四人目
かにたまと別れてから、十分後。
「どんな人かなあ……」
「鈴木のこと鈴木って言ってたし、コン先輩に先輩って言ってたから、同学年だとは思うけど」
「あんな軽いノリの奴いたか?」
各々、かにたまの中身について推察しながら保健室で待っていると、ドアが、静かに開いた。
「お、来たな」
そして、
「失礼しまぁーす。かにたまでーす」
ひょこっと顔を覗かせたのは、
「え?!」
「マジかよ」
「嘘ー!」
赤茶けた猫毛をショートカットにした、女子生徒だった。
「……ネナベ?」
入ってきた女子生徒に絶句している真青と赤城に代わって、俺が訊ねる。
「せやで。驚いたやろ?」
訛りの強い口調の女子生徒は、得意げに胸を張った。
ネナベ――ネカマの反対語であり、男のふりをしてプレイしている女性プレイヤーのことを指す。公式が発表した統計によると、とーすとのアバターの男女比率はほぼ半々で、プレイヤー比率も半々だそうなのだが、同時に、実際の性別と違う性別のアバターを使っているプレイヤーも半々なのだそうだ。つまり、男性プレイヤーの半分が女性アバターを、女性プレイヤーの半分が男性アバターを使ってプレイしているということになる。MASAOもその一人だ。とは言え、MASAOは中性的な容姿をしているし、口調が男性的なわけでもなく、ちょいちょい素が出るのであまりネナベプレイをしているという感じではない。が、かにたまの一人称は「俺」だし、口調も完全に男のそれだった。
開けてびっくりだったかにたまの中身は、俺の顔をしげしげと見た。
「しっかし、うちも驚いたわー。そっちの二人は予測付いてんけど、アンタがナルの中身?人は見かけによらんなあ」
どういう風によらないのかは敢えて聞かないことにするが、随分ずけずけと物を言う女子だ。
「えっと……。四組の、蟹屋敷さん?」
真青が、しばし思い出すように左下に視線を落としてから、名前を呼んだ。プレイヤー名の由来はそこか。
「おっ!さすが優等生、うちの名前知ってたん?」
「珍しい苗字だなって思って、覚えてたの」
「真青も結構珍しいんと違う?春果ちゃんって呼んでええ?」
蟹屋敷という名の少女は、けたけたと軽快に笑って訊ねた。真青も笑って頷く。
「うん、いいよ」
女子同士ということもあるだろうが、俺が未だにクリアできない案件を、会って数分で軽々と越えていく蟹屋敷女史だった。
「うちのことも下の名前で呼んだってや。長いし噛みそうやろ、カニヤシキって」
「下の名前、なんていうの?」
「ミドリ。海鳥って書いてミドリって読むんよ。面白いやろ?」
蟹に海鳥とはなんとも爽やかな潮の香りのする名前だが、それ以上に。
「みどレンジャー……」
赤城が呟いた一言に、真青が長い髪を振り乱して赤城を見た。頭上に『!』マークが出た。気がした。と同時に、海鳥が『なんやそれ』と首をかしげた。
「なに?うちのニックネーム?」
にわかに真青の表情が明るくなったのを見て、海鳥が更に不可解そうな顔をする。
「違う違う。真青さんも赤城も、名前に色が入ってるから、三人目だねって話」
俺がフォローを入れると、海鳥はようやく納得して頷いた。
「そういや、そうやな。せやからアバターの名前と服の色も青と赤なんか」
「そう!海鳥ちゃんは緑色だね!」
真青がいつか俺にも見せた、運命の相手に出会ったような目で海鳥を見つめている。一時は渋っていたが、彼女の頭にはもう四人目としてインプットされたらしい。海鳥が熱視線にたじろいでいる。あれを受けて平気でいられるのは赤城くらいだろう――と、赤城のほうを見ると、じっと腕を組んで、二人が音速で仲良くなる様を見ていた。そろそろ、突然海鳥の出身地など訊いて脱線させてくる頃合いだと思ったのだが。
「決まったみたいだな?」
ノートPCを開いて書類仕事を片付けながら、事の経過を黙って見守っていた麻木先生が、呟いた。
「せや、ほんまにうちも大会出てええの?」
「うん、頑張ろうね!」
「う、うん」
海鳥は、眩い笑顔の真青に両手をぎゅっと握り締められ、照れながら慌てふためいた。やはり同志のようだ。女神信仰の前には、性別など微々たる問題なのかもしれなかった。
「前髪長男がnullなんは、名前に色が入ってへんからか。『何もない』やもんな、nullって」
「そうだったんだ」
真青が関心した。すぐに名前の意味に思い当たる辺り、さすがパソコン部というべきか。そもそも、パソコン部に女子部員がいたことにも驚きだ。見学した時にはいなかったはずなので、サバみりんと凛子の中身はどうだか分からない。それはさておき。
「変なあだ名付けないで……」
「アンタの名前知らへんもん」
全く悪びれずに答える海鳥だった。
「佐藤駆だよ」
「へえ、面白い名前やなー。ほんなら、改めてよろしくな、駆」
「うん、よろしく」
最後に、海鳥は赤城のほうを向いた。
「赤城やったっけ。春果ちゃんの彼氏の」
「彼氏じゃねえよ」
「あれ?違うん?」
適当に濁してごまかすかと思いきや、赤城は素っ気なく首を振って否定した。仲間になるわけだし、誤解されたままでは面倒があるということだろうか。
「本当は、従兄妹なの。違うって言って回るの面倒だから、ほったらかしてるけど」
真青が頷いて、言葉を引き継いだ。すると、好奇心を煮詰めて飴玉にしたような丸い目が、大きく開いた。
「従兄妹?!へえー、けったいな遺伝子もあったもんやなー」
海鳥の思考回路が、俺とほぼほぼ一緒だった。口に出すか出さないかの違いしかない。
「確かに、言うたかて照れ隠しや思て信じひん奴もおるやろし、面倒くさいよな」
「……お前、それどこ訛り?」
やっと訊いた。このまま訊かなければ俺が訊こうと思っていたところだったが、どうした赤城。なんだか大人しいぞ。
「うちのお父ちゃん、警察官なんよ。引っ越し多て、あっちこっちの混ざってしもうてん。西のほうにようおったから、そっちの訛りが強いな」
「じゃあ、もしかしてまた引っ越すことも……?」
藍原の件がトラウマになっているのか、真青が不安そうに訊ねた。
「ううん。うちも留守番できる歳になったし、お母ちゃんもいい加減落ち着こう言うて家買うたから、もうどこも行かへんよ。安心してや」
にかっと人懐こい笑顔を見せた海鳥に、ほっとした顔を見せる真青。赤城はやはり腕を組んで黙っている。明らかに様子がおかしい。
「けど、かにたまは訛ってなかったよね」
先ほどの対戦中と、全然喋り方が違う。すると、
「一応喋れるんだよ。けどずっとやってるとボロ出るし、それで逆にからかわれたことあったからさ。あと、もっと可愛い言葉使えって言われるからやめた」
かにたまの口調で喋り、バイリンガルやねん、と冗談めかして笑う海鳥だった。皆、いろいろと苦労しているようだ。
「それじゃ、四人で申請出すぞ。いいか?」
「お願いします」
真青が頷くと、麻木先生はさっそく申請フォームに必要事項を入力し始めた。が、すぐに手が止まり、小さな声であ、と言った。
「どうかしたんですか」
「リーダーを一名決めろってさ」
PCの画面をこちらに向けて、指で示す。そこにはメンバーの本名を入力する項目があり、一人目と書いてあった。
「り、リーダーって」
「春果だろ?言い出しっぺなんだから」
「一番弱いのにリーダーなんかできないよ!」
「じゃあ赤城?」
ええー……。強さ順で言うなら駆だろ?」
「げきま部の名前出すんなら、やっぱ二人のどっちかじゃない?俺新入りだし」
「誰もやらんのやったらやってもええけど、同じく新入りやしなあ」
やいやいと言い合いを始めた姦しい若者どもに、
「だーっうるせえ!休みの間に決めてこい!解散!」
麻木先生がとうとう業を煮やして、俺たちは保健室から追い出された。と同時に、俺のスマートフォンが震えた。
『どうだった?勝った?勝った?』
母からのメッセージだった。そういえば、終わったら連絡しろと言われていたのをすっかり忘れていた。
『勝ったよ』
メッセージを送って、キリッとした顔で『まかせろ』と言っているはーてぃくんのスタンプを付ける。と、『やったね!』というぴーすぃーちゃんスタンプが返ってきた。若い。
「師匠?」
「うん。夕飯豪華になると思うよ」
赤城の中で、母はすっかり俺の師匠になってしまったようだ。間違いではないが。
「よっしゃ!まあ、ともかく帰ろうぜ」
先ほどまでの大人しさはどこへ行ったのやら、何より食うことが優先される赤城が、元気に歩き出す。
「海鳥もウチで食べてく?」
「ふぇっ?なんやそれ」
突然の招待に挙動不審になる海鳥に、事情を説明すると、
「えーっ!めっちゃ嬉しいけど、ええのん?急に一人増えたら迷惑なるんと違う?」
「多分いっぱい作ってると思うから、一人くらい増えても大丈夫じゃないかな……」
言いながら、『一人増えても良い?』と訊ねると、『いいよ!』と即座に返ってきた。
「いいってよ」
「ほんまに?祝勝会なんやないの?」
「歓迎会も一緒にしちゃおうよ」
真青はそう言うと、まだ遠慮している海鳥の手をさっさと掴んで、赤城の後を追った。賑やかな夕食になりそうだなと思いつつ、俺はのんびり最後尾をついていった。




