沼の気配
『由芽崎、由芽崎。お降りの方は、お忘れ物にご注意ください――』
車内アナウンスで目を覚まし、慌てて電車を降りた。思ったより深く寝入ってしまったようだ。何か夢を見ていた気がするが、思い出せない。
ぼーっとした頭のまま目を擦りながら改札を出て、バイクを停めている駐輪場へ向かう。駐輪場の外まで押していき、跨ろうとした時だった。
「よう、兄ちゃん。かっこいいじゃねえか」
不意に、紙袋を持った逞しい腕が首に回った。
「ひっ?!」
「珍しい格好してんな。つーか、原チャリ持ってんのかよ羨ましい」
「ああああ赤城?!なんでいんの?!」
カツアゲかと思った。心臓の音が、まだかけていないエンジンのごとく鳴り響く。
「今日予定ないつったら、姉貴に拉致られて荷物持ちさせられてさあ。代わりにこれから、この前の喫茶店でナポリタン奢ってもらうんだけどな」
言いながら、赤城はどっこいしょ、と両手の紙袋を俺のバイクの座席に載せる。
「巧ー、どうしたの?」
「誰かいたの?」
さらに、よく似た顔をした二人の女性が現れた。赤城と同じ明るい髪色で背が高く、赤城よりも西洋系の血の濃い顔立ちの、華やかな美人だった。片方は巻き毛を肩から前に垂らし、胸元の開いた小花柄のワンピースを着たフェミニン系、もう片方はウェーブの掛かった髪を緩く片側で結い、白のサマーセーターに紺のフレアスカートを合わせたガーリー系。どちらも、気にしないようにしても気になってしまうグラマラスな体型をしている。赤城と三人並ぶと、そこだけ異世界の空気が流れる。
「おん、友達」
相変わらず、友達と言われると妙なくすぐったさがある。平民にそんな称号を頂けるなど恐れ多い。そんな赤城は、淡いピンクのシャツに紺のカーディガン、ジーンズというシンプルな格好だが、マネキンがいいので様になっている。というか、芸能人以外でピンクのシャツが様になる男がいると思わなかった。
「駆、前に話したろ。江理と佐理」
噂の双子の姉だった。どちらが江理さんでどちらが佐理さんなのだろうか。
「見たことない子だ」
「見ないタイプだ」
「こ、こんにちは、はじめまして……」
口々に言いながら、俺を両側から囲む美女二人に、とりあえず挨拶した。身長が、俺とあまり変わらない。むしろヒールのある靴を履いているせいで、二人のほうが若干高い。
「こんにちはー、佐理でーす」
「はじめましてー、江理でーす」
フェミニン系が佐理さんで、ガーリー系が江理さんらしい。にこーっと人懐こい笑顔でステレオしてくる美人姉妹に、そろそろ俺のキャパシティが超えそうだった。前髪降ろしたい。
「お前らが旅行中にカレー作ってくれた奴だよ」
「マジで?あれ超美味しかった」
「今度はあたしらがいる時に作ってね」
「はい……」
今日だけで半年分くらいの愛想笑いをしている気がする。明日は表情筋が筋肉痛になっているかもしれない。
「オラ、囲むな。怖がられてんぞ」
「えーっ、そんなことないよね?」
「シャイボーイなの?カワイイー」
カワイイの言い方が真青と一緒だった。赤城とあれだけ仲が良いのだから、この二人とも仲が良いに決まっている。圧倒されている間に、赤城が、しっしっと二人を散らしてくれた。
「お前も喫茶店来るかって言いたいところだけど……。ちょっとおススメできる姉じゃねえからやめとくわ」
「なにそれ、ヒドくない?」
「逆に、おススメできる姉ってどんなのよ?」
「じゃあな、駆。またなー」
赤城は俺が戸惑っているのを察して再び紙袋を持ち上げると、二人を急かして去っていった。双子も、ばいばーい、またね、と言いながら遠ざかっていく。
「……すごいなァ……」
もはや何がすごいのか具体的に言い表せないが、赤城家、ヤバい。それだけが心に刻まれたのだった。
× × ×
日が暮れてから、くろすでログインする。さっそく、露店広場であーさんを探した。
「あーさん、入ってる?」
「いるよー」
いつものライオン像の下で、ボロボロローブの青年が顔を上げる。
「店長って、今日いる?」
「今日はいないなー。何か用事?」
「この前会ったとき、みい子さんが、店長が俺に用があるらしいって言ってたのをすっかり忘れててさ」
「ああ、あれのことかな」
あーさんも、心当たりはあるらしい。
「でも、てんちょから直接聞いたほうがいいと思う。伝えとくよ」
いないのなら仕方ない。タクヤ一味のせいですっかり忘れていたが、もしかしたら店長も忘れているのかもしれない。立ち去ろうとした俺の背中に、あーさんが声をかけた。
「そうそう。皆がいいよって言うから、本部の許可は出しっぱなしにしてる。好きな時に買い物していって」
「マジで?ありがとー」
商店街の本部に自由に行けるとなると、とても助かる。最高級品が、素材から生産品まで何でも手に入るのだ。
「さっそく行ってみるよ」
先日少し見ただけでも、面白そうな店がいくつもあった。俺は改めて買い物に行くことにした。
商店街には、みい子さんのように本人がいる時だけ開業している店と、あらかじめ店に商品を並べ、NPCを雇って常時営業している店がある。中にはメインフィールドにほとんど出ずに、島でものを作り本部で売るだけのプレイをしているメンバーもいるらしい。本当に、楽しみ方は人それぞれだ。
「いらっしゃいませー……あれ、珍しいお客だ」
まず覗いたのは、『フラワーショップもがみ』という花屋だった。ここは店主がログインしている時だけ開いているタイプの店らしい。
「くろすでーす。よろしく」
「店主のもがみだよ。よろしく」
カウンター奥の椅子に座った、麦わら帽子を首に引っかけた茶髪の青年の頭上に、*もがみ*という名前が点灯した。日焼けした小麦色の肌をしているが、とーすとの中ではアバターが日焼けするシステムはないので、元々のキャラクターメイクだ。真青が少年アバターを使っているように、性別や外見は好きにできるとーすとだが、プレイヤーには割と、本人に似せたアバターにしている人が多い。本人視点で操作する都合上、あまり自分と体格がかけ離れていると違和感があるからというのも大きいようだ。キャラクターメイクが苦手な人のために、自分の顔写真を取り込んでアバターを作る機能もあるので、もがみさんもその口なのかもしれない。
「何か探し物?」
「うん、なるべく品質のいい、マナハーブの種か苗を探してるんだけど」
「あるよ、Sランクの種。……その辺に生えてるのを採ってきて、自分で育てるのも楽しいよ?」
にやにやと、カウンターに頬杖を突いてもがみさんは言った。
「……誘ってる?」
「農業はいいぞ」
もがみさんはにかっと歯を見せて、親指を立てた。そんなこと言われたら、気になるじゃないですか。
「……良いハーブを育てるコツはありますか、旦那さん」
「それがね、なかなか奥が深いんだよ。ハーブに限らず、作物によって土と肥料の好みが違うらしくてね。生育日数も違うんだ。しかも、収穫するタイミングでも品質が変わる」
とんだやり込み要素だった。ダメだ、深入りすると戻ってこられなくなる奴だ。
「いやー、長かった。一番時間がかかったよ、マナハーブは」
言葉の割に、全然苦労した風ではない。表情全体から『めっちゃ楽しかった』感が伝わってくる。Sランクのマナハーブなんて、露店では見かけたことがないし、もしや彼が噂の、島と本部を行き来するだけの住人か。商店街は魔境だった。
「ちなみに……種はどうやって作るんすか……?」
「その辺に生えてる奴を引っこ抜いてきて、畑とかプランターに植え直して、花が咲いて実になって、それが乾燥するまで育てるんだ。地面に落ちる前に種を採集するんだよ。土が合ってないと花が咲かずに枯れちゃうから、注意してね」
「うおお……よく辿り着いたなァ……」
「詳しいNPCを探して訊いたり、ハーブが自生してるところの環境とか、辺り一帯の生態系を調べたりして、トライアンドエラーの繰り返しでね。よくできたゲームだよねホント」
発見の過程がリアルすぎた。しかし同時に、面白そうだと思ってしまうところがいけない。
もがみさんはその他、基本的な土の作り方や世話の仕方を丁寧に教えてくれて、肥料を一袋くれた。とりあえず何の作物にでも使える、万能肥料だそうだ。撒けということではない。調べて活用しろということだ。
「わからないことがあったら、聞きに来てねー!」
手を振るもがみさんの笑顔が、悪魔の微笑みに見えた。




