麻木先生
赤城の突然の提案に、真青が困惑の表情を浮かべる。
「巧と私だけでって……。どういうこと?」
「駆は迷彩で隠れて待機させて、俺らだけでやれるとこまでやってみようって話」
「なんで?駆君に戦ってもらったほうが、確実に勝てると……」
「それだよ。俺ら、最初から駆をアテにしすぎ」
まだ三ヶ月もある。どのプレイヤーがどの学校から出るのかは、エントリーを締め切った後に公開されるそうなので、その間目立てば目立つだけ記録が残り、研究されることになる。かといって、絶好の練習場があるのに練習しないわけにもいかない。
「駆は切り札。まだ予選も始まってねえ時点でガンガン使ってたら、優勝なんかまず無理だろ」
どこまで買い被られているのかと背中が痒くなってくるが、他のチームから頭数合わせの無能だと思われるくらいのほうが、ここぞという時に立ち回りやすいのは確かだ。
「そっか……。そうだよね」
真青も頷く。先日一対一をやったのが、逆に彼女の自信を失わせているのではないかと、俺は少し後悔した。
「おい、大丈夫だって。逆に考えろ、駆より強い奴なんかそういねえよ。なんとかなる!」
深刻そうに真青の頭にチョップを食らわし、赤城はだははと豪快に笑った。
「それに、俺もいるぞ。忘れんなよ」
麻木先生が、椅子の手すりに頬杖を突いて、にやにやと笑っている。
「え?先生もって……」
「試合は観戦出来るんだろ?監督になってやるよ」
どうしても一人称視点でしかフィールドが見られず、視野が狭くなりがちなプレイヤーと違い、観戦者は俯瞰で全体を見ることができる。その視点から、ローカルで指示をくれると言っているのだ。
「あの狸親父、協力するフリして頑なに情報出さんし、どうせ似たようなことしてくるだろ。一発鼻明かしてやる」
割と個人的な理由での参戦だった。
「でも、観戦するには、とーすとのアバターがいりますよね。これから作るんですか?」
真青の素朴な質問に、麻木先生は一際面白そうに口の端を持ち上げた。多感な若者の心の支えともなりうる養護教諭が、そんな悪い顔をして良いのかと突っ込みたくなる、悪の親玉のような笑顔だった。
「俺がいつ、とーすとやってないって言ったよ」
「まさか」
「マジか」
真青と赤城が、それぞれに反応した。俺はおそるおそる訊ねる。
「ちなみに……プレイヤー名と所属をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「生産ギルド宝石町商店街副マスター、USAGI」
「うっわぁ……」
なかなかどうして、世間は狭かった。
「もしかして、店長とリアル知り合い……ですか?」
この距離で、有名プレイヤーが偶然同じギルドに所属しているというのは流石に話が出来過ぎだ。もしやと確認すると、
「おう。高校の先輩後輩」
麻木先生は、あっさり頷いた。真青が赤城に、「店長って、商店街のギルドマスターのことだよね?」と小声で確認している。
「ついでに言うと、俺も店長もここのOB」
更なる新情報が飛び出し、真青が口を丸く開けて驚いていた。
ギルドの運営は難しいもので、ちょっとした不和からメンバーが分裂して解散、などということも間々ある。設立当初から大人数なところはほとんどないわけで、初めは気心の知れたリアルの友人たちで立ち上げた身内ギルドだったという例は、割と多い。まさか宝石町商店街もそれだとは思わなかったが。
「ねえ、先生も、とーすとで有名な人なの?」
真青が訊ねる。
「有名も何も……。トルマリのシールドブレイカーだよ……」
「へ?」
シールドブレイカーとは、新しいフィールドが実装された時に、そのフィールドに最初に辿り着き扉を開いた者に与えられる、王冠よりもレアな唯一無二の称号のことだ。トルマリはサービス開始時からあるマップなので、そのフィールドに最初に辿り着いたプレイヤーということは、最古参中の最古参だ。今でこそ活動も落ち着き、引退も囁かれているくらいに表に出てこないが、黎明期には今のくろすどころではないくらいに誰もが知っていた廃プレイヤーだった。
「道理で……この変な部活の顧問、あっさり引き受けてくれたと思った」
赤城が、額を押さえて頭の痛そうな顔をしていた。
「てか、USAGIって、全生産スキルSランクの変態だってあーさんが……」
「『あーさん』?……なるほど、お前の正体分かったぞ」
「えっ」
バレた。いや、店長に訊けばすぐ分かることだが。にやにやと悪い顔で笑っているのが怖い。
「正体?もしかして、駆君のメインって商店街にいるの?」
「ち、違うよ。言ったでしょ、ソロだって」
これ以上追求されたらボロが出る。期待はなるべく背負いたくない。手汗を掻いていると、マイペースな赤城が麻木先生に訊ねた。
「麻ぽん、なんでアバター名がウサギなんて可愛い名前なんだ」
「俺のフルネームが麻木雨響だから、高校ん時のあだ名がウサギだったんだよ。悪いか」
「そんなカッコイイ名前だったんですか?!」
真青の注意が逸れた。ありがとう脱線のプロ。
「高校時代のあだ名がウサギ?……『一高のウサギ』?」
赤城が口に出した瞬間、麻木先生の顔から笑みが消えた。一高というのは、由芽崎第一高校の略称だ。なんだその二つ名は、と思っていたら、
「お前、何でその名前を」
「この前、母親がすっげえ長いセーラー服のスカート見つけて、出してきてさあ。思い出話のついでに、そういう伝説の不良がいたって話してた」
「赤城……赤城万理子か。いや、由理子のほうか?」
眉をしかめて、しばし思い出すように視線を逸らしてから、ぼそりと訊ねる麻木先生。
「万理子のほうだよ。由理子は春果んち。……両方知り合いかよ」
赤城が答えると、いよいよ頭を抱えはじめた。
「知り合いどころか……。いや、本人に訊け」
「元カノ?」
「……そういうのは、察しても口に出さないほうがいいぞ……」
赤城の人心察知能力が炸裂した。苦々しげにため息をつく先生。赤城母と真青母の顔は見たことがないが、間違いなく美人なのだろう。いつも飄々としている保健医の、意外な一面を垣間見た気がした。
「店長が族の総長だったって、もしかして本当の話だったんですか?」
ついでに、俺は巷の噂について訊いてみることにした。
「族ってほどじゃねえよ。当時の一高の不良どもの頭だったって程度だ」
十分物騒なコミュニティのご出身だった。今更だが、タメ口で話していいような相手ではないのでは。
「で、一高のウサギのポジションは?」
赤城がすかさず茶々を入れて、思いきり睨まれた。堅気の視線じゃなかった。
「……参謀ってところかね。不良不良って言うけどよ、優等生だったんだからな?」
養護教諭などやっているくらいだ。勉強ができないということはあるまい。へー、と別世界の出来事のように呆けた顔で聞いていた真青が、ふと俺に訊ねる。
「じゃあ、もしかして先生も、ものすごく対人戦上手い?」
「対人戦どころかリアルファイトも上手えんじゃねえの」
赤城が代わりに答えた。
「しばらくやってねえから、あんまアテにはすんなよ」
それはどっちのことだろうか。何にせよ、心強い助っ人であることは間違いなかった。




