お兄様と呼ばせて
五月五日。ずっと休みだと、なんだか調子が狂う。さて今日は何をしようかと、朝からくろすでログインして島に行くと、
「くろす!」
何やら尋常ではない様子で、マオマオが走り寄ってきた。
「おはよ。どうしたの?」
「おはよう……。あの、今からトルマリの仕立屋の前に、来てほしいんだけど……」
「仕立屋?いいけど」
どうしたのだろうか。頼み事をしてくるなんて、珍しい。しかも、眉をハの字にして必死の形相だ。何か事件が起きているらしい。とにかく、行ってみるしかなさそうだ。
仕立屋は、トルマリの大通り沿いにある。二スロットの装備が買える以外にも、糸車やミシンが置いてあるので、人通りは多い。島を買ってからはご無沙汰していたので、久しぶりに訪れる。、
「あっ!」
店の前の花壇の縁に腰かけていた少女が、こちらを見るなりぱっと顔を明るくして立ち上がった。
「つ、連れてきたよ……」
マオマオが、彼女に俺を紹介する。ウェーブの掛かったピンク色のショートボブの、小柄で利発そうな女の子だった。装備は、フードパーカーとショートパンツにショートブーツという、仕立屋で買えるものばかり。そしてなぜか、ほあー!と目を輝かせながら俺を見上げてくる。マオマオがやたらと怯えているのが気になった。
「誰?」
首を傾げる俺に、少女は我に返って背筋を伸ばした。
「はっ、すみません!あたし、ミカミカっていいます!」
「はあ、どうも。くろすです」
少女の頭上に、♡micamica♡というぶりぶりな名前が表示された。そして、ミカミカは突然言い放った。
「あのっ!くろすさんのこと、お兄様って呼んでいいですか?!」
「……はい?」
だめだ、何もわからない。俺は考えることを放棄した。
「み、三上さん……。ちゃんと説明しないと、わかんないよ……」
マオマオが、怖々と口を出す。しかしミカミカは意に介さない。
「ミカでいいって言ったじゃん。あたしもマオって呼ぶからさ!」
どうやら、本名を知っている仲のようだ。リアルの友達だろうか、しかしそれにしてはマオマオが怯えすぎなような、と、そこまで考えて、ふと思い出した。
「あっ、いじめっ子その三」
思わず、指を差して思い切り不躾に口を滑らせてしまった。髪が明るいピンクだったので印象が違ったが、駅で麻緒を取り囲んでいた三人組のうちの、一番やる気がなさそうだった栗色の髪の少女に似ている。ミカミカは俺の発言に少なからずショックを受けたようで、ガーンと音がしそうなくらいに目を見開いてよろけた。
「くろす、ストレートすぎ……」
「ごめん、つい……」
いじめられていたはずのマオマオすらフォローに回るほどのパンチをかましてしまった。俺も混乱していたので、許してほしい。
とりあえず、各自落ち着くべくカフェに移動して、飲み物を頼んだ。ミカミカはその間、俺がNPCを呼び止めても、三人分一緒に注文するだけでも、いちいち感動していた。
「それで、えーっと……。何から訊けばいいのこれ」
「私も、よくわかんない……」
ミルクセーキを太めのストローで吸いながら、マオマオも頭の痛そうな顔をしている。
「……まず、これまでの経緯は?」
「……くろすと遊んだ後、三上さんからくろすを紹介しろってメッセージが来て……。本当の兄じゃないことはわかってる、誰にも言わないでやるからどこで知り合ったのか教えろって言われて……仕方なく……」
そして小さな声で、連絡先教えた覚えないんだけど、と付け加えた。ちょっとした脅迫だった。あまりにも恐ろしかったので、渋々とーすとのことを教えたら、その日中にアカウントを取ってゲームを始め、この数日でトルマリまで辿り着いたらしい。既に突破した者の手伝いがあれば難しくはないが、なかなかの執念と行動力だった。
「そんなに強く言ってません。教えてほしいってお願いしただけです!」
「自分を虐めてた奴からいきなり言われたら、普通に怖いでしょ」
「はう」
徹底的にマオマオサイドに付くことにする。が、結構強めに言っているにも関わらず、何故かミカミカは俺が発言する度に口を押えて恍惚の表情を浮かべる。新ジャンルの娘だ。
「で、なんで俺に会いたかったの?」
紆余曲折を経て、やっと本題に入った。長い道のりだった。
「えっ、それは、そのー……」
ハキハキと喋っているかと思ったら、急にもじもじと両手の指を絡めて言い澱む。
「ひ、一目惚れ?」
ぽっと頬を赤らめるミカミカの言葉は、異次元の言語のようだった。
「三上さん?!」
マオマオも、突然の告白に目を丸くしている。
「えっと……。わけがわからない」
なぜ、自分が虐めていた同級生の兄(仮)に現行犯を見つかり窘められたことが、一目惚れに繋がるのか。普通は、反感を持ちはすれど恋愛感情など起きないのでは。
「そのぉ、突然現れて、あっさりきららとまりんからマオを助け出して、さーっといなくなっちゃったのが、すっごくかっこよくて……」
茶髪とストパーはきららとまりんというらしい。漢字が想像できない。そもそもあるのか漢字。
それはさておき、どうやら、彼女の目には俺が姫を助け出す王子のごとく映ってしまったらしい。つい、人の感情はこれだからよくわからない、と完成したての人工知能のような感想を持ってしまった。
「帰ってから、名前とかわかんないかなって思って、マオの小学校の時のクラスメイト探して訊いたら、マオにお兄ちゃんなんかいないって聞いてぇ」
「それで、直接本人に聞いたわけか」
「はい!」
いい笑顔だった。が、そんなことで絆される俺ではない。
「……で、なんでお兄様?」
「マオともホントの兄妹じゃないなら、あたしも妹にしてくれないかなって……」
俺もマオマオも、絶句するしかなかった。ものすごい思考回路だ。いや、回路が繋がっていないのか。貴様の脳みそはパンケーキと生クリームでできているのか。
「あのさ、言っとくけど、きみの印象、俺の中で最悪だからね?」
何しろ、麻緒を取り囲んで虐めていた上、それをネタに脅し、俺を呼び出したのだ。極悪人だ。誰にも言わないというのも、本当かどうかわかったものではない。
「本当です!きららにもまりんにも絶対言いません!」
「口ではいくらでも言えるからなァ」
説教したいわけではないが、ここははっきりさせておかねばならない。いくらミカミカが俺に好意を持ったところで、俺はマオマオを虐めた彼女を許すつもりはないし、仲良くするつもりもない。マオマオがどれだけ思い詰めていたと思っているのだ。一人で泣いて夜も眠れないほど苦しませた事実は変わらない。
「あたし、別にきららとまりんと仲良かったわけじゃなくて……。中一の時に、クラスで同じ小学校出身だったのが三人だけで、そのままなんとなくつるんでただけって言うか……。別に、マオのこと虐めたかったわけでもなくて……」
髪を弄りながら、ぽつりぽつりと言い訳を始めるミカミカ。
「知らないよ、そんなこと。結局、マオマオを虐めてたことに変わりないじゃん。都合のいいことばっかり言う奴は嫌いだよ」
こんな無駄な行動力が発揮できるのだ、虐めたくなかったのなら、初めからそうしていれば良かったではないか。結局彼女は身の保身しか考えていない日和見主義者。旗色が悪くなればすぐに強いほうへと移動する。ある意味、貫き通しているきららとまりんとやらよりもたちが悪い。
「もう、絶対マオを虐めたりしません!お兄様って呼ばせてもらえるなら、何でもします!」
何でもと言ったか。言ったな。俺の何がそこまで彼女のツボだったのかわからないが、そこまで言うのなら試してやろう。俺は滅多に外さないゴーグルを外して、できる限りの冷ややかな目をミカミカに向けた。
「じゃあ、今すぐあの二人と縁を切って」
「えっ」
「何でもするんでしょ。もう虐めには参加しないってはっきり二人に伝えて。つるむのをやめて」
数の暴力は、恐ろしい。一人では何もできなくても、二人、三人と増えるごとに増長する。逆に言えば、その戦力を削れば勢いは衰える。それに、ミカミカが一人で反旗を翻せば、残り二人の不満の矛先は少なからず彼女に向く。下手をすれば、マオマオの代わりに彼女が次の虐めのターゲットになる可能性もある。少しくらい、恐怖と絶望を味わえばいい。
突然の俺の命令に、ミカミカは目に見えて動揺していた。つい勢いで言ってしまった言葉が想定外の効力を発揮してしまい、たじろいでいる。
「できない?……その程度の気持ちで、マオマオと同等に扱えなんてよく言えたもんだなァ」
なんせマオマオは、ある美さんを愛するがあまり、先の対人戦大会で優勝したプレイヤーに奇襲を仕掛けてきたほどのアツいソウルの持ち主なのだ。同じくある美さんを崇める盟友と言ってもいい。日和見娘とは格が違う。すると、
「や、やります!それで、お兄様と呼ばせてもらえるなら!」
何がそこまで彼女を突き動かすのか。外部SNSウィンドウを立ち上げたミカミカは、思い詰めた顔で文字を入力し始めた。そして、
「これで、いいですか!」
ウィンドウを俺に見せた。それは彼女たち三人でやっているグループメッセージの画面だった。本名は三上美嘉と言うらしい。ものすごくミカミカだ。尚、他の二人は姫羅良と舞凛だった。何というか、闇属性に育つのもやむなしと言うしかない強そうな字だった。それはさておき。
『もう大代さんからかうのやめる』
『何言ってんのいきなり』
『ウケるんだけど』
『二人がやめないなら、あたしもう二人と遊ばない』
『は?』
『マジで言ってんの?』
その後も二人からの追求が次々に届いていたが、ミカミカはさっさとウィンドウを閉じてしまった。そして俺の顔を見上げて、
「言われた通り、やりましたよ!これで、お兄様って呼んでいいんですよね!」
ムフー、と頬を紅潮させ、誇らしげに胸を張った。
恐ろしいものを目覚めさせてしまったかもしれない。俺はゴーグルを被り直して、ダークヒーローごっこなんかするもんじゃないなと、苦笑いするしかなかった。




