時計
五月の最初の日曜日も、いつもどおり八時過ぎにログインした。また木工に勤しんでいると、すぐにマオマオがやってきて、
「見て!Cランク!」
嬉しそうな顔で、大分可愛らしい顔になったクマのぬいぐるみを見せた。昨日一日、ずっと作っていたらしい。
「おお、やったじゃん」
Cランクは、NPCの店で売っているものと同じなので、造形的には十分見られるものになる。逆に言えば、Cより上はいよいよ物好きの領域というわけだ。
「そろそろ、服、作ってみようかな……」
「イイネ!」
ぐっと親指を立てて応援する。店売りと同じCランクでも、自分で作ったものは愛着も湧くし、格別なのだ。
「欲しい素材があったら言いなよ~お兄ちゃんが買ってあげるよ~」
何より生産仲間が増えたことが嬉しい。コツコツ作業を続けられるタイプのようだし、良い裁縫師になりそうだ。初対面は最悪だったが、話してみればいい子だなァと、思わず犬のようにわしわしと頭を撫でてしまった。
「そ、そういうのは、まだいい……。もう少し、まともに作れるようになってからにする……。貰ったもの、ダメにしたら悪いし……」
大人しくわしわしされながら、マオマオは首を振った。練習なのだから、いくらでもダメにしてくれて構わないのだが。
「そう?じゃあ、俺んちのミシン使う?」
静かな環境でカエデ装備の製作がしたいと置いたミシンだったが、作りたい装備はあらかた作ってしまっているし、そうしょっちゅう動かすものでもない。マオマオが使いたいと言うなら、貸すのはやぶさかではない。
「ミシン?」
「島買ったって言ったでしょ。ミシン置きたかったからなんだよ。仕立屋のミシンって、人が多い時とか使いにくいじゃん?」
「たしかに……」
マオマオはおどおどきょろきょろとしていることが多く、人目を特に気にするタイプのようなので、公共の場に置いてあるミシンには手が出しにくいだろう。
「ある美さんの島に比べたら、人に見せられるような場所じゃないけどさ。ミシン使うだけなら問題ないと思うから」
「アルミ様の島に行ったの?!」
ばっと顔を上げたマオマオが、目を見開いて、普段より大きな声を出した。
「うん、この前初めて行ったけど、すごかったよ」
広くて綺麗で、それでいて効率を無視しているわけでもなく、お手本のような島だった。正直、本格的に農耕もやってみようと思ったのは、あの島を見たからだ。
「……」
いかに美しく壮大な島だったかを語っていると、マオマオが俯いて黙ってしまった。ヤバイ、熱くなってしまった。
「ごめん、うるさかった?」
「くろすは、どうしてそんな風に、人と仲良くなれるの?」
「へ?」
じっと俯いたまま、絞り出すような声で言う。クマのぬいぐるみを抱える手が、震えていた。
「……別に、誰かと仲良くなるのが得意なわけじゃないよ」
気の向くままにあちらこちらに顔を突っ込むので、知り合いは多いほうかもしれないが、現実では地味男子同盟に所属していなければ授業の班を作るのにも苦労するような、しがない男子高校生だ。影が薄いので敵は少ないとは言え、あまり誉められた対人関係ではない。
「でも、いろんな人と一緒にいる……。一昨日の夜は、商店街の人と一緒だったでしょ」
「あれ、見てたの?」
「ううん。掲示板に書いてあった」
「げー、掲示板かァ……」
ウヴァロ杯で優勝してから、そういった場所にくろすの名前が挙がっているらしいことは、噂で聞いていた。が、そんな些細なことまで目撃情報として載ってしまうのか。なんだか、監視されているみたいで気味が悪い。悪いことはできないと、改めて感じるのだった。
「くろすは、掲示板、見ないの?」
「アップデート直後に攻略板見たりするくらいかなァ。他人がどうしたとか、あんまり興味がなくて」
なんせ、マンションに住んでいた頃たまに遊んでいた、別の学校に行った中学時代の同級生の顔と名前が、既に思い出せないくらいだ。進んで興味を持ったのは、ある美さんと、真青くらいのものかもしれない。
『――あっさりしてるよね、きみ。ちょっと残酷なくらい』
いや、もう一人だけいた。それも、会わなくなってから、今の今まで忘れていたくらいの薄情さだ。
「さっきの質問に答えると、……仲良くなろうとしてないからかなァ」
「どういうこと?」
「マオマオが俺のことを気に留めて見てるから、顔が広いように見えるだけだよ。俺は、気の合う相手とか、俺に合わせてくれる相手としか喋ってない」
くろすがついうっかり有名になってしまったから、掲示板で取り沙汰されるだけ。知らないだけで、商店街の住人とコネのあるプレイヤーはたくさんいるし、特筆して俺がどうということは全くないのだ。
『誰とでも仲良くしようとすると、必ずどこかで、心に無理が出るでしょう。無理は違和感になって、相手にも伝わっちゃうんだよね。合わない相手とは、どう頑張ったって合わないよ。無理するだけ無駄無駄』
ちょうど、一昨年の今頃だったと思う。まだとーすとのサービスが始まったばかりで、俺がマオマオと同じ歳だった頃。今のマオマオと同じ質問をした俺に、あの人はそう言って笑った。俺の拙い話を聞いてくれる、優しい人だった。
「そう、なんだ……。気の合う相手って、どうやったら分かるの」
「さあ?気を使わなくても会話が続くとか、逆に会話がなくても間が持つとか、基準はいろいろじゃない?」
何やらマオマオが難しい顔をしている。哲学のような話になってきた。
「……じゃあ、気の合わない相手と話さなくちゃいけないときは、どうしたらいい?」
明日は学校だ。一日行けばまた休みだが、彼女にとっては苦痛の月曜日なのだろう。この調子だと、また眠れずに夜更かしをするかもしれない。かといって、俺は精神科医でもないし、人から貰った知恵や、自分の体験談を話すことしかできない。
「俺も、そんなに大人じゃないから、わかんないよ。そうだなァ……。期待しないことかなァ」
「? 期待……?」
「俺一人が動いたところで世界は何も変わらないし、他人の九十九パーセントは俺の言葉なんかろくに聞いてないからね」
残り一パーセントは、マオマオのような言った言葉を真に受けて服装まで変えてくるような人種だが、きっと俺以外の誰かが同じことを言っても、彼女は服装を変えるだろう。ある美さんなんかが言ったら、覿面に違いない。
「喚こうか怒鳴ろうが泣こうが、他人はそう簡単に変わらない。だから、自分の言葉で変わることを期待しない。そうすると、ちょっと楽になるよ。俺の場合はね」
「……」
マオマオは、何か考えているようだった。俺は安定して作れるようになってきたCランクの木の皿をインベントリに仕舞って、立ち上がった。
「帰るの?」
「いや、買い物。来る?」
「うん」
どうやら、マオマオは明日のことが心配で裁縫も手に付かないようだし、俺の木工も、普通の木材加工だけではそろそろ頭打ちだ。小難しい話をしてしまったので、気分転換に夜する予定だった買い物を、前倒しすることにした。
一歩後ろを付いてくるマオマオが、訊ねた。
「何買うの?素材?」
「いや、時計」
「……時計?」
着いたのは、トルマリの大通りから一歩入った、少し薄暗い通り。いつか、マオマオが飛び掛かって来た例の通りだ。実はNPCの商店が立ち並んでいるのだが、売ってある物の都合上、プレイヤーの姿は少ない。ショーウィンドウに様々な時計が飾られた小さな店に入ると、
「いらっしゃい、時計をお探しかな?」
モノクルを掛けた、穏やかそうな白髪の男性が現れた。NPCの店主だ。
「トルマリの時計台みたいに時間ごとに音が鳴る、アイランド用の屋外時計ってありますか?」
「ああ、あるよ。こっちにどうぞ」
店主ののんびりとした足取りを追い、隣の部屋に入ると、そこはだだっ広い博物館の展示室のような場所で、大型の時計がずらりと展示してあった。
「こっちに置いてるのは、全部屋外用時計だよ。設定でどれも音が鳴るようにできる。好きに見ていきなさい」
そこには、日時計から公園にあるようなシンプルで無機質なものまで、屋外で見かける様々な時計が置いてあった。中には噴水の水をスクリーン代わりにレーザー光で数字を映し出すという、とーすとの世界観にはかなりオーバーテクノロジーななものもある。ちょっとそそられるが、幅が縦横三メートル近くあるので、場所を取りすぎだ。
「んんー!迷うなァ」
「音が鳴るのがいいの?」
「そう、すぐ時間忘れて真剣に遊ぶからさァ」
特に島の中は、何も邪魔するものがないだけに危険だ。もう二度と、夜更かしして学校でうたた寝するようなことがあってはならない。ちょっとしたトラウマになっていた。
「ふーん……」
マオマオはあまり興味がなさそうに、適当に近くの時計を見上げた。足元のプライスカードを覗き込んで、ゼロを数えて、一歩後ずさった。
「たっか」
「こんなもんでしょ、ギミック付きの設置物なんだし」
豪華で場所を取る物ほど、値段も張る。噴水時計など、悠に百万を超えていた。
「でもロマンだよなァ……」
レーザー光はいつの時代も男子の憧れだ。
「どんな島にするの?」
「まだ、何とも」
何しろ、大会が一段落着くまではあまり島に時間が割けないので、しばらくは初期状態の家のまま、のんびり畑でもやるつもりだ。
「じゃあ、これは?」
そう言ってマオマオが指差したのは、全く飾り気のないコンクリート製の角柱の上部に、アナログの文字盤が埋め込まれたものだった。四面全てに文字盤が付いているので、どこにいても時計が読める。
「時計台も、四面全部に付いてるし」
「うん。これくらいシンプルなほうが、分かりやすくていいかもなァ。よし、これください」
「えっ」
「まいど。十万ストーンだよ」
「了解っす」
決済ウィンドウに表示された支払いのボタンを押すと、ちゃりーんと音が鳴ってゼロになった。
「いいの、そんなあっさり決めて」
自分の案が採用されたことが信じられない様子で、マオマオは狼狽していた。
「いいよ。雰囲気に合わなくなったら別の時計買えばいい」
店の出入り口に引き返す俺を、小走りで追いかけてきて隣に並んだマオマオは、器用に片眉を下げて複雑な顔をしていた。
「せっかくだし、設置するとこ見ていく?」
「う、うん」
頷くマオマオに通行許可を出し、ついでに許可期限をなしにして、本人がログインしていないときも許可するという項目にチェックを入れる。これで、我が島のミシンをマオマオがいつでも使える。
「パスワードはヨロシクでいいや」
もし俺と一緒でない時に島に来る場合には、ギルド本部同様パスワードが必要になる。あまり長いと面倒だし、覚えやすい数字がいいだろう。適当に4649と入力した。
扉を呼び出して開き、マオマオを招き入れる。まだ、初期状態の家しかないので、案内はあっさりしたものだ。
「この辺かな」
家の脇に立ち、アイランドのカスタムウィンドウを開く。配置物インベントリから時計を選んで取り出すと、手のひらサイズのミニチュアが出てきた。
「おお」
そのまま小さくしてあるだけなので当たり前だが、その精巧さに感動しながら、ミニチュアを実際に配置する場所に置いて数歩下がる。瞬間、ミニチュアがもこもこっと変形し、三メートルほどの高さの時計になった。
「「おおー」」
二人で見上げ、歓声を上げる。設定パネルを開き、トルマリの時計台と同じように、三十分に一回と、ちょうどには時間の数だけ鳴るように設定していると、端のほうに『改造』というウィンドウがあることに気付いた。
「なんだこれ」
タップすると、『音をオルゴール調にする』『パイプオルガン調にする』『巨大化』『オプション部品を付ける』などの項目が出てきて、それぞれに必要な素材とスキルが表示された。横からマオマオが覗き込んで、うわ、と小さく眉をひそめた。
「……こんなところにもやり込み要素が……」
島から出てこなくなるプレイヤーが現れるのも無理はないなと、戦慄するのだった。




