暗雲
昼食は各自好きな場所で取っていいことになっていたので、朝から見に来ているらしい母を探して、保護者テントを彷徨う。日傘を差し、つばの広い帽子にサングラスにマスク、手袋という日焼け対策完全武装の母を見つけるのに、少々手こずった。
居場所を伝えると、海鳥がぶんぶんと手を振りながら走ってきた。
「駆ママ、お久しぶりですー!」
「海鳥ちゃん久しぶりー!障害物競走速かったねえ!」
「昔から、ああいうのは得意なんですー」
母とハイタッチで邂逅を喜ぶ。
「これ、うちの両親です!」
海鳥の後ろにいた、背の高い筋肉質な男性と、対照的に小柄でころころとした猫毛の女性が、しきりに恐縮しながら頭を下げてくる。
「ほんまに私らまでご一緒してええんですか?」
「こちらこそ、急にお誘いしてすみません」
「駆君、遅くなってごめんね!うちのお母さん方向音痴で」
続けて真青が、よく似た顔の女性の腕を引っ張ってきた。高校生の娘がいるとは思えない、若々しい黒髪の美女だった。
「初めまして、いつも春果がお世話になってます。ホントに佐藤楓さんなんですね?!サインください!」
黄色い歓声を上げて、鞄から速やかに色紙を取り出す真青母。用意していたのか。このマイペースさ、どこかで覚えがある。そして最後に、
「ちあーっす」
まだ応援団の長ランを着たままの赤城が走ってきた。先ほどまで、友人やらクラスメイトやら先輩後輩やらに捕まって撮影会状態だったのだ。ようやく解放され、着替える間も惜しんで集合したらしい。
「巧君、かっこよかったよー!」
「どもっす」
「ホントに佐藤楓だー!スゴーイ!!」
「佐藤さんちの夕ごはん、お昼に食べられるの?ヤバーイ!!」
後ろからついてきた、母と似たり寄ったりな格好で日焼け対策バッチリの双子が、母を両側から取り囲んだ。曇っていても、五月の紫外線は油断ならないらしい。
「うるっせえちょっと黙れ!そして囲むな!!」
初対面の相手を囲むのは、双子のスタンダードフォーメーションらしい。
「いいのよ、巧君。二人とも美人ねえ!モデルさん?」
「そうなんですー!ファッション雑誌とか出てます!」
「本物のカエデママ超美人ー!」
両側からぎゅーっと抱き着き、そのまま自撮り。ついでにもう一枚、真青に撮らせる。SNSに載せるらしい。スキンシップが激しいが、母がまんざらでもなさそうなので止めない。
「コンニチワー!」
「すみません、騒がしくて。お世話になります、巧の母です」
さらに後ろから、長身で彫りの深い顔立ちの男性と、真青母とよく似た美女が現れ、頭を下げた。げきま部のファミリー大集合だ。
「予想外の大人数やな。どこで食べる?」
「中庭は?木陰もあるし」
「ええな。駆ママ、中庭行きますけど――って、聞いてへんな」
母は、長ラン赤城と楽しそうにツーショットを撮っていた。
中庭の木陰にレジャーシートを広げて適当に座り、賑やかな昼食が始まった。急きょ誘ったため、各家庭で弁当を用意しているので、全て広げて全員でつまむ。
「貴方が、この前のちらし寿司の回で言ってた息子さん?」
赤城母が話しかけてきた。確か、万理子さんだったか。今でも十分に美人だが、若かりし頃はさぞ美しかったことだろう。赤城のせいでどうしても麻木先生の元カノ、と脳裏によぎってしまうのだが、もしや俺は麻木先生と趣味が合うのではないだろうか。
「あ、はい」
「すごいねえ、お弁当自分で作ってるんでしょ?」
横から、真青母こと由理子さんも口を挟んできた。
「写真のお弁当、美味しそうだったー!前に春果にもご馳走してくれたんでしょ?」
「マジで美味いんだよ、駆の弁当」
「いやー、あはは……」
そんなに誉めても何も出ないぞ。
「春果が、駆君におにぎりの握り方教えてもらった!って言って、毎日張り切っておにぎり作るようになったんですよ。男の子に料理教えてもらう時代なんですねえ」
真青家の弁当の、ラップに包まれたおにぎりを頬張りながら、由理子さんが肩を竦めた。
「それまで料理なんて興味も示さなかったのに」
ぼそり、と付け加えることを忘れない。
「お母さん!」
真青が顔を赤くして口を塞ごうとする。
「この前カレーだったから、今度は別のがいいなー」
「そうそう、ハンバーグとか食べたーい」
「アンタたちが作れるようになればいいんでしょ」
真青家の攻防をよそに、双子の遠慮のないリクエストを、万理子さんが窘める。が、
「無理ー、あんな美味しいの作れなーい」
「てゆーか、食べるほうが好きー」
全く意に介さない双子だった。
「とってもオイシーね!マリーのゴハンよりオイシー」
赤城父はマイペースに、せっせと我が家の弁当箱から肉系おかずを取り、満面の笑顔で口に運んでいる。アレックスさんというらしい。
「あら、当て付け?」
「ノーノー!マリーのゴハンも好きヨ!サイキン、食べてナイケド!」
そしてそのまま、英語で喧嘩を始めた。何を言っているかはわからないが、万理子さんが憤慨し、アレックスさんが謝っているのはわかる。と思ったら、赤城が突然それを英語で制し、二人が黙った。母と蟹屋敷ファミリーがぽかんと口を開けて固まる。
「赤城、今なんて言うたん?」
「お?美味いもん食ってるときに喧嘩してんじゃねーよ不味くなるだろって言った」
おかかおにぎりの最後の一口を放り込むハイスペックボーイに、
「ほんまに英語喋れたんや……。恐ろしい男……」
自分の家の弁当箱からウィンナーを取りながら、海鳥が感心を通り越して引いていた。
「てか、お父ちゃんもお母ちゃんも、えらい大人しいな?」
「いやー、何か場違いなんやないかなって思て……」
「そんなことありませんよー!ささ、どうぞどうぞ!お口に合うかわかりませんが!」
遠慮する蟹屋敷家に母がおかずを勧める。賑やかな昼が過ぎていった。
午後は、全体競技の綱引きの後、スウェーデンリレー、クラス対抗リレー、ブロック対抗リレーと、赤城が出ずっぱりだ。クラス対抗リレーなど、二組は第一走者が転び最後尾になったにも関わらず、第三走者の月下が三人抜き、アンカーの赤城が四人抜き、トップに躍り出るという劇的な展開だった。
「来年の赤の大将は間違いなく赤城だなあ」
救護テントから眺めのいい用具テントまで遊びにきた麻木先生が、クラス全員に胴上げされる赤城を見て、タバコの代わりに棒付きの飴をくわえて笑った。たとえ他の色になったところで、何か強大な界の意思が働いて赤ブロックになりそうな空気すらあった。
「しかし、天気持ってよかったな。帰る頃に降るんじゃねえか。濡れて風邪ひくなよ」
養護教諭らしく健康を気遣いながら、ひらりと手を振って去っていく麻木先生。言われて天を仰ぐと、午前中はうす曇りだった空に、徐々に黒い雲が立ち込めていた。
結局、総合優勝は赤ブロックだった。点数の高い騎馬戦とリレーの類を軒並み持っていったのだから、もはや必然だった。
赤城は総合MVPとして応援団の打ち上げに強制連行されて行き、海鳥も自分のクラスの打ち上げに参加すると言って、帰っていった。三組も打ち上げをやるらしいが、俺は参加しなかった。
「あーあ、負けちゃった」
「巧君、すごかったもんねえ」
校門に向かう道中、母と真青が喋っている。真青も打ち上げには参加しないというので、途中まで一緒に帰ることになったのだ。
ふと見ると、校門の前に人影があった。私服なので、生徒ではない。門に寄りかかり、誰かを待っているようだった。ひょろりと背が高く、端正な顔をした青年だ。
「駆君も、騎馬戦頑張ってたよね。……駆君?」
話し掛けた真青が、立ち止まっている俺に気付いて、その視線の先を追う。校門に立っている男性を見て、
「あっ!もしかして、あれあさんですか?!」
「ん?そういうきみは、ルリちゃんかな?」
スマートフォンを弄っていた青年が、真青の声に振り向いた。髪は黒くて短いが、顔立ちはゲームとよく似ていた。
「そうです!ホントに来てくださったんですね!」
「うん、初めからじゃないけどね。カケル、久しぶり。二度目かな?」
「ああ、うん。久しぶり……」
AreAの中身。本名を、空閑真宙という。
「一人で来られたんですか?」
「ううん、もう一人いるよ。今、飲み物買いに行ってる」
「暑かったですもんね」
嫌な予感がした。
「初めはオレ一人で来るつもりだったんだけど、カケルに会いに行くって言ったら、ぜひ自分も行きたいって言ってね」
だめだ、一刻も早く、ここから立ち去らねばならない。空閑の同行者に会ってはいけない。手に嫌な汗が滲む。
「あ、戻ってきた」
「あれ?」
真青が、彼女を見て、首をかしげた。
「あら」
母も、口に手を当てて驚いた顔をしている。
「俺、ちょっと忘れ物思い出したから、戻るね」
声が震えた。そして、
「ただいま。あっ、きみは――」
「駆君?!」
「駆!」
真青と母の呼び止める声も聞かず、俺は、来た道を全力で引き返していた。




