マオマオ
四月二十九日。今日からいよいよ三連休が始まる。
赤城が寝坊する気満々だったので、昼から集まることになった。と言っても、俺は朝食を作るためにいつも通りの時間に起きる。母は帰ってこないと言っていたので二人分の朝食を作り、のんびり食べた。昨日寝る前、母から買い出しのリストがメッセージで来ていたので、午前中に買い出しもしなければならない。スーパーが開く十時まで、少し時間があったので、くろすでログインすることにした。
この時間帯はまだ、プレイヤーの数が少ない。ナルからくろす宛に送っていた素材を受け取り、中身のいない露店を巡っていると、
「あっ!くろす!」
聞き覚えのあるようなないような、若い女の子の声がした。振り向くと、艶のない黒髪の少女が、口を押えていた。
「えーっと……。あ、思い出した。ある美さん親衛隊の子」
記憶を手繰り、先日斬りかかってきたクナイ使いの少女だと気付く。
「今日は随分可愛い服だなァ。イメチェン?」
先日は味も素っ気もない黒コートだった彼女だが、今日はフレッシュなオレンジのカクテルドレスだ。肩を出し、膝丈のスカートから伸びる白い足に、赤いフリルのあしらわれたレースアップサンダル。頭には、花のコサージュ。親戚の結婚式に呼ばれて、レンタルドレスでおめかしした中学生といった風体だった。
「あ、明るい服を着ろって、言われたから……」
下を向いて、もじもじと小さな声で言う。そういえば、バトル中にそんなことを言った気がする。まさか真に受けて装備を変えたのか。
「うん、似合う似合う」
迂闊に口に出すもんじゃないなと思いながらも、確かに似合っているので誉める。全身真っ黒よりずっと良い。ちょっと極端過ぎる気もするが。
「マオマオ……」
「へ?」
「私の、名前……」
にへっ、と、笑い慣れていない顔で少女がはにかむと、頭上にmaomaoという名前が点灯した。
「俺、くろす。知ってると思うけど」
とーすとのシステムでは、お互いに名乗らないと頭上に名前が点灯しない。そして名前が点灯しないと、パーティやフレンド、トレードの申請ができない仕組みだ。
「……」
マオマオは、下を向いて黙ってしまった。何か変なことを言っただろうか。いつかの威勢の良さはどこへやら、今日は随分しおらしい。
「じゃあ俺、もう行くよ?」
時間は有限だ。くろすでログインできるうちに、やらねばならぬことがある。NPCの店で木工セットを購入し、鍛治と工芸で作った自作のSランク木工セットに、付いている石を移す。予め用意したDEXステータスの石を付ければ、店売りよりも性能の良い、俺専用木工セットの完成だ。
「……何か用かな」
トルマリの隅でそんなことをしている俺の隣に、マオマオはじっと立っていた。何故かずっと、無言で付いてくるのだ。
「喋るなら、座りなよ。見下ろされるとちょっと怖い」
「あっ、うん……」
びくっとして、何か言いたげに口を動かした後、大人しく隣に座って自分の膝を抱いた。俺は木材を取り出し、木工の基本レシピから『モアイ像の置物』を選んで、カービングナイフで黙々と彫り始める。Fランクでも成功しやすい、練習レシピだ。
「……」
マオマオはそわそわと落ち着かない様子で、視線を泳がせている。このまま黙っていてもいいが、どうせ手元以外は暇なので、適当に話しかけてみる。
「今日は、天気がいいなァ」
島同様、空が見えるフィールドには、天気が設定されている。トルマリの場合は、季節にもよるが、雨と曇りの確率は大体二十パーセントくらいで、それ以外はほぼ晴れ。夏は一パーセントの確率で台風、冬は五パーセントくらいの確率で雪になる。日替わりではなく時間で変わるので、割と頻繁に雨が降っている印象がある。
「外も、いい天気だよね。ああいや、俺の住んでる地域はだけど」
今日は一日快晴だと、天気予報で言っていた。それを聞いて、マオマオが訊ねる。
「……どこに住んでるの」
「マオマオが教えてくれたら教えるよ」
「……神宮市……」
都道府県の話から始まるかと思いきや、いきなりローカルか。しかし、聞き覚えのある街の名前だった。
「なんだ、もしかしてご近所さん?俺、由芽崎市」
「! そうなの?」
ぱっと、マオマオの顔が明るくなった。神宮市は、由芽崎市の隣町だ。ウェブの世界は広いので、相手が知っている町に住んでいるというだけでも、親近感が湧くものだ。
「魚介が美味しいよね、神宮市。釣りに行ったことある」
「釣り……」
「そう、バイクの免許取りたての頃に、父親と二人で」
確か、去年の冬休みだ。父に常々、十六になったらバイクの免許取ってツーリングに行こうと言われていたので、冬に免許を取ったのだ。俺の誕生日が十一月でなければ、もっと早く取れたのだが。
「風強くて、めちゃくちゃ寒くてさあ。結構釣れたし楽しかったけど、次の日風邪引いて寝込んだ」
なはは、と笑うと、マオマオも小さく笑った。喋っている間に一つ目のモアイが完成したが、微妙に歪でステータスはEランク。なかなか難しい。インベントリに仕舞い、二つ目の木材を取り出した。
「バイク……くろす、何歳?」
「マオマオは?」
「十四歳……」
俺が丁度とーすとを始めた頃だ。難しいお年頃である。
「今十四ってことは、中三?」
「うん」
ゲームでこの調子では、リアルはもっと口数が少ないだろうし、華やかな格好もしていないだろう。どんな学校生活を送っているかは――推して知るべし、というところか。
「俺、十六。高二。……あ、人には言わないでね」
あまり個人情報は漏らしたくない。ある美さんにも学生だとバレていたのでその程度だが、噂や推測と本人が言うとでは、大違いなのだ。
「高校生?」
マオマオは目を丸くして、俺の顔を見上げた。何をそんなに驚いているのかと思い、首をかしげると、
「もう、働いてるかと思った……。廃人だし……」
失礼な。廃人ではない。ちゃんと学校にも行っているし、休日もこんなに朝早くから起きて、規則正しい生活をしているではないか。しかし、休日のこの時間にログインしている学生は大概の場合、
「もしかしてマオマオ、貫徹?」
「……ばれたか」
やっぱりだった。なんだかちょっと頭がふらついているし、目をしばしばさせていると思っていたのだ。
「ダメだよー、ちゃんと寝ないと」
「くろすは、違うの」
「違うよ。ちゃんと早起きして、朝ご飯も食べてからログインしたところ」
こんなに健康的なゲーマーも、なかなかいないのではないかと自負しているところだ。するとマオマオは、
「……寝たら、明日になっちゃうから」
ぽつりと、押し殺すような声で呟いた。まるで、明日が来てはいけないような言い方だ。
「……大丈夫、明日も休みだよ」
俺が言うと、
「うん」
少女は抱えた膝を強めに抱き直して目を閉じ、頷いた。
「この前は、急に飛びかかって、ごめん」
「いいよ別に、よくあることだから」
それが許せないのなら、最初から奇襲許可設定などしていない。素直に謝る良い子だ。
「今日は、何時までいるの」
「用事があるから、九時半にログアウトするよ。その後は、わかんないなァ」
昼食後にナルでログインして、それから最長六時間。夕食後は二人次第だ。もしかすると疲れて早めに終わるかもしれないが、正確に何時に戻って来るかは分からない。
「そっか……」
マオマオはちらりと、遠くに見えるトルマリのシンボルの時計台を見た。この時計はリアル時間と同期していて、トルマリの中にいると毎時三十分に一回と、一時間ごとに数字の数だけ鐘が鳴る。音が煩わしいプレイヤーのために、個人設定で鳴らないようにもできるが、便利なので俺は鳴らす。今は、九時を過ぎたところだった。
「明日は、午前中は用事がないから、八時過ぎから十二時頃までいるよ。多分だけど」
やることは相変わらず、木工の熟練度上げだ。話し相手くらいになら、なってやっていい。
「じゃあ、またここに来る?」
「うん、多分ね」
「……分かった」
「寝れそう?」
「うん」
マオマオは立ち上がると、
「おやすみなさい」
「なはは、おやすみ」
にへっと不器用に笑って、ログアウトした。




