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×(カケル)青春オンライン!  作者: 毒島リコリス
十一章

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雨礫

 残された真青が、突然の事態に駆を追うべきか、残るべきかとおろおろしている。

「やっぱり、来るべきではなかったかな……」

空閑の同行者は、自分の姿を見るなり一目散に逃げ出した少年の後ろ姿を見て、俯いて頬を掻いた。

「せっかく来てくれたのに、ごめんなさいね。……元気にしてた?スミレちゃん」

「あっ」

楓が親しげに話しかけるのを聞いて、真青は気付き、口を押えた。

「写真立ての……。――くろのすさん、ですか?」

その名前を聞いて、凛とした空気をまとった美しい黒髪の女性、黒野澄玲は、寂しそうに微笑んだ。


 降り始めた雨粒が、静かに地面を濡らし始めた。


× × ×


 その日は、春休みに入った三月の終わりの日曜で、夜明け前から雨が降っていた。


 俺はすっかり日課になってしまった朝の遊びのために、ログインしてくろのすを待った。最近石合成がマイブームで、捨て石が大量に必要なので、暇つぶしには事欠かない。ひたすら、アイオラ鉱山のモンスターをなぎ倒していた。


 しかし。

 六時を過ぎても、七時になっても、くろのすは現れなかった。

 何か急な予定でも入って来られなかったか寝坊したか、そんなところだろう。何か腑に落ちないものを感じながらも、そう思って一度ログアウトし、朝食を食べてから、受かったばかりの由芽崎第一高校から出された総復習問題集を、午前中いっぱい使ってせっせと解く。

 そして昼からまたログイン。向かう先は、トルマリの広場だ。

「あーさん」

ライオン像の前で露店をしている長髪の青年に話しかけた。

「くろくん。どうしたの、今日は」

「勉強してたんだけどさあ、ちょっとわかんないところあって」

そこそこ名前の知られた大学の法学部に通っているだけあって、あーさんは頭が良い。家庭教師というわけではないが、分からないところがあると、こうしてちょくちょく訊きに行っていた。

「珍しいね、こんな日の高い時間から。今日はのんちゃんは一緒じゃないの?」

あーさんはくろのすのことをのんちゃんと呼んでいた。

「それが、今朝、来なかったんだよね」

「来なかった?連絡は?」

「ない」

俺は首を振った。

「……どうしたんだろうね。のんちゃんが、約束をすっぽかすなんて」

「まあ、元々約束は初めの一週間だけだったから、連絡する義理もないんだけど」

「でも、だからって連絡しないひとじゃないよね」

「それは、そうなんだよなァ……」

 くろのすは、縁や付き合いを大事にする人だった。

「どんなところで、どんな人が私を助けてくれるかもしれないからね」

打算だよ、と言いながらも、彼女の周りには確かに、和やかなコミュニティが築かれつつあった。そんな彼女が何の連絡もなしに、一年近く続いている日課を休むのは、不自然だ。もちろん、日課といっても本当に毎日やっていたわけではない。くろのすが本業の稽古で来られない時もあったし、俺も行事ごとのせいで行けなかった日もある。が、その時にはお互い、あらかじめ連絡をしていた。

「なんか、嫌な感じするね」

「あーさんも?」

いつも微笑んでいるあーさんが、いつになく真剣な顔をしている。俺も、なんとなく尋常ではない何かが起きているような、胸騒ぎがあった。

「まさかねえ……」

思い当たることでもあるのか、目を伏せて考え事をしながら、ぼそりとあーさんが呟く。

「くろくん、のんちゃんの連絡先は聞いてないの?電話番号とか」

「一応聞いてるよ。電話したことないけど」

舞台に誘われて初めて会った時に、母と名刺を交換するついでに俺にも教えてくれたのだ。しかし、俺は電話が苦手だし、社会人に無暗に電話するのも迷惑だろうと、電話帳に登録された番号にかけたことはない。

「試しにかけてみなよ」

「ええ……」

「いいから」

急かすあーさんに促され、渋々、俺は滅多に使わない電話帳から『黒野澄玲』を呼び出した。コール音が、二回、三回と続く。

「……出ないよ」

「そっかー」

五回、六回と続き、諦めて切ろうとした時だった。

『カケルかい?』

「……スミレさん?」

俺を呼んだ声は、掠れていた。電話の向こうで、強い雨の音に混ざり、電車の音が聴こえる。

「どうしたの、体調悪い?」

まさか彼女に限って、あーさんのように粗食で倒れるようなことはするまいと思いつつも、普段の艶のある声とは程遠い声に、俺は慌てた。すると、

『体調、というより、状況が悪いな……。どこだろう、ここは』

「へ?」

くろのす――スミレさんは掠れた声のまま、よくわからないことを言う。

「どこだろうって……?家じゃないの?」

『ああ、モーニングコールがきみでよかった。こんな暗くて狭いところ、きみの声が聴こえなかったら、発狂するところだったよ』

はは、と、あまり余裕のなさそうな笑い声がして、ドンドン、と、何か板のようなものを叩く音がする。

「まさか、閉じ込められてるの?」

『そうみたい。参ったな……』

「何があったの?」

『覚えているのは、バイトの帰り道に誰かに声をかけられて、殴られたところまでだ』

「えっ?!」

『おかげで、頭が痛むよ。真っ暗で何も見えないけれど、ご丁寧に布団が敷いてあるおかげで、身体が痛くないのはありがたいかな。それに、寒くもない。こんなに至れり尽くしてくれるなら、水くらい置いていってくれればいいのに。喉がカラカラだよ』

スミレさんは、俺を洞窟系ダンジョンに連れて行くときにやるように、ひたすら話し続けた。何かトラウマがあるらしく、狭くて暗いところをひどく嫌がるのだ。

「あの、俺と喋ってないで、今のうちに警察に電話したほうが……」

通報や救急の場合、GPS機能で即座に居場所が各所に通知されると聞いたことがある。それには、彼女の携帯電話からかける必要があった。

『情けないことに、この電話を切ったら、それどころじゃなくなるよ……。せめて広いか明るいか、どちらかあれば違うのに』

そういえば、以前トラップ系ダンジョンの罠にくろのすだけ引っかかって閉じ込められた時、本気で泣き叫んでいた。本来なら中からでも解除できる罠だったのだが、出して、頼むから、と普段の気丈な様子からは想像もつかない悲痛な声が聞こえて、宥めすかし話し相手をしながら外から開けてやるのが大変だったのだ。

 ひとまず、俺はなんとか、彼女が落ち着くまで話を続けようと試みる。

「声をかけてきたのは、どんな奴?」

『顔は暗くてわからなかったけれど、男だった』

ドンドン、ゴトゴトと、おそらくは脱出を試みながら話し続ける声に、俺は相槌を打つ。

『わたしの荷物はどうなったのかな……。ケイタイがポケットに入ったままだったってことは、身体を触られたりはしていないみたいだ。幸い……と言うべきかな、これは』

再び、電車が走っている音が聴こえた。それから、遠くでガチャン、という金属音と、誰かの足音。

『誰か来た。助け……では、ないだろうな……』

そして、ふ、と笑う声がして。

『――カケル、助けに来てくれないかな。私自身どこにいるのかわからないから、無茶を言っているのはわかっているのだけれど』

震えながらも、気丈に話そうとする声。

『じゃあ、運が良ければ、また会おう』

そんな言葉を最後に、電話は切れた。

「えっ、ちょっ!」

掛け直してみても、もう繋がらない。


 ――どうしよう、スミレさんが、攫われた。


 「くろくん!」

スマートフォンの画面を見つめたまま、頭が真っ白になっていた俺を現実に引き戻したのは、あーさんの声だった。

「のんちゃん、攫われたんでしょ?!会話の内容を、詳しく!」

あーさんがそんな風に声を荒げるのを聞いたのは、初めてだった。聴こえていたのは俺の声だけだったはずだが、そこから緊急事態だということを察したのだ。俺は必死に、先ほどの会話をできる限りつぶさに伝える。すぐに警察に連絡したほうがいいのだろうが、中学生の俺が通報するよりも、あーさんが伝えたほうが信じてもらえるに違いない。

「のんちゃんの本名と住所、職業は?」

「黒野澄玲。役者だから、名前を検索したら写真も出るよ。住所は――」

非常事態だ、情報を出し渋っている場合ではない。

「のんちゃんのバイト先ってどこ?」

「都内の居酒屋って言ってた。名前までは知らないけど、のす姉の家から歩いて行ける距離のはず」

「他には?物音とか、何でもいい、思い出して」

「……電車が通りすぎる音が、二回聴こえた。あと、雨が俺の家よりも酷かった。途中で雷が鳴ってた」

何か少しでも手がかりになればと必死に記憶を掘り返し、手あたり次第に伝えた。

「それだけ?」

「のす姉が、周りをあちこち叩いたりしてたけど……。なんか、鈍い音だった。車とかじゃなくて、家の壁って感じの音、かな。それに、電話が切れる前に、ガチャンって音がした。マンションとかの、鉄製のドアの鍵の音じゃないかな、あれ」

最近引っ越したばかりなので、以前住んでいたマンションの鍵の音は覚えている。ちょうど、似たような音だった。

「大丈夫。それだけわかれば、なんとかなるよ、きっと」

「え?」

「日本の警察は優秀だから。特にオレの父さんは」

ふふっ、と笑ったあーさんは、すぐにどこかに電話をかけ始めた。

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