14.ギフト
「大丈夫!?」
キャサリンの声で意識を取り戻したリークは、床に伏せたまま激しく咳き込んだ。
「ゲホゲホッ! うっ、はあ、はあ……ゲホッ。だ、大丈夫みたいです」
そこへセシルも寄った。
「ケガはないかね!?」
「ゲホッ……はあ、はい。で、さっきの、本当ですか?」
「ん?」
「あなたの力が、役に立たないって」
セシルは暗い顔をした。
「残念だがね」
「どうして」
「君は悪魔の正体を知っているかね」
セシルは言いながら視線を外し、近くの座席に腰かけた。そして語り始めた。
「悪魔とは、人の邪心。この世に怨念を残し、浄化しなかった霊。いわゆる悪霊や低級霊のことだ。ネガティブな発想、偏った思考、そういったものを持つ人間に取り憑き、災いをもたらす」
リークはゆっくり上体を起こした。
「エミリーは、どうなりましたか」
「死んだよ。おそらく魂も悪霊に取り込まれただろう。救うすべはない」
「神は彼女に手を差し伸べなかったんですか」
非現実ながらも真剣な質問に対し、セシルは皮肉げに笑った。
「私がこんなことを言うのは問題もあるが……実のところ、神と悪魔は人の心に存在するものなのだ。つまり己の悪魔を祓うことができるのは、己の中の神しかいない。信仰は時にその手助けとなるが、結局、自分を救うことができるのは自分だけなのだ。神といえども、光を見ない者に姿を見せることはできない。耳を塞ぐ者に声を届けることはできないのだよ」
リークはうつむいた。
「それでも助けてほしかったです。救われない者に手を差し伸べてこそ神様じゃありませんか?」
セシルはリークへ視線を戻し、寂しげに笑った。
「手は差し伸べられたとも。しかし、闇へ没した者にはその手が見えないのだ。太陽のもとにあれば容易に探し出せるものでも、真夜中では難しい。つまりは、そういうことなのだよ」
確かにそれではどうしようもない。そう理解しても、リークは悔しかった。闇をさまよう者は本当に救われないのか。彼らは永遠に光を見ることはないのか——そんな途方もないことを考えて、人の弱さに萎えた。
「あの悪魔は何故リークを放したの?」
二人の会話が止まったのを見計らって、キャサリンが尋ねた。セシルは顔を上げて答えた。
「それは、負の感情が彼の中になかったからだろう」
「負の感情?」
「そう。おもには死への恐怖。ほかには憤り、嫉妬、悲しみ。悪魔はそういった感情につけいる。ウイリアムズ君の……いや、リーク君の心にはおそらく、それがなかったに違いない。どうかね?」
問いかけられて、リークは頭をかいた。
「僕だって怖かったですよ。でも」
「でも?」
「ステンドグラスから差す陽の光が綺麗だったんです。そうしたら、あの日、雪原に舞っていた光がマイクの魂を天国へ連れて行ったように感じたのは間違いじゃなかったって、信じられたんです」
セシルとキャサリンは呆気にとられながらリークを見つめ、やがて穏やかに微笑んだ。
***
「なるほど」
夜八時を回ってからキャサリンが泊まっている部屋を訪ねたセシルは、イスに腰かけて言った。
「パンドラの天使——なのかもしれない」
呆れたのはキャサリンである。
「あなたには遠慮ってものがないのかしら。私、こう見えても嫁入り前なのよ?」
セシルは笑った。
「まあそう言わず。私も独身だ。まずはお話でもして、親睦を深めてはいかがかな?」
「親睦を深めると、何かいいことでもあるのかしら」
「あるとも。君はあの奇跡について知りたいわけだろう」
「そうだけど。あなたが正直に話してくれるとは思えないのよね」
「ハッハッハ! 参ったな」
「でも、これだけは正直に答えて」
キャサリンはテーブルを挟んだ真向かいの席に腰かけ、身を乗り出した。
「パンドラの天使なんていたの?」
セシルは肩をすくめた。
「さてね。ギリシア神話にまつわるそんな天使の存在は知らない。文献も調べ尽くしたが、記されていなかった。しかし彼らの目的がそう呼ばれるものであることは確かだよ」
「あなたはそれが、彼だと思う?」
「君はどう思うのかね、マーカー君」
「私が聞いてるんだけど」
「ぜひ君の意見を聞きたい」
キャサリンは背もたれに背を預け、腕組みをしてむずかしい顔をした。
「彼は言うのよ。また会いたい人に大きく手を振ると、なぜか必ず会えるって。それは何だと思う?」
思わぬ問いに、セシルは目を丸めた。
「ギフトかね。彼は……ギフテッドなのか?」
ギフテッドとは、先天的に優れた能力を持つ者のことであり、宗教で言えば神より授かった特別な能力のある者を示す。リークという青年がそれであることに、セシルは衝撃を受けた。
一応ジョン・Jの身辺など調査してきたが、教会の結論として「彼らが天使降臨のための媒体に選ばれたのは偶然によるもの」ということになっている。ところが、マイクが同じ家系に再び生まれ、兄弟がギフトを得ているとなると話は変わる。
これまでとは違う何かが起ころうとしているのではないか。
そんな不安がセシルを襲った。だが一縷の望みを託して再度質問を試みた。
「その能力は本物だと実証されたのかね」
キャサリンは一瞬息を止め、深い溜め息をついた。
「実は私が証人なの」
「なっ!? なんだと!」
「私が彼に会ったのは、彼がまだ子供の頃。マイクの取材に行ったのよ。町を離れる時、彼、私に大きく手を振ったわ。〝またね〟って言って。私は二度と会うことはないだろうと思っていたのに、彼はとても自信ありげだった。きっとそれまで何度も経験してきたのよ」
そしてキャサリンは、テーブルの上で拳を握り、セシルを見据えた。
「彼、マイクにも手を振ったって言うの。葬儀の時に。だから必ず会えるって信じているのよ」
セシルは真っ青になった。
「し、しかし、それから転生してはいないのだろう?」
「たぶんね。だから私、心配なの」
「なにがだね」
「わからない? 生きている者が死者と会う方法は二つよ」
セシルは嫌な汗をかいた。キャサリンが言わんとするところを理解したからだ。
「私は願ってるの。マイクのほうから会いに来ることを」
いつのまにかテーブルの上で、祈るように指を組んでいたキャサリンの手に、セシルは自分の手を乗せた。
「私も祈ろう」
セシルの意外な行動に、キャサリンは驚いた。
「あら、優しいところもあるのね」
セシルは肩をすくめて笑った。
「人間だからね」




