佐藤さんちの夕ごはん
家に着いて鍵を開けると、室内には既にいい匂いが漂っていた。玄関には母の靴だけ。父はまだ帰ってきていないようだ。
「ただいま」
久しぶりの言葉を口にすると、
「おかえりー!」
キッチンから母が笑顔で飛び出してきた。その顔を見て、海鳥が目を見開いた。
「うぇ?!佐藤さんちの夕ごはん?!」
学生にはギリギリ見られない放送時間だと思うのだが、どれだけお茶の間に浸透しているのだ、あの番組。事前に知っていた真青と赤城も、実物を目の当たりにして若干たじろいでいる。
「佐藤ってそういう佐藤なん?!」
「そういう佐藤ですよー!」
きゃらきゃらと笑う母。基本的に人を喜ばせる企てやサプライズが好きな人なのだ。
「はじめまして、今日はお世話になります」
真青が頭を下げた。釣られて赤城と海鳥もお辞儀する。
「いいのよー、自分ちだと思ってくつろいでいってね。皆、お名前は?」
「真青春果です」
「赤城巧です!」
「蟹屋敷海鳥、です」
口々に名乗り、
「春果ちゃんと巧くんと海鳥ちゃんね。本当に美男美女揃いじゃない。……駆、浮いてない?」
「知ってるよ……」
今更な事実を言われて肩を落としている息子をよそに、
「ささ、上がってー!」
爽やかにダイニングに誘導する母だった。
「駆、着替えておいで」
「うん」
「あの、何かお手伝いすることは……」
真青がおどおどと言い出すも、
「お客様は何にもしなくていいの。座って座って。もうすぐできるからねー」
母は速やかに椅子を引きつつ、キッチンへの侵入を断固として拒否した。恐縮しながら椅子に腰かけようとした真青の後ろで、
「俺駆の部屋見たい」
「うえっ?!」
マイペースの暴君が顕現した。
「巧!」
真青が腕を引っ張って止めようとするも、彼女の細腕ではこの男を止められない。
「あかんて!せめて後にしいや!」
真青一人では無理だと思った海鳥も加勢し、二人がかりで腕を引っ張ると、
「……じゃあ、後で」
存外あっさりと引き下がってくれた。俺はほっと胸を撫でおろした。
が、後でと言ったら後で来る男だ。俺は急いで部屋に行ってシャツとジーンズに着替えると、室内をざっと見渡した。とりあえず、くろすとわかる物がなければいいのだ。ウヴァロ杯の後に公式から送られてきた優勝盾と、一緒に飾っていた一周年オフイベント限定グッズの帰宅部ジャージ――面白がってあーさんが送ってきた――をスチールラックから外して、クローゼットの奥に放り込む。さすがにクローゼットの中までは漁られまい。部屋自体は、機械類が少々多いだけで散らかっているわけでもないので多分、これで大丈夫。一安心して、俺は皆のいるダイニングへ戻った。
「片付けてきた?」
「うん……」
皿を並べている母にはお見通しだった。
「食べ終わったら駆の部屋だな」
赤城は机の上に次々並べられる料理を見てご機嫌だ。フライドチキンフライドポテト、野菜の天ぷらなどの揚げ物各種。豚の角煮、かれいの煮付け、肉じゃが、エビチリ、シーザーサラダ。正月のオードブルのような品揃えが全て大皿に盛られて、好きなだけ取るスタイルになっていた。大き目の鍋に作られたコンソメスープを運ぶのを手伝い、飲み物は水やらオレンジジュースやらコーラやら、各自好きなものを注ぐ。またおあずけ中の犬のようになっている赤城を、母が微笑ましそうに目を細めて見ていた。
「どうぞ、召し上がれ」
「そんじゃ、大会出場と、海鳥加入を祝して、カンパーイ!」
「カンパーイ!」
「か、かんぱーい」
率先して雑な音頭を取った赤城に海鳥が乗り、一瞬遅れて俺と真青も小さ目に言う。
「いただきます!」
赤城はコップのオレンジジュースを一気に飲み干すと、律儀に手を合わせてから、まず速やかにフライドチキンに手を付けた。食に無頓着な赤城家の環境の割に、きちんと食前の挨拶をするしつけがされているのは、なんだか不思議な感じだ。真青と海鳥も各々手を合わせて、真青はサラダから、海鳥はエビチリから、食べ始めた。
「巧、野菜も食べなよ」
「分かってるよ」
分かっていなさそうな顔でチキンをかじる赤城の分のサラダを真青が取りわけてやり、
「あかーんめっちゃウマーい!」
エビチリを噛みしめながら、海鳥が恍惚の表情だ。名前の通り、甲殻類が好きなのだろうか。
「ご飯欲しい人ー」
「はい!」
「あ、うちも!」
食に関しては他の追随を許さない男は、しゃもじを持った母に向けて綺麗に挙手した。続けて海鳥も。俺は勝手に自分の分を取りにいく。
「お魚も美味しい」
一方で、煮付けを上品に食べる真青が感激している。
「巧くん、お茶碗のサイズ、どんぶりにしとく?」
「おなしゃす!」
即答だった。
「少しは遠慮しなよ……」
「ばっかお前、こんな美味いもん遠慮したら、逆に失礼だろ」
呆れている真青に、赤城が海鳥と肉じゃがの取り分で戦争を繰り広げながら言った。
「そうそう、いっぱい食べてくれるほうが嬉しいなァ。はい、ご飯」
「あざっす!」
「ありがとうございます!」
白米を受け取り、更に食べるペースを上げる二人だった。
「巧くんと春果ちゃん、親戚か何か?」
「はい、従兄妹なんです」
「よくわかったっすね」
唐突な母の質問に、赤城と真青が箸を止めて同じ方向に首をかしげた。
「やっぱり?仲がいいけど、カップルじゃなさそうだし……。兄妹かなって思ったんだけど、苗字が違ったから」
目聡い母だった。人生経験からわかる他人と身内の距離感の違いというものがあるらしい。
「ただいま」
佐藤家が今までで一番騒がしい夕食を迎える中、父が帰ってきて、ダイニングに顔を出した。
「おかえりなさい」
母がすぐに鞄と上着を受け取り、入れ替わりに出ていく。
「お邪魔してます!」
「こんばんは。いつも駆がお世話になってます」
のんびりとお辞儀をする父に、真青が慌ててお辞儀を返し、ぶんぶんと手を振った。
「そんな、こちらこそ、駆君には迷惑かけっぱなしで!」
「駆は迷惑なんて思ってないよ。そうだろ?」
「まあね」
俺が頷くと、父はあはは、と笑い、着替えに出ていった。
「駆君、お母さん似だと思ってたけど、お父さんにも似てるね」
「そう?」
真青に言われて、俺は首をかしげる。母似だとはしょっちゅう言われるが、父に似ていると言ったのは母くらいだ。自分でもあまり似ていないような気がするので、よくわからない。
「今のがカエデ装備の作者かー」
赤城が絶えず箸を動かしながら呟いた。
「えっ!カエデ装備って、とーすとの?自分らが着てたあの?」
「うん。だからレシピ持ってたんだ」
「そういうことやったんかー。あ、角煮とろとろやん。最高やん」
「かぼちゃの天ぷらサクサクー」
話が取り留めない。父よ、早く来ないと食べ尽くされるぞ。
「駆、おかわり」
危惧している間にも、赤城が容赦なく空になったどんぶり茶碗を差し出す。
「もう食べたの?」
「また同じくらいよそってくれ」
奴の胃はブラックホールだった。赤城にどんぶりを渡し、立ったついでにコンソメスープを温め直して父の分を用意する。
「スープのおかわりいる?」
「いるいる」
「うちもー」
「私もいいかな」
母が気合いを入れて作りすぎた料理の数々だが、この分なら綺麗になくなりそうだ。スープのおかわりを配っている間に両親が戻ってきて、食卓は更に賑やかになった。




