フラグ
デスクスペースが見える本棚の陰から、和気藹々とした駆と春果の様子を伺う人影があった。
「ええ感じなんと違う?」
「お前、勉強は?」
もちろん、赤城巧と蟹屋敷海鳥の両人である。海鳥が屈んでいる頭上から、苦言を呈しつつも、同じように覗く巧。時刻は九時ちょうど。デスクスペースにいる二人に声を掛けようとした巧を、海鳥が棚の陰に引きずり込んだところだった。
「固いこと抜かさんといて。我が同志にフラグが立ってんねんで。邪魔したらあかんやろ」
にやにやと見ながら、巧が出て行かないようシャツを引っ張り続ける海鳥。
「……フラグ?」
その手を迷惑そうに剥がし、巧は首をかしげた。ゲーム用語は彼には通じなかった。
「もうちょっと俗物の言語も学んでくれはると助かりますわ」
「知るかよ、わかるように言え」
海鳥は不満そうに目を細めて巧を睨み、仕方なく言い直す。
「何か面白いイベント起きそうやなー言うてんねん」
「それならわかった。で、どうすんだよ」
「おし、何か甘いもん買いにいこか。遅れたお詫びに」
ふくれっ面をしていたかと思えば急に笑顔になり、海鳥はひょいと立ち上がって踵を返した。
「今行きゃ詫びなんかいらねえだろ」
スマートフォンの時計を見た巧が、呼び止める。
「ええやん、二人楽しそうやし」
「お前なあ」
「今のアンタ、小言言う時の春果ちゃんそっくりやで」
「……」
血筋やなー、と笑う海鳥の後ろを、口の端を歪めて盆の窪をさすり、渋々ついていく巧だった。
海鳥と巧は一度図書館を出て、図書館前のコンビニに入った。適当につまめるチョコレート菓子やスナック菓子と飲み物を買い、図書館へ引き返しながら巧が訊ねる。
「お前、駆のこと狙ってんじゃねえの?」
「はあん?何言うてんの。駆は同志や同志」
恋敵に塩を送るようなことをしていいのかと問う巧に、海鳥は器用に片眉を上げて不可解な顔をした。
「その同志っつーのもよくわかんねえ」
「せやから、読んで字のごとく、同じ志を持つ者やん。英語が得意な赤城君には何て言うたらええの?ブラザー?ソウルメイト?」
わかってへんなー、と大げさに肩をすくめてみせる海鳥。巧は少しむっとしてから、何か思いついた様子で口の端を持ち上げた。
「知ってるか、ウチの部に入ったら、好みのタイプを宣言する決まりなんだよ」
別に決まりでもなんでもなく、駆が入部した日に、たまたま話がそういう流れになっただけだ。案の定、海鳥は巧の顔を見上げて怪訝な顔をした。海鳥は百五十センチ少々しかなく、巧は百八十センチを超えているので、並ぶとかなり身長差がある。
「知らんわ、うちパソコン部からの出向やし、関係あらへんやろ」
「ちなみに駆は『ポニーテールが似合う子』って言って逃げやがった」
巧が口調を真似て言うと、
「なんやそれ!春果ちゃんもちろん気付かへんやったろ?」
「気付くわけねえだろあの鈍感が」
海鳥はうっひゃっひゃと腹を抱えて笑った。
「ほんで?春果ちゃんの好みは?」
「駆の"顔"は間違いなく好みだと思うんだよなあ」
「顔?あの猫みたいな女顔?」
結局写真でしか見てへんけど、と言いつつ、海鳥はその顔を思い浮かべようと視線を斜め上に逸らす。
「おん。性格は……どう思うよ」
「合うてるんと違う?春果ちゃんちょっとアツいとこあるけど、その分駆は穏やかやし」
最終的に、世話焼きな春果と、被虐気質の駆は、春果が愛想を尽かさない限り大丈夫なのでは?という結論でまとまった。
「まあ、すぐにくっつくようなことはないやろし、今後も見守るいうことで」
春果は色恋沙汰に鈍く、駆は好みは必要以上にはっきりしているが、憧れだか恋だかわかっていない段階、という。
「見てるこっちがもどかしいんだよなあ」
「それなー」
再度デスクスペースが見える本棚の陰に辿り着き、二人の様子を伺うと、学力的には上のはずの春果が、駆に何か教わりながら真剣にノートを取っていた。
「何してんだと思う」
「初心者でも作れる料理のレシピでも習っとんと違う?」
あかん、ツッコミがおらん、と渋い顔をして出ていこうとした海鳥に、不意に巧が訊ねた。
「で、お前は結局どんな奴が好みなわけ」
「まだその話続いとったんか。アンタの好み聞いてからや」
もはや終わった話題だろうと投げやりに訊き返す海鳥。そして、
「お前」
すっと目の前に降りてきた指先と、にやにやと笑っっている巧の顔を、しばしきょとんとした顔で交互に見てから、
「はぁん?!何言うてんのアンタ!」
言葉の意味を理解するなり、ボッと火がついたように海鳥の顔が赤くなった。思わず大声を出してしまい、図書館の中だったことを思い出して慌てて口を噤む。
「……からかってんねやろ?」
と、少し釣り目がちな目で睨みつける。が、
「そう思いたきゃそう思えよ。後で二人に訊いてみろ」
巧は眉間に少しだけ皺を寄せながら、首を振ってそう答えた。他人の感情の機微に聡い男は、春果と駆が、自分が海鳥に一目惚れしたことに気付いていることを、察していた。
「う、嘘や嘘や。二人もグルなんやろ?信じひんで、うちは」
「おら、言ったぞ。お前も言えよ」
「嘘言う奴に言うことなんかないわ」
ないない、と手を振り、海鳥は引き留められる前に今度こそ、二人の元へ小走りで駆け寄っていった。




