「そんなモノ持って行ったら、他の子に取られちゃうよ? 一回家に戻る?」
テレビでコマーシャルされているようなオモチャは、子供なら誰だって欲しがる。孤児院の子がマイクのオモチャを羨ましがるのは、自然に予測がついたのだ。
しかしマイクは首を横に振った。
「ううん。持ってく」
「取られてもいいの?」
「大丈夫だよ」
「そんなこと言ってもね、マイク。みんながみんな、そういうオモチャを買ってもらえるわけじゃないんだ。欲しくてたまらないのに、我慢している子は多いんだよ? マイクが持っているのを見ちゃったら、我慢できなくなるんじゃないかな?」
「そうしたら、あげるよ」
「え、あげちゃうの? あとで泣いても知らないよ?」
その帰り道。リークはマイクの手にロボットがないと気付いた。案の定だと思いながら、リークは溜め息ついた。
「マイク、ロボットは?」
「あげたよ」
「あげちゃったの?」
「うん。とっても欲しそうだったから」
「マイクはそれでいいの?」
「うん。あのロボットは、もともと僕のじゃなかったんだ。ショーンのものになるために、僕のところへ来たんだよ」
ショーンというのは、孤児院にいるマイクと同い年の子である。
面白い発想だな、とリークは思ったが、少し強い口調で弟をたしなめた。
「でもね、あそこは小さな子が多いでしょ? 一人がみんなと違うオモチャを持っていたら、ケンカしちゃうかも知れないよ? みんなにはあげられないんだから、もうオモチャなんて持っていっちゃダメだよ」
だがそれ以降も、教会へ遊びに行くたびにオモチャを持参し、欲しがる子供にみんなやってしまうので、マイクのオモチャはあっという間になくなっていった。
孤児院にオモチャらしいものがまったくなかったのも原因の一つだが、マイクに執着心がなさ過ぎるのも問題だと、リークは少し心配した。
「マイクったら、いい加減にしておかないと、自分のオモチャがなくなっちゃうよ?」
リークは極力優しく叱った。悪いことをしているわけじゃないからだ。
「マイクもね、本当の友達を作りたかったら、やたらとモノをあげちゃいけないよ。お兄ちゃんはマイクのオモチャより、マイクのことを好きだと思ってくれる友達を作って欲しいな」
マイクは大きな鳶色の瞳に、兄の青い瞳を映した。
「ありがとう。でも、僕には本当のパパやママがいて、お兄ちゃんもお姉ちゃんもいるから、オモチャも友達もいらないよ。でもショーン達はいないから、きっとオモチャくらい欲しいよね?」
「——!」
リークは胸をつかれて、表情を曇らせた。
「マイク」
リークはマイクの肩を抱き寄せた。その背に手を回すと、コートの上からでもほのかに暖かい。リークは絵本の天使を思い出して、本当にここに翼があるのではないかと、わずかに錯覚した。




