コロッケ
赤城の電話から二十分後。
「もう!信じらんない!」
学校の帰り道に別れる交差点で、真青が憤慨していた。末っ子長男の我儘大爆発な電話の内容を伝えたら、『私も行く!』と威勢のいい返信が来て、ここで待ち合わせることになったのだ。
「ごめんね、駆君、巻き込んじゃって」
「別にいいよ、他に用事もないし」
なにしろ、真青の私服姿が可愛い。キャミソールに襟の開いた大きめのシャツを重ね着して、ロングパーカーを羽織り、フレアスカートに見えるキュロットスカートにスニーカー。本当にちょっと出てきたという装いで、あまり気合いが入っていない感じがとてもいい。しかも、いつも下ろしている髪をポニーテールにしているのだ。最高。心の中のおっさんがガッツポーズで椅子から立ち上がっていた。むしろ赤城グッジョブだ。
交差点から歩いて十分ほどの、ファミリー向けマンションに着くと、
「巧の家は六階だよ。しょっちゅう行き来するから鍵貰ってるの」
一階入り口のオートロックに鍵を差し込みながら、真青が言う。
「へー……」
もう、周囲に勘違いしろと言っているようなものだ。相手の家の鍵まで持っているなんて、大分熟したカップルではないか。
エレベーターで六階に上がり、勝手知ったる様子で六○五号室のインターホンを押すと、しばらくしてからドアが開いた。
「うぃーす……」
覇気のない赤城に出迎えられ、赤城家に入ると、室内はなかなかにゴチャゴチャした空間だった。靴は靴箱に入りきらず玄関口に散乱しており、傘立てには留めていない傘が乱雑に刺さっている。通り道の廊下にあるクローゼットの扉は開けっ放し。一家揃って豪快な性格のようだ。
「食べる物がないから食べないって、何考えてるの!体調崩したら、二日の校内戦出られなくなるでしょ?!」
「うるせーなあ。空きっ腹に響くからやめろ」
「ウチに来ればよかったじゃん!近くなんだから!」
「その気力もなかった……」
もはやカップルと言うより、母親と息子のようだった。かなり自己管理のできない息子だが。
「食べるものないって言っても、何かあるでしょ。キッチン見るよ」
真青が怒りながらキッチンに向かい、
「好きにしてー」
本当に元気がない。やはり物の多いリビングダイニングが、一人暮らし状態の赤城によって更に散らかっていた。
「俺も見ていい?」
「んー」
許可を得て、キッチンに向かう。目に付いた流しに放置されていた、カップ麺の中身を無意識に捨てて処理していると、
「うーん、お米はあるけど……」
真青が唸った。
「じゃあ、とりあえず米炊こう」
「えっ」
「二合……いや三合炊いとくか」
計量できる米びつから三合出して、研いで炊飯器に早炊きでセットする。
「真青さん、冷蔵庫の中身全部出して。あと、調味料の場所わかる?」
「あっ、うん」
調味料の場所を教えてもらうと、一通りは揃っていた。それどころか、スタンダードな鳥ガラの素やコンソメから、どこかのオシャレ料理芸能人のキッチンのような変わった調味料まで様々だ。ほとんど使われた痕跡がないところを見ると、赤城家の誰かがそういったものに感化されて買ってきて、使い道が見出せず放置したのだろう。
床下収納を開けると、少々芽の出たジャガイモが五、六個入った袋と、やはり芽の伸びた玉ねぎが二つ出てきた。真青が冷蔵庫から出してきたのは、芯の部分ばかりのキャベツと、半分しかないニンジン、卵二つに、小麦粉とパン粉。そしてあちらこちらを開けて、調理器具や小鍋とフライパン、揚げ物用の鍋を見つけだした。
「本当に何も無かった……」
真青が呆れた。米が炊ければ卵かけご飯でもできただろうが、赤城はまず米が炊けないのだ。研いで水を入れて炊飯器に入れるだけの何が難しいのか、ちょっとわからないが。
「お母さんに少しお金貰ってきたから、何か買いに行く?」
「いや、これだけあればなんとかなるよ」
「えっ」
「真青さん、ニンジンの皮剥いて。あと、ジャガイモも洗って、皮剥いてくれる?全部」
差し出したピーラーを見て、一瞬ぽかんとした真青が、
「あ、はいっ」
敬礼して、言われた通りの作業をし始めた。
真青がニンジンとジャガイモの皮を剥いている間に、俺はヤカンで湯を沸かしながら、キャベツを細かく切る。玉ねぎは一つを櫛切り、一つをみじん切りに。真青から洗ったジャガイモを一つ貰って包丁で皮を剥き、火が通りやすいよう小さ目のサイコロ状にする。皮を剥き終わったニンジンも受け取って同じようにサイコロに。小鍋に油を引いてキャベツと櫛切りの玉ねぎとニンジン、ジャガイモを放り込んで炒め、玉ねぎが透明になってきたら、ヤカンの湯を注いでコンソメと塩胡椒で味付けする。
「あの……他にすることは……」
「じゃあ残りのジャガイモを適当に切って。こんな感じで。切ったらこれに入れて」
さすがに耐熱ボウルはないのでどんぶりを差し出し、ざくざくと適当に切って放り込む。二人でやればすぐに終わる。少し水を入れてラップをして、電子レンジのタイマーを長めに設定して蒸かす。その間に、今度はフライパンに油を引いて、みじん切りにした玉ねぎを炒める。隣で真青が真剣に俺の手元を見つめていた。
「卵二つとも割って、溶いてもらっていい?さらさらになるくらい」
「はいっ」
真青が卵を溶いている間に、炒めた玉ねぎを皿に移してフライパンを洗う。
「これくらいでいい?」
「うん、いい感じ」
卵が丁寧に溶かされた頃、ほぼ同時にレンジと炊飯器が鳴った。レンジからジャガイモ入りどんぶりを取り出す。
「これ、フォークで潰してくれるかな。熱いから気を付けて」
「了解でーす」
ジャガイモを潰し始めた真青を横目に、俺は炊き立ての白米を別のどんぶりにいくらか移して、塩おむすびを作った。
「赤城、とりあえずこれ食べなよ」
ソファでぐったりしている赤城の前に、塩おむすびを二つ置いてやると、
「ありがてえー!」
すぐに飛びついた。とりあえずこれで少しは元気になるだろう。キッチンに戻って、真青にもおむすびを差し出した。
「はい、真青さんもお腹空いてるでしょ」
十二時前に呼ばれて慌てて集合したので、きっと真青も昼食はまだのはずだと思ったのだ。
「あとやるから、真青さんも座って食べなよ」
「あ、ありがと……」
真青はぽかんとした顔で受け取り、大人しくダイニングテーブルの椅子に座って食べ始めた。それを見届けてから、潰してもらったジャガイモと玉ねぎを混ぜ合わせて味付けして、適当な大きさに丸めて小麦粉、卵、パン粉を付ける。揚げ物鍋に油を多めに熱して揚げれば、コロッケの完成だ。
「どうぞ」
「うわぁー!」
揚げたてのコロッケに、真青が歓声を上げた。野菜スープがあるとは言え、もう少し野菜が欲しかったところだが、もう冷蔵庫の中身は本当に空っぽだ。炊飯器の中身は全部おむすびにして、大皿に盛って出した。
「いやー……マジありがてぇー……持つべきものは料理のできる友達だわ……。春果だけだったらこうは行かなかった……」
「来てあげたのに失礼だなー!」
「ほぼほぼ駆のおかげじゃねえか」
「それはそうだけど」
赤城は料理と俺に丁重に手を合わせてから、せっせと食べ始めた。俺は、家に帰ってから何か作って食べようと思っていたら、気にするなむしろ食えと二人に押されて、コロッケも摘む。
「肉があったらまだ美味しかったんだけど」
「十分だよ!スッゴイ美味しい」
「これ不味いって言う奴いたら張っ倒す」
適当コロッケは大好評のようで、俺が一つ食べる間に二人が食べつくしてしまった。三合炊いた白米のおむすびもあっという間になくなり、
「美味しかったー!ごちそうさま!」
「いやー助かった!生き返った!ごちそうさま!」
元気を取り戻した赤城に再び拝まれた。
「あんなに何もなかったのに、三人分作っちゃうんだもん。すごいね」
「ジャガイモ玉ねぎニンジン揃ってたからよかったよ。特にジャガイモは何にでもなるから」
「そうなんだー」
主食にもおかずにもおやつにもなる、万能食材ジャガイモ。先人の作りたもうた英知の結晶だ。
「衣付けて揚げれば最悪ティッシュでも食べられるけどね」
「食ったのか」
「一回だけ試したことある」
料理は実験だ。ちょっと引かれた。
「よし、片付けは巧と私でやるよ」
「えーっ」
「私が帰ったら、万理ちゃんたちが帰って来るまで放置するでしょ。駆君、座ってていいからねっ」
「あ、うん……」
真青に押されて赤城も出て行き、リビングダイニングに一人残される。水音と、二人が言い合いをしている声を聴きながら、手持無沙汰になってトゥルッターを覗くと、
『できた 難しい』
と、マオマオがまだ少し歪なぬいぐるみの画像を載せていた。微笑ましい。親指を立てている猫のような顔文字を送っておいた。
「ああー、疲れた」
「何言ってるの、ちょっと洗い物しただけじゃん」
またソファに寝そべる赤城を真青が諭す。
「とりあえず昼は乗り切ったけど……万理ちゃんたちいつ帰ってくるの?」
「万理ちゃん?」
「あ、巧のお母さんだよ。万理子さんだから万理ちゃん。巧のお姉ちゃんは、江理ちゃんと佐理ちゃんっていうの。双子なんだよ」
「こいつの母親は由理子な」
謎の新情報を手に入れてしまった。というか、赤城姉は二人いたのか。道理で、靴が多いわけだ。
「帰って来るのは多分……明日の夜だな……。外で飯食って帰ってくると思う」
「あと一日以上あるじゃん、どうするの?ウチに食べにくる?」
「毎度行くの面倒くせえなあ……」
赤城はかなり面倒くさがりだ。故に最速最適を見つけ出すのが素早いのかもしれないが、このままではまた明日まで何も食べずに過ごしかねない。
「赤城、三食同じメニューでも大丈夫だったりする?」
「ん?カップ麺より美味けりゃなんでも」
「よし、真青さんお金貰ってきたんでしょ。買い出しに行こう」
俺の提案に、二人が顔を見合わせた。




