勉強会
再び休日がやってきた。由芽崎市立図書館に十時集合ということで、俺が意気揚々と出かける準備をしていると
「最近、楽しそうだねえ」
久しぶりに休みが被った父が、寝間着のスウェットと寝癖の付いた頭で見送ってくれた。
「そう?いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
そして、集合時間よりも十分ほど早く図書館に着いた。広々とした敷地に佇む近代的な建物で、手前には芝生が敷かれ公園のようになっている。
駐輪場にバイクを停め、室内にいるには勿体ない天気だなァと空を見上げていると、
「駆君!」
背後から、快晴の青空が降ってきたような、涼やかな声がした。さすが、優等生は十分前行動など当たり前だ。
「あ、真青さんおはよ……」
「あーっそのまま!」
「へっ?」
カシャ、といつか聞いた音がして、振り向きざまの俺の顔にスマートフォンを向ける美少女と目が合った。
「えっ、あっ?!」
一瞬何が起きたのか分からなかったが、まだヘルメットを被ったままだったので、前髪を下ろしていなかったことに気付いた。
「えっへへー、早く来てよかった!」
「また?!」
「今度は堂々と撮ったもん」
何故貴女は俺のノー前髪スタイルを撮りたがるのだ。慌ててヘルメットを脱いで、前髪を戻しながら抗議した。
「写真は事務所通してください……」
「えーっ」
真青がいつも持ち歩いているスマートフォンに俺の写真が保存されているなど、彼女の正気が疑われてしまう。しかし、当人は意に介さない。と、そこでやっと、俺は真青の格好を直視した。
裾がフリルになった細身のワンピースにショートパンツを合わせた、活動的ながら可愛らしい服装。そして――いつも下ろしている黒髪を、うなじで結い上げ、バレッタで簡単に留めていた。
「どうしたの?」
ぽかんと口を開けて固まってしまった俺に、真青は首をかしげた。
「あ、いや、なんでもないです……」
懐かしさすら覚える、彼女と同じ髪型。性格も雰囲気も全然違うし、別に重ねているつもりは全くなかったのだが。なんで敬語なの?と無邪気に笑う真青に、曖昧に笑い返して誤魔化した。
「先に中入ってようよ」
「うん……」
まだ来ていない二人に『奥のデスクスペースにいるからね』とメッセージを打つ後ろ姿を、俺は複雑な気持ちで見るしかなかった。
なんとか気を取り直して、館内のデスクスペースを四人分確保して座り、俺と真青はそれぞれテキスト教材を鞄から出した。
「駆君、苦手な教科ってある?」
「むしろ得意な教科がないなァ。応用が苦手っていうか」
基本的なことは理解できるのだが、少し捻られるとすぐにミスをするのだ。満点は小学校以来取っていない。
「ゲームだと、面白いことするのにね」
真青はくすくす笑う。本当に、何度見ても彼女の笑顔は魅力的で、状態異常の魅了とはきっとこういうものなのだろうと感じた。もちろん、現実の俺は魅了無効のスキルは持っていない。赤城なら持っているかもしれない。
「好きなことじゃないと、身が入らないんだよねえ」
「そっかー。じゃあ、なんでゲームが好きになったの?きっかけは?」
俺の隣に座り、さっそく問題集を開きながら真青は訊ねた。
「きっかけ?」
言われて、改めて考えてみる。
「うーん。初めは、父さんがやってるのを横で見てたんだ」
それから、遊び方を覚えて父と一緒に遊ぶようになり、そのうち一人で遊ぶようになった。もはや、そこにゲームがあったから、としか言いようがない。遺伝子に刻まれた何かなのではという気がしてくる。
「そんなに真剣に考えさせるつもりじゃなかったんだけど」
しまった、真青を困らせてしまった。今日は勉強をしに来たのだ。雑談で手を止めている場合ではない。
「いや、考えたこともなかった。真青さんは?なんでゲーム始めたの?」
見た目はとてもテレビゲームなどするようには見えない。浮世に触れていなさそうというか、流行りの少女漫画くらいなら読んでいるだろうか、くらいにしか思っていなかった。
「私?私はねえ、……小学校上がる前に、両親が離婚してね。家にいる時の遊び相手がゲームくらいだったんだよね」
何気なく振ったつもりが、ヘヴィな話題にシフトしてしまった。これだから会話のキャッチボールは難しい。
「人見知りだったから、友達もあんまりいなくてさ」
「へ?そうなの?」
コミュニケーションの鬼は、幼少期から鬼だったのだとばかり思っていたが。
「巧は友達いっぱいいたから、あんまり頻繁に家に押しかけるわけにもいかなかったし」
「あはは……」
容易に想像できた。人を惹きつける力というか、カリスマ性というか。彼についていけば楽しいことがあるに違いない、と思わせる空気があるのだ。きっとガキ大将だったのだろう。
「あ、そっか」
「どうしたの?」
「俺がゲームを好きになった理由なら、思い出したよ」
「なになに?」
どうして思い当たらなかったのだろう。簡単なことだった。
「自分じゃない誰かになれるからだよ」
目立つのは怖い。しかし、憧れがないわけではない。地味男子同盟に甘んじながらも、赤城のように輪の中心にいるような人物になれたら、と思うことは、度々ある。それを叶えてくれるのがゲームだった。ゲームの主人公はいつだって、一番強くてかっこよくて皆に慕われているから。俺の答えに、真青は小さな口をぽかんと開けて、しばし俺の顔を見ていた。至近距離過ぎて前髪の効果が薄い。
そろそろ耐えられなくなってきた頃、真青は不意に噴き出して、言った。
「だから、とーすとのアバターも全然違う顔にするんだ?」
「そ、それは、単純にあんまり自分の顔が好きじゃないだけで……」
くろすは三白眼のギザ歯、しゅがーは正統派イケメン、ナルは少しだけ寄せたが、コンプレックスの目元は釣り目にした。
「あ、もしかしてカワイイって言われるの嫌だった?ごめんね?」
「うっ」
改めて謝られるのも、気にしていることがバレて恥ずかしい。それを隠すべく、手で更に顔を覆う俺。そして、
「でも、駆君ホント、全然変な顔じゃないよ?猫っぽくてかわい……あっ」
謝った傍からまた口を押える真青だった。




