12.エクソシスト
「私、思うんだけど、クライストの中にない、信仰と関係ないっていう部分。これはキリスト教の教えではないって事じゃないかしら」
翌朝、ホテル近くの茶店で朝食をとりながら、キャサリンはリークに言った。リークはきょとんとして答えた。
「でも十字架にはあるんですよね?」
「うーん、そうなんだけど。それはキリスト教じゃなくても共通する何かがほかの宗教にもあって、十字架に象徴されてるってことなんじゃないかしら」
「十字架に象徴されるのは、キリストと信仰心じゃないですか?」
「受難や死に対する勝利、復活の象徴でもあるわ」
「ほかの宗教に共通するものって、なんですか?」
「分からないけど、気になるのは箱ね」
「箱?」
「宗教的な意味合いを持つ、この世で最も有名な箱は?」
リークは目元をしかめた。その顔を見てキャサリンは少し笑った。
「ヒントをあげましょうか?」
「お願いします」
「ギリシア神話よ」
リークはコーヒーを飲もうとしてカップに伸ばした手を止めた。
「パンドーラー?」
「正解!」
しかしリークは焦った。
「パンドラの箱に入っているのは、災いですよ? そんなものを探していたなんて……」
「今は何も入っていないわ。それに箱から出て行かず、最後に残ったエルピスは希望ともされているし」
「じゃあ、マイクはパンドラの箱に残された希望を探しているんですか?」
「たぶん。そう考えると、箱の中にあってクライストの中になく、神の祝福の中にあって信仰と関係なく、十字架に宿っているっていう答えに相応しくない?」
「だけど……」
リークは反論しかけたが、その余地がないことに気づいて口ごもった。
「よく分かりましたね?」
「あら、そうとう苦労したのよ? 一晩中考えてやっと出た答えなの。おかげで寝不足だわ」
「一晩で出ればスゴイですよ」
「こういう謎解き好きだし、ちょっと得意なの」
キャサリンはいたずらっぽくウインクして、ホットドッグをかじった。
「それに思い出して? 天使の名を口にすると災いが落ちて来るっていう伝説」
「あ……」
「災いといえば、やっぱりパンドーラーよ。それを彼が探していたのなら、町の人たちには脅威だったかも知れないわ」
「そうか」
とリークは妙に納得した。だがどこかで何かが違う気もしていた。あのマイクが災いをもたらす箱を探しているとは考えられなかったのだ。たとえ本来の目的が希望だとしても、それを得るために払う代償が大きすぎる。おそらく、ただ探していたのではないのだ。
リークはそう考え、キャサリンに疑問を投げた。
「あの」
「はい?」
「もしかしたら、なんですが」
「ええ」
「悪魔もそれを探していた、なんてことは」
キャサリンは目を丸め、やや青ざめた。
「あり得るわ。そうだとすれば先に探さなきゃならないし、戦う理由も納得よ。エミリーっていう女の子が引き金だとしても、人前で正体をさらすほど必死になる状況っていうのは、ただ事じゃないしね」
キャサリンは言って、コーヒーを飲み干すと、ひとつ息を吐いた。
「奇跡の真相に近づいたわね」
すると、キャサリンと背中合わせの隣席に座っていた男が囁いた。
「これ以上、近づきすぎるな」
キャサリンはギョッとして振り向いた。男は四十代半ばのスーツ姿の男である。黒髪を七三に分けていて、背が高く体格がいい。
「……なんなの?」
「私はローマ司教区から派遣された司祭だ。セシル・グラニウス・フィリップス。あの頃はまだ司祭ではなかったが、奇跡認定に立ち合った一人だ」
キャサリンは驚いたが、平静を装った。この手の人間に隙を見せてはならないことを、経験上よく理解していた。
「あら、いい所でお会いしましたわ。ぜひ当時のことをお聞かせ願えないかしら」
「残念だが、それはできん。素人が首を突っ込むと偉い目に遭うぞ。おとなしく普通の記事を書いていろ」
「どこからつけて来たんですか?」
と口を挟んだのはリークだ。セシルはちらりとリークを見やった。
「ニューヨークのアパートメントからだ」
つまりジョン・J・ゴールドバーグは古巣も含めて見張られている、ということである。リークはふと、自分の家族が気になった。
「見張っているのはジョン・Jだけですか?」
「妻のエレナも同等だ」
その回答で、リークは密かに胸をなで下ろした。教会が案じているのは前世のマイクの両親だけで、転生があったことまでは知らないのだ。あと気になるのは、自身のことである。身内だと知られていないかどうか、確認する必要があった。
「僕はリーク・ウイリアムズです。彼女はキャサリン・マーカーさん。今、記者の仕事を教わっている最中なんですよ。それを急に横からやめろと言われても、困るんですけど」
キャサリンは、リークが偽名を使った理由をすぐに悟って何食わぬ顔をした。
「そうよ。新人を鍛えなきゃ、私も商売上がったりだわ」
「ほかにも書くことはあるだろう、ウイリアムズ君。この件に深入りするのはやめたまえ。未来ある若者なら、なおさらだ」
セシルの態度から身内だと知られていないことを確認したリークは、キャサリンと軽く目を合わせて、うなずいた。
「申し訳ありませんけど、営業妨害ですわ。あなたに私たちの仕事をやめろという権利はありません。なんでしたら、弁護士を立てて出る所に出ても構いませんのよ?」
セシルは舌打ちした。
「なんでも訴訟を起こせばいいと考えるのは、お国柄か。我々を敵に回していいことはないぞ」
「結構です。妨害すればすぐに訴訟を起こせるよう、本社に手配します。そちらも、そのおつもりで」
キャサリンが強く言うと、セシルはひとまずその場を去った。
リークは脱力して背もたれにもたれた。
「司祭かあ。参りましたね」
「エクソシストかしら?」
「え!?」
「ローマ司教区から派遣される司祭といえば、そうじゃない?」
「やっぱり悪魔っているんでしょうか」
「さあね。でもこの場合、いるって信じなきゃ取材する意味ないわ。それに確信持てたんじゃない? ああいう人が出て来るってことは」
「ああ、やだなあ」
「ほらまた! シャキッとしなさい! さっきの狡猾さはどうしたの!?」
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ」
「とっさに偽名使うなんて、人が悪いわ」
「身を守るためですよ。別に騙して取って食おうってわけじゃないじゃないですか」
本気でふくれるリークを見て、キャサリンは吹き出した。
「うふふ。冗談よ。ムキになっちゃってカワイイわね。ほんとに天使みたい」
リークは顔を真っ赤にした。
「やめてくださいよ! もう! 大の男つかまえて、なに言ってるんですか、気色悪い」
「まだまだ青二才よ」
ニッと笑うキャサリンを見て、リークは大きく溜め息ついた。きっとこの人には一生かなわないだろうと思ったのである。




