雨宿り
降り出した雨に、校門はにわかに慌ただしくなった。走って帰る生徒や、迎えにきた車などで混雑し始める中で、
「とりあえず、ウチでお話ししましょ、春果ちゃん」
晴雨兼用の日傘を差し、真青を入れてやりながら、楓は言った。
「でも、駆君は……」
真青は、駆が走り去った方角を心配そうに見つめた。
「……今は、そっとしておいたほうがいいかも。大丈夫よ、お腹が空いたら帰ってくると思うから」
母親として心配でないわけがないが、それでも、彼女はわざと明るく言った。
「オレたちも帰ります。……すみません、いろいろと」
上着のフードを被り、空閑が申し訳なさそうに目を伏せた。サプライズというわけではなかったが、言えば絶対に来るなと言うことがわかっていたので言わなかったのだ。
「会って話がしたかったんだけど……。嫌われてしまったんだろうね。……きみにも悪いことをしてしまった」
澄玲は雨に濡れながら、真青に頭を下げた。
「えっ?!いえ、そんな……」
「そんなことないって。突然スミレちゃんが来たから、ちょっとびっくりしただけよ。ほら、猫とか、びっくりするとまず逃げるじゃない」
息子を猫扱いしつつ、楓は手を振って否定する。が、澄玲の表情は、見上げる空のように暗い。
「カケルに、『助けてくれてありがとう』って、伝えてもらえますか。あの時、言いそびれてしまったから」
「うん、伝えておくから安心してちょうだい。……まだ、思い出せない?」
「……はい。すみません」
楓の問いに、澄玲は少しだけ眉を寄せて、小さく首を振った。
「……まあ、仕方ないよね。何か困ったことがあったら、いつでも連絡してね」
微笑む楓に、澄玲は小さく口を開けて。それから、寂しそうに目を細めて、微笑み返した。
「ありがとうございます。それじゃ、失礼します」
「うん、またね、スミレちゃん。真宙くんも」
去っていく二人を笑顔で見送った楓は、真青に向き直った。
「さて。何を話しましょうか。私もあんまり、詳しいことは知らないんだけど」
歩き出しながら微笑む楓に、真青はしばし目を彷徨わせていた。そして、
「じゃあ……、駆君とくろのすさんに何が起きたのか、知りたいです」
躊躇いがちに、そう言った。
× × ×
真青は、歩きながら去年起きた事件のことを聞き、そのまま佐藤家に招かれた。お茶を勧められ、礼を言って一口飲んでから、
「この前駆君、くろのすさんは死んじゃったって言ってたんです」
ぽつりと言った。それで気まずくなり、あまり深いことは訊かないでおこうと決めた矢先だった。
「それに、あれあさんにも実際には会ったことはないって」
「……あの子、そんなこと言ったの」
実際には澄玲は生きていて、こうして駆に会いにきた。ならばなぜ駆は、彼女は死んだなどと言ったのだろうか。
「駆ってね、結構嘘つきなの。ごめんね」
「えっ?」
真青は、不意の言葉に楓の顔を見て首をかしげた。
「でも……。駆君、嘘つくのは下手だって、自分で言ってたのに」
「それも嘘だったら?」
悪戯っぽく笑う楓に、真青はあ、と小さく声を上げた。
「普段はね、本当、嘘つくの下手なの。すぐそわそわして、わかりやすいでしょ」
駆が嘘をつくときの態度については、真青も感じていた。トゥルッターをほとんど使っていないというのも嘘だろうな、とまともに話をした初日に思った。身内や現実の知り合いにアカウントを隠している人間は多いので、嫌なら仕方がないと諦めたのだ。
でも、と前置きして、噂の主の母親は言った。
「時々、ぞっとするような嘘つくの。本人が本当だって信じてるみたいな顔で」
「そんな……」
まさか、自分がついた嘘を、信じようとしているのか。くろのすは死んだ、だからもう、とーすとに戻ってくることはない。そう思い込んで、忘れようとしているのだ。彼女が自分のことを忘れてしまったように。自分だけが一方的に覚えているなんて、寂しすぎるから。
「あの犯人が全部悪いの。駆が嘘つきになったのも、スミレちゃんが私たちのことを忘れちゃったのも、全部」
楓は、自分も一口紅茶を飲み、ため息をついた。少しだけ寄せた眉間の皺に、そうでも思わなければやっていられない、という思いがこもっていた。
「スミレちゃんも、少しずつ、思い出してはいるんだって。でも、近い記憶になればなるほど思い出せないらしくて。人間の頭の中って、不思議ね」
楓自身、忘れられているのだ。職種に似た部分があるということもあって、駆抜きでも連絡を取っていた。寂しくないわけではない。大人だから、理不尽なことも一応割り切れるというだけで。自分の半分も生きていない息子に、同じように割り切れというのは、あまりにも酷だ。
「ゲームの中で二人がどんな話をしてたのかは知らないんだけど、スミレちゃんに会ってから、駆、随分明るくなったの」
今でも巧君とは太陽と懐中電灯くらい差があるけど、元は携帯電話のバックライトくらいだったから、と楓は笑った。
「この前来たとき、卒業アルバム見て盛り上がってたでしょう。小さい頃はね、すっごく元気だったのよ。やんちゃで、服なんか毎日真っ黒に汚して帰ってくるくらい」
「そうなんですか?!」
「うん。家の中で遊ぶゲームも好きだったけど、外でも同じくらい遊んでたんだから」
思い出してみると、小学校低学年の頃の写真には、自分からカメラにカットインしてピースを決めているようなものもあった。
「そういえば、駆君、ゲームの中だとすごく元気です。よく喋るし、知り合いもいっぱいいるし」
「春果ちゃんたちと話すときは猫被ってるのよ。春果ちゃんが美人だから、緊張してるんじゃないかなァ」
母は息子の好みを知っている。息子が、目の前の少女のことを気にしていることも。
「あはは、そうだといいんですけど」
しかし、本人には自覚がないようだった。楓は微笑み、壁にかかった時計を見て、立ち上がった。
「さて、そろそろ夕飯の準備でもしようかな。どう?また食べて行かない?」
「えっ!」
佐藤さんちの夕ご飯は大変魅力的だが、駆が帰ってきたら気まずいことこの上ない。向こうもきっと気まずいだろう。
「お邪魔になると思いますし、帰ります」
真青は首を振って断り、腰を浮かせた。しかし、
「大丈夫、ケロッとした顔で帰ってくると思うから。いつもそうなの」
楓は笑いながら、その肩に手を乗せて、再びソファに落ち着かせた。
「はあ……」
楓がそう言うなら、そうなのだろう。厚意を無下にするのも憚られ、
「じゃあ、またお世話になります」
にこにこと楽しそうな楓に、笑い返すしかなかった。
「ちょっと待っててね、何かつまむもの作るから」
「あっ、手伝います!お料理教えてください!」
「そう?じゃあ一緒に作ろっか。私のエプロン、貸してあげる」
真青の申し出に、いいなァ、女の子も欲しかったんだよね、と言って、うきうきとエプロンを取りに行く楓だった。




