顔
結局、昼休みいっぱい部室で質問攻めに遭っていたので、仮眠を取る暇がなかった。授業など耳に入ってこないし、ノートにはシャープペンシルののたくった跡があるし、午後は地獄だった。何度机に額をぶつけそうになったかわからない。前髪がなければ乗り切れなかった。
そして放課後。チャイムが鳴ってすぐに、マナーモードにしていたスマートフォンが震えた。
『ごめん駆君、図書委員会に出なくちゃいけないの、忘れてた。麻木先生が鍵持ってると思うから、先に行ってて』
『俺も体育委員会』
『新・げきま部』というグループメッセージに立て続けにそんな文言が並んだので、俺はおとなしく保健室へ向かった。
「失礼します」
「ん?ああ、佐藤か。ホイ鍵」
椅子を回して振り向いた麻木先生は、ものすごく話が早かった。
「ありがとうございます」
「大丈夫そうか?あいつら強いだろ」
礼を言って鍵を受け取ると、麻木先生はへらっと笑いながらそう訊いてきた。強いという表現に笑ってしまったが、これ以上しっくりくる言葉もない。
「結構面白がってるから、大丈夫です」
「そうか。ならいい」
再び机に向き直り書きものに戻った麻木先生に一礼して、保健室を後にする。やる気がなさそうに見えるが、いい先生だ。
部室の鍵を開けて中に入ると、誰もいない室内は、暗幕と遮光カーテンのせいで薄暗かった。電灯をつけてカーテンを開けると、外は快晴。グラウンドに、これから部活を始める野球部とサッカー部がぱらぱらと出てきているのが見える。
三人分のPCの電源を入れて、立ち上がるのを待つ間、マットに座ってしまったのが間違いだった。どこから持ってきたのか知らないが、ずいぶん良いマットだ。硬さも大きさも申し分ない。今日は日差しも暖かくて気持ちがいい――。
× × ×
図書委員会の定期会議は、そう長引くものではない。積極性のある委員はほとんどいないし、司書の先生から月次報告があり、来月の目標を適当に決めて解散だ。一学期は当番を一年と三年が受け持つので、二年の真青に仕事は回ってこない。
三十分もかからずに終わった会議から部室に直行し、
「駆君、ごめんね――あれ?」
入部早々に待たせてしまったクラスメイトに謝りながらドアを開けると、電源の入っている三台のモニターの前には、誰もいなかった。ふと目線を落とすと、休憩やダイヴプレイをしたいときのために、人の少ないテスト期間中の午後にこっそり家から運んできたマットレスに、人が転がっている。
「……寝てる?」
顔の向いている方向に回り込み覗き込んでも、彼は微動だにしない。カーテンを開けた窓からの日差しが眩しいのか、猫のように丸まって、顔を隠して寝息を立てていた。
そういえば、朝からずっと眠そうにしていた。おそらく昨日家に帰ってからも、とーすとをやっていたのだろう。手に入りにくい装備の調達を頼んでしまったし、彼のことだから、自分たちのために無理をして、世中まで起きていたのかもしれない。
とはいえ、きっと起こさなかったらまた恐縮するだろうし、ゲームの内容について訊きたいこともある。揺り起こそうと、傍らに座ったときだった。
「んん……」
真青が光源のあるほうに回り込んだことで影ができて、眩しくなくなったらしい。縮こまっていた身体を伸ばし、寝返りを打ちながら目をこすった。長い前髪が顔のサイドに流れ落ち、本人が女顔を気にして隠していた目元が露わになる。
「……」
真青は、しばらくじっとその顔を見ていた。自分のスマートフォンに手を伸ばし、少しためらってから、カメラアプリを立ち上げた。
× × ×
カシャ、と、耳につく電子音がした。なんだっけ、この音。そうだ、シャッター音。カメラアプリの音だ。携帯電話にカメラ機能がついてから、盗撮を防止するために、標準搭載のカメラは必ず音が鳴るようになっているのだと、父が言っていた。
「ん……?」
目を開けると案の定、スマートフォンが目の前にあった。誰の?というか、ここはどこだ?急速に視界が戻ってきて、スマートフォンの向こうで半笑いで固まっている、ものすごく好みの顔をした女の子の姿が目に入り、同時に再びシャッター音がした。
「?! まさおさ、えっ?!」
瞬時に記憶が戻って脳が回転しだす。そうだ、部室に着いて、PCが立ち上がるのを待っている間に、うっかり寝てしまったのだ。そして、真青がカメラを構えていたということは、
「撮った?!」
「えっ、何のこと?」
盗撮現場を目撃された真青は、急いでスマートフォンを体の後ろに隠した。撮られた俺は、恥ずかしさのあまり必死でその手からスマートフォンを奪い取ろうとした。
「ちょっ、消して、頼むから!」
「やだー!」
なぜか真青も必死で、伸ばした腕の先で俺の寝顔写真に保護をつけている。マットの上で攻防を繰り広げていると、
「おいーっす」
最悪のタイミングで、ドアが開いた。マットの上では真青が仰向けになり、必死に伸ばした手の中にあるスマートフォンに、俺が覆いかぶさる形で手を伸ばした状態で。
「……あと一時間くらいしてから来るわ」
まるで俺が真青を押し倒したような体勢になっていた。気を利かせた赤城が、開けたばかりのドアをスーッと閉めにかかる。
「待って!行かないで!真青さんのスマホ取り上げて!」
慌てて身体を起こして、何もやましいことはしておりませんと両手を上げると、その隙に真青が逃げ出した。
「はぁ?スマホ?」
俺の悲痛な声を聞いて、室内の状況を冷静に見渡した赤城は、
「いいじゃねえか、寝顔の一枚くらい」
ここで起きた事件の全てを把握し、一言で切り捨てた。
「いや多分二枚」
「ふっふっふ、ロックかけたからもう大丈夫だよ!」
「しまった!」
何も大丈夫ではない。
「うう、死にたい……」
データを消してもらうことはもはや不可能と悟った俺は、色々な恥ずかしさで、もはや真青の顔を見ることもままならない。ある美さんに冷ややかに罵ってもらいたい。体育座りで顔を覆って、めそめそと泣き言を言い始めた俺を見て、赤城が言う。
「春果、その写真見せろ」
「え?いいけど」
「見ないで!」
どんな無様な顔をして寝ていたか、わかったものではない。うっかりこんなところで寝てしまった俺が悪いことはわかっているが、笑いものにされるのはあんまりだ。再び抵抗を試みるが、俺より背の高い赤城に頭を掴まれてしまっては、スマートフォンに近づくこともできなかった。
「なんだよ、どんな面白画像かと思ったら、大したことねえじゃん」
爆笑する気だったらしい。彼らと付き合うには、どれだけ強靭なメンタルがあればいいのだろう。
「俺なんか、リビングのソファで白目剥いて寝てる間に姉貴に顔にラクガキされて、クラス中に写真回されたぞ」
ヤバい、そんなことされたら、俺だったら次の日から引きこもりになる。赤城のメンタルは強すぎる。
「誰かに渡したりは絶対しないから!」
「じゃあ、なんで撮ったんですか……」
「……なんとなく?」
きょとん、と無邪気に首をかしげられては、もはや俺に太刀打ちできる術はなかった。肩を落として本気で凹んでいる俺の様子に、真青と赤城は顔を見合わせる。
「春果、消してやれよ。期限損ねて退部されたら困るだろ」
「むう、それは困る。……せっかく可愛い写真撮れたのになー」
近所の猫でも撮ったような言い草で口を尖らせながらも、真青は渋々画面を操作した。
「はい、消したよ。これでいい?」
見せられた画面の写真フォルダから、俺の写真が消えていることを確認し、やっと俺は人心地がついた。もう絶対、部室で居眠りなんかしない。夜更かしはほどほどにしよう。
「で、今日は何すんだよ」
事態を収拾してくれた赤城が、改めて訊ねた。
「とりあえず、昨日言ってたとおり、サブのランク上げと石集めかな?」
「あ、カエデ装備は明日には目処がつくと思う」
「本当?すごいね、ありがとう」
一番集めるのに苦労する素材は、ある美さんが持って来てくれるし、なんとかその他の素材も集まった。後は島にこもって作るだけだ。
「それと、俺も大会用のサブ作ったよ。まだランク一だけど」
「今から三ヶ月で壁越える気かよ」
「なんとかなるでしょ」
しゅがーは、アバター作成から一ヶ月で越えた。二人に合わせるので少しペースは落ちるかもしれないが、三ヶ月あればまあ、百くらいならいけるのではないだろうか。しれっと言う俺に、赤城が頭の痛そうな顔をした。
「そういや俺らのサブも、まだ見せてないな」
「じゃあ、サブでログインして、トルマリ集合で」
「わかった」
それぞれが席についてヘッドセットを被り、ようやく今日の部活が始まった。




