状態異常:混乱
九時を過ぎても二人が現れないので、真青と俺は雑談モードに入り、十分ほど経った頃だっただろうか。
「はぁん?!何言うてんのアンタ!」
遠くから聞き覚えのある賑やかな声がして、本棚の向こうで何か言い合いをしている二人が見えた。
その後、差し入れを持って現れた二人に――主に赤城のほうに――真青がちくちくと小言を言い、赤城が適当に謝るいつもの流れ。そして海鳥は何故か、場所を取っていた正面の席ではなく、真青の隣に座って、せっせと問題集を解き始めた。一方赤城は俺の隣に座って、
「なんで春果は家庭科の勉強してんだ」
「話の流れで、つい……」
いつも彼女が使っているルーズリーフのノートに米の炊き方が記されているのを見て、呆れた。真青はノートのまとめ方も綺麗だった。
× × ×
そんな有意義な勉強会の日から、なんだか海鳥の様子がおかしい。
いや、俺に対しておかしいわけではない。休み時間などは三組の教室に遊びに来て、真青とも和やかに話している。のだが。
「おい、なんで来ねえんだよ」
「せやから、勉強せなあかんて言うてるやんか」
同じく頻繁に教室に遊びにくるようになった赤城と鉢合わせ、話し掛かけられると、あからさまに逃げるのだ。夕方に、任意で短時間ログインすることにしていたのだが、そこにも現れない。
「ふーん、随分熱心に勉強してんだなあ。なら、中間の結果も大丈夫そうだな?」
赤城も赤城で、明らかに避けられているにも関わらず、特に気を悪くした様子がないのが、気になった。
気が付けば一週間が過ぎ、明日から中間考査が始まるという日曜日にも、とうとうライムは現れなかった。
「ねえ巧、海鳥ちゃんに何したの?」
ルリが蘇芳に怪訝そうに訊ねた。
「別に?何もしてねえよ」
言いながらも、何もしていないわけがない楽しそうな声で答える蘇芳。俺は仕方なく、ルリが自分のクエストを進めるべくいなくなってから、一対一会話で訊ねた。
「リーダー、任命して早々にチームの和を乱されると困るんですが」
すると、少しためらうような間があった後、渋々答えた。
「俺も正直、ここまであからさまに避けられるとは思ってなかった」
「……やっぱり何かしたんだ……?」
真青には言いたくないことなのだろうか。
「何かってほどじゃねえよ。好みのタイプ聞かれたから、『お前』って言ってやったら寄りつかなくなった」
さらりととんでもないことを言ったぞこの男。めちゃくちゃ「何か」ではないか。草食系男子など一瞬で消し飛んでしまうほどの積極性だった。
「……それはまた……」
同志だからわかるのだが、海鳥は基本的に、自分が他人からそういった対象に見られるなどと、微塵も思っていない。ゲームで主人公と他のキャラクターが恋仲に発展しても、自分を重ねるようなことは一切せず、あくまでもキャラクター同士の恋愛だと割り切ってしまうタイプ。つまり――当事者になることに全く慣れていない。そんな彼女に、よりによって恋愛シミュレーションゲームのメイン攻略キャラのような男が、いきなり好意を告げてきたのだ。一週間程度では処理しきれないくらいの熱暴走を起こしているに違いない。
「本気で言ったの?からかったの?」
「一応本気だったけどさあ。嫌われたかもしんねえなあ。チャラいの苦手そうだもんなあ」
はーあ、と肩を落として首を振った。おや、予想外に落ち込んでいる。自分が好意を告げて断る女などいないくらいに思っているのだとばかり思っていたので、少し意外だった。
しかし、このままでは今後の活動に支障が出そうだ。二人がログアウトした後、俺はアバターを変えずにコロセウムに向かった。そして、対戦者を募集している部屋を検索する。その名前はすぐに見つかった。
挑戦者チケットを発行し、すぐにワープポイントへ向かった。
転送されたフィールドは荒野で、天候は晴れ。レギュレーションは三分HP0。ガチ勢らしい早期決着フィールドだ。
荒野は、岩が点在しているものの基本的には平らで開けた土地だ。転送された瞬間に迷彩で姿を隠し、辺りを見回す。索敵を使わずとも、少し高い岩に登ればすぐに相手の姿が見える。
「ターラバくん。あっそびましょ。キャスト、風斬砲!」
「うわっ?!」
ブラスイーグルを構えて加速で距離を詰め、至近距離からぶっ放す。頬に傷を作りながらもなんとか避けた黒衣の青年は、振り返り様に鎖鎌で一閃する。が、飛び退いた俺には当たらない。
「なんでおんねや!!」
海鳥のメイン、対人大好きギルド百鬼夜行所属『死神』のタラバは、キャラ作りの標準語も忘れて悲鳴を上げた。
「最近つれないから、こっちから来てやったんじゃん。キャスト、水鉄砲」
「よううちがここにおるってわかったな?キャスト、火炎斬」
俺の水属性攻撃を、火属性攻撃で打ち消すタラバ。サラマンダーは火の精霊のはずだが、西洋にはそういう名前のイモリだかトカゲだかがいるらしい。決してネタ切れなどではないはずだ。
「そりゃ、同志だからね。俺が同じ状況だったらどうするかなーって考えたら、やっぱ黙々と料理作ってると思ったから」
「……対人戦好きのうちやったらコロセウムにおるやろって?キャスト、二連真空刃」
仮面を付けているので口元の表情しか窺えないが、口元を歪めてぼそぼそと言う。拗ねたような、困ったような、弱々しい声だった。
「キャスト、身躱。せっかく増えた貴重な戦力が調子悪いと困るんだよ。デスサイスまで貸してあげたのにさ。キャスト、捕縛」
「キャスト、真空刃。それはほんまにすまん。せやけど、赤城も赤城やと思わん?話聞いたんやろ?」
銃口からワイヤーガンの要領で伸びた縄を、鎌で冷静に叩き落すも、その声はいよいよ泣きそうになっている。アバターは健康でもリアルが混乱状態だ。しかも一週間前から続いているなど、赤城も恐ろしい呪いをかけたものだ。
「うん、まあ、確かに……」
それについては、同情するしかない。
「一週間前まで名前も知らんやったような女に、お前が好みとか言うか普通!硬派やと思てたんに」
「いや、硬派だと思うよ。ずっと真青さんと付き合ってるふりして、彼女作らなかったんだし。キャスト、粘網」
軽く目で追っているだけでも、あからさまに好意を寄せている女子の姿が散見できるほどだ。よりどりみどりどころかハーレムでも作れそうなレベルなのに、ずっと独り身を貫いているのだから、天晴れな男だ。
「わっとと、ほんならなんで急にうちにそないなこと言ってくるん!」
「そんだけ好みだったんじゃないの」
足元に飛んできた粘網を避け、八つ当たりのように右手の鎌をぶん投げてきた。俺は通常弾を三発撃って勢いを殺し、キャッチして引っ張る。
「うえっ。あーもー、わけわからんわ……」
引っ張られたことでつんのめって、せっかくよけた粘網に、顔から突っ伏してしまった。起き上がるも、蜘蛛の巣のような粘り気のある糸がべたべたと張り付いて、まともに動けない。俺から額に狙いを付けられて、はあ、と肩を落としてため息をついた。
「おかげさんで、勉強はよう進んでるわ……未だかつてない問題集の埋まり具合やで……」
別のことをして考えないように努めていたらしい。が、試験期間が終わればどちらにせよ向き合わねばならぬ問題だ。いつまでも同じ方法で逃避しているわけには行かない。本人もわかっているのだろう。
『対戦残り時間、一分です』
「キャスト、鯨尾」
俺が撃つ気が無いとわかるや否や、粘網に弱点の水属性スキルをぶつけた。水飛沫を目くらましに脱出し、距離を取って再び構える。混乱状態でもそれなりに戦ってくるところが戦闘狂の恐ろしいところだ。
「海鳥はどうなの?いきなりそういうこと言われて、嫌だった?」
赤城も、急に距離を詰めようとしたことを後悔しているようだった。なんでもなさそうに見えて、彼も調子が狂っていたのかもしれない。
「……ない」
「なんて?」
ぼそりと言った言葉は、荒野を吹く風の音に掻き消されて聴こえなかった。首をかしげて聞き返す。
「嫌やないから困っとるんやないか!キャスト、加速!」
「キャスト、跳躍」
速度に乗せて斬りかかってきた鎌を飛びのいて躱し、攻撃モーションが終わった直後のタラバに空中から撃ち込む。
「なんだ、そうなの?赤城気にしてたよ、嫌われたかもって」
「気にすんのやったら最初から言うなや!腹立つー!!」
避けることができずに肩と腹に食らいながら、タラバは吠えた。そして。
『対戦時間終了。両者生存につきヒットポイント判定を行います。チャレンジャーの勝利です』
「俺に言われても……」
「せやな……」
『YOU WIN!』の文字の向こうで、タラバは地べたに胡坐を掻いて、再びため息をついた。




