アイシング
体育祭のブロック分けは毎年、出席番号で決まることになっている。青・赤・黄・緑の四色対抗で、一番が青、二番が赤、という感じで順に割り振られていくので、二年二組出席番号二番、赤城巧は、見事に赤ブロックだった。
「ほんま運命力強いなアンタ」
放課後を取られるので、せめて昼休みに集まろうということになり、保健室で昼食を摂りながら海鳥が呆れた。と言っても、二年三組の一番は青木という名前の男子なので、彼にも同じことが言えるわけだが。
「そういうお前らは?」
自分の総菜パンを平らげた後、まだ物欲しそうにしている赤城に俺の弁当を差し出すと、昨日の晩多めに作って一口サイズに切っておいたメンチカツを、礼を言って一切れ持っていった。複数あるおかずしか取らないところが、彼なりの優しさだ。
「うちも人のこと言えへんけどな。八番やから緑やもん」
「私、黄色。三十一番だから」
真青は最近、小さ目の弁当箱におかずだけを詰め、おにぎりを別に持参するようになった。俺が教えたラップ戦法で自分で握るようになったらしい。ラップに包まったままの、小さめのおにぎりが愛らしい。
「十四番だから俺も赤……」
大体毎日入れている卵焼きを頬張りながら俺が答えると、
「二人、同じブロックか。負けへんで」
海鳥が対抗心を燃やし始めた。
「お?もしかして体育祭も例の勝負の対象にしてくれんの?」
「するかいな!」
「チッ」
「どうでもいいけどお前らここ溜まり場にすんのやめろ」
この時期は擦り傷を作った生徒が頻繁に来るため忙しいのだそうで、不機嫌な保健医だった。
× × ×
体育祭の競技は、どれだけ影が薄くても何の種目にも出ないというわけにはいかない。怪我や病気などの例外を除いて、男子は騎馬戦に全員出場しなければならないので、最低でもあと一つ。
五限目、ブロック別に教室に集まり種目決めをしている最中、適当に足を引っ張らず目立たない種目を、と思っていたら、
「佐藤駆、借り物競走出まーす」
「え?!なんで?!」
いつの間にか隣の席を陣取っていた赤城によって、勝手に選ばれてしまった。
「何か得意そうじゃん」
直感らしい。完全に運ゲーなので得意不得意もないと思うのだが。とは言え、足の速さがあまり関係ないので、ガチのレースに参加させられるよりは気は楽だ。
ちなみに当の赤城は、応援団の他、百メートル走、スウェーデンリレー、大トリのブロック対抗リレーと、単純な足の速さがものを言う競技ばかり、本人が挙手する前に推薦されていた。おそらくクラス対抗リレーにも出るはずだ。足の故障は長時間負担のかかることをしなければ大丈夫だということだし、本人も楽しそうなのでいいのだろう。
放課後は、赤城を抜いた三人だけでランク上げに勤しんだ。昇降口で海鳥と落ち合うが、彼女は家の方向が違うので、校門の前で別れる。それはつまり、再び真青と二人きりになるということで。去り際の海鳥に「がんばりや」と耳打ちされたが、何を頑張ればいいのだ。と思っていたら、
「駆君って、海鳥ちゃんが好きなのかと思ってたんだけど……。違うの?」
「っへ?」
あらぬ方向から爆弾が飛んできた。
「まさか。気が合うなァとは思うけど、そういうのは全然!」
俺は急いで否定した。シンパシーを感じるというだけで、恋愛対象ではない。と、もしや俺と海鳥が喋っていると赤城が黙るのは、妬いていたのではと気付いた。いちいち恋愛に換算しやがって面倒くさい、などとは思っていない。本当だ。
「ホントに?巧に遠慮してるんじゃないかと思って、心配してたんだよね」
それならよかった、と真青は笑った。
「じゃあ――くろのすさんっていう人は?」
続けて真青の口から発された言葉が一瞬理解できずに、ぽかんと口を開けて立ち止まってしまった。
酷い顔をしていたのだろう。数歩歩いてから、俺が立ち止まっていることに気付いて振り返った真青は、丸い目を更に丸くして、あからさまに、しまった、という顔をした。
「変なこと聞いたよね。ごめんね」
慌てて謝る真青の声も、なんだか遠くに聴こえた。まさか、彼女の口からその名前が出るとは、思いもしなかった。
「誰から……。ああ、ある美さんか」
すぐに、情報源には思い当たった。共通の知り合いの中でくろのすのことを知っているのは、彼女くらいだ。大方、写真立てを見た後――連休中に女子ばかりで話していたという時にでも、そんな話題が出たのだろう。隣に追いついて、なるべく何でもないふりをして訊ねる。
「何か聞いた?」
「ううん。前に仲がよかった女の人がいたって聞いたくらいで……。アルミさんも、詳しくは知らないって言ってたから、ホント、それだけ」
首を振り、早口で弁解した後、ごめんね、ともう一度謝られた。そんな風に言われると、なんだかこちらまで申し訳なくなってくる。
「そっか。……どうなんだろ。好きだったのかなァ」
改めて訊かれると、よくわからない。外見はストライクだったし、そうでなくてもものすごい美人だった。人間的にも好ましい人物であったことは間違いないのだが、恋愛対象かと問われると、首をかしげざるを得なかった。全く好意を寄せていなかったと言えば嘘になるが、単なる大人の女性への憧れだったのかもしれないし、彼女が時々思わせぶりな態度を取るので、調子に乗って勘違いしていただけかもしれないのだ。
「……今は、くろのすさんはとーすとはやってないの?」
再び、真青は訊ねた。
「あー、うん」
盆の窪をさすり、どう言おうかと、少し悩んで。
「……死んじゃったからね」
はは、と力なく笑うと、真青は口を少しだけ開いて、何か言おうとして結局口を閉じて、俯いて黙ってしまった。水を張った水槽に、突然沈められたような気分だった。
「なんで急にそんなこと訊くの?」
特に言うことでもなかったし、これからも言う必要はないと思っていたのに。
「深い意味はなかったんだけど……本当、ごめん……」
頑張れと言われた傍からこれだ。今日ばかりは、ある美さんを恨んだ。
会話が弾まないまま分かれ道までとぼとぼと歩き、最後にもう一度謝られ惨めな気分で帰宅した後。俺は、荷物を置いて着替えるや否や、キッチンの、普段開けない戸棚をごそごそと漁っていた。
「駆、何か嫌なことでもあった?」
「へ?なんで?」
とーすとにログインもせず、夕食を作った後一心不乱にやたら細かいレース柄のアイシングクッキーを作っているところに帰宅した父が、まだプレーンなクッキーを一つ摘まんで、口に放りながら言った。
「駆がゲームもせずに、料理じゃなくてお菓子を作ってるときは、大体嫌なことがあった時だからねえ」
「そうだっけ。……喧嘩……じゃないなァ。あんまり触れられたくないことに急に触れられて、一人でモヤモヤしてるところ。あ、夕飯はレンジの中。温めるよ」
レンジの中に入れたエビピラフを温め、スープにも火を入れ直す。
「ありがとう。最近、珍しいことばかりだねぇ。これから珍しくなくなるのかな」
「珍しいって、何が?」
「友達を家に連れてくるとか、誰かと喧嘩してくるとか」
言いながら、もう一つクッキーをつまんだ。美味しいねこれ、と、その昔、学部のマドンナと言われた母を落とした、溶けるような笑顔で言う。
「不謹慎だけど、僕はちょっと嬉しいよ」
言っている意味が分からず、俺は父を見た。
「僕がそうだったからわかるんだけど……インターネットって、自分の居心地のいい場所を選べるからね。だんだんそういう場所を探すのが上手くなって、狭いコミュニティで気の合う仲間としか話さなくなる」
「ああ、それはなんかわかる」
ギルドなんて、その最たるものだ。合わないものは抜けていくし、どうしてもギルド内でばかり交流してしまい、あまり他のプレイヤーとも喋らなくなってしまう。
「それに駆は、人の訊かれたくないこととか、気に障ることをなるべく訊かないようにするでしょう」
僕に似て面倒くさがりだから、と笑った。そうだ、喧嘩することも誰かを嫌うことも、面倒だからやりたくない。やりたくないから、火種になりそうなことは極力避ける。さすが我が父、息子の性格をよくわかっていらっしゃる。
「でも、相手もそうとは限らないからね。ちゃんと青春してるんだなァと思ってね」
「何それ」
笑いながら、レンジから取り出した皿とカップに移したスープにスプーンを付け、トレーに載せて渡すと、
「僕も年取ったなァ」
しみじみと、溜め息を吐く父だった。




