カフェテラスの淑女
交易都市トルマリの、大通り沿いに佇むおしゃれなカフェのテラス席に座り、俺は腕と足を組んで唸った。
「……島が、欲しいな……」
「突然、何を言ってるんですか」
丸いテーブルの向かいに座っているのは、淡い紫に蝶の柄の入った着物を着て、緑髪を夜会巻きに丁寧に結い上げた女性。涙ぼくろが悩ましい、磁器のごとき冷ややかな美しさをたたえる横顔で、静かにコーヒーカップを傾けた。
「というより、まだ持ってなかったんですか、アイランド」
アイランドとは、ゲーム内に自分だけのプライベートエリアを持てるシステムのことだ。一般的には、『島』と呼ばれている。
買った島はマザーグランデのどこからでもアクセスが可能になり、許可設定をしなければ他人が入ってくることはない。家を建てるもよし、倉庫にするもよし。ペットや家畜を飼ったり、畑を作ったりすることもできる。やたらと作り込みがいいので、『ここだけ別ゲー』とまで言われている。実際、農場や牧場を作って、島から出てこなくなるプレイヤーもいるらしい。
とはいえ購入には金が、維持には手間がかかるので、プレイヤーの中で島を持っている者は、全体のわずか数パーセントだそうだ。ただし、物好きの生産廃だけに限定すると、その数字は一気に九十パーセントを超える。そんなシステムだった。
「そりゃあ、旅する料理人が拠点を持ったら、なんか違うじゃん?」
「その自称、誰も知りませんよ」
「広めてよ」
「知りませんよ」
くろすの戯言に淡々と付き合ってくれている、この美しい女性の名前は『Aluminum*』という。ニックネームはある美さん。俺が定期的に付きまとい、もとい連絡を取っている、数少ないプレイヤーだ。
「だってさァ、最近どこ行っても奇襲かけられるし、変なのに絡まれるし、心休まる場所がないんだよ」
「悪目立ちするからでしょう。自業自得です」
「そんなこと言って、ある美さんもウヴァ杯出てたくせに」
「残念ながら、二回戦落ちでしたけどね。欲に目が眩んだとは言え、慣れないことはするものではありません」
はあ、と首を振る姿もまた、艶めかしい。
「……対戦申し込みがうざったいのでしたら、設定を変えればいいではありませんか」
そう、PvP機能はオフにできる。モンスターを狩るのは楽しいが、プレイヤーとは戦いたくないという意見は案外多いのだ。
「いや、それはそれで、逃げるみたいで嫌じゃない?」
レギュレーションや判定は細かく弄れるので、例えばHPが半分削れたら、とか、指定した円の範囲から出たら、とか、比較的平和な設定もある。が、
「奇襲バトル許可、負け判定HP0なんて、戦闘馬鹿みたいな設定をやめればいいでしょう。貴方みたいな不真面目そうなひとがやると、煽りにしか見えませんよ」
奇襲バトルは、両方が奇襲許可設定にしている場合にのみ可能な対戦形式で、街中だろうがボスの目の前だろうが、どちらかが攻撃を仕掛けた瞬間に対人戦が始まるという、一番荒っぽい形式のPvPだ。しかも、負けたほうはモンスターに負けたとき同様、最後に寄った街のセーブポイントにHP1で送還される。そして、所持金の半分が勝者のものになる。まあ、所持金については手持ちの金額からしか計算されないので、銀行に預けておけば大した痛手ではないのだが。
「なはは、そうやってある美さんが罵ってくれるから、やめられないんだよ」
「罵られて嬉しそうにするのも貴方くらいですよ。このドM」
「やだなァ、誰にでも罵られたいわけじゃないよ。ある美さんみたいな、うなじの綺麗な黒髪の美人限定」
「フェティシズムが感じられるところが余計に気持ちが悪いです」
「もっと言ってー」
眉をひそめる姿もまた良し。ある美さんは、コーヒーカップを音も立てずにテーブルに戻して、静かに俺を見た。
「それで、今日は何の用です?雑談しにきただけですか?」
「いや。今日は、頼み事をしに。ちょっと、用立ててほしい素材があるんだ」
「報酬は?」
先に自分の利を確認するところが、ある美さんらしい。俺はできる限り不敵に見えるように微笑んだ。
「カエデ装備のレシピ」
それを聞いた大和撫子は、
「本当ですか?」
と、声のトーンを落として言った。
「本当だよ。先払いでもいいよ?」
「……貴方、ときどきとんでもないことを言いますね」
「飽きないでしょ?」
「そうですね。しかし、良いのですか?」
「なんせある美さんだからね。いつもどおり、自分用に一着仕立てて終わりでしょ?」
彼女は『かぐや姫』の二つ名を持つ、とーすと日本サーバー名物プレイヤーだ。トルマリのカフェテラスに座っている彼女が欲しがっているものを持ってくることができれば、代わりにこちらの欲しいものを譲ってくれる。金でも地位でも動かず、無理難題を吹っかけ要求を諦めさせる着物の美女。その実態は、ひたすら装備の生産レシピを蒐集し、自分のためだけに装備を作り続ける、裁縫スキルSランク。実際、彼女に近づく輩のほとんどは、彼女の作る装備か、彼女自身が欲しくてやってくる。
しかし、Sランクの装備を作れるプレイヤーということは、素材集めの腕も一級品。だからこそ、今回素材集めを依頼し、対価にカエデ装備のレシピを教えることにした。いい加減、知っているのが俺だけというのも、どうかと思っていたところでもあった。
「最高級牛革(大)(中)(小)を全部Sランクで三枚ずつ、それと最高級革紐Sランクが十二本、欲しいんだけどさ」
「レシピと引き換えに三着作れと言わないところが、私が貴方を買っているところです」
さすが歴戦の仕立屋、俺が言った素材が三着分だということを即座に見抜いた。
「そこまで頼むのは申し訳ないからさ。その代わり、なるはやでお願いしたいんだけど」
「明日の夕方までに揃えましょう。報酬は、その時に頂きます。よろしいですか?」
「ありがと。あ、でも、来られるのは夜の八時くらいになると思う。大丈夫?」
「構いませんよ。では、その頃にここにくることにしましょう」
所作のひとつひとつが美しい淑女は、それでは、と言って一礼すると、背後に突如現れた茶色の木製ドアをくぐり、ドアもろとも視界から消えた。自分の島に戻ったのだ。おそらくこれから、牛革を落とすミノタウロスを狩りに出かけるのだろう。
「さて、次は」
カフェを後にした俺は、街のあちこちに出ている露店から、めぼしいものを探して回る。確実に八スロット開いたSランクのカエデ装備を作るには、素材をSランクで揃えるのが一番だ。自分のために一着仕立てるだけなら、全ての素材を一から集めてもよいのだが、今回は三人分。しかも、なるべく早くという条件付きなので、悠長なことは言っていられない。
そして、俺はある結論に達した。
「やっぱり、拠点が必要だな……」
ショッピング中に奇襲に遭うこと三回、通常の対人戦申し込みが二回。全て返り討ちにしたものの、製作中に殴り込んでこられて手元が狂いでもしたら、せっかくある美さんにSランク素材を分けてもらっても、台無しになってしまう。静かに製作に打ち込める環境が必要だった。ある美さんに呆れられたいので、PvP設定は変えたくない。
ということで、俺は早速、街の不動産屋に足を踏み入れたのだった。




