帰路
俺がなんとか動悸を抑えることに成功している間に、真青は俺が貸した双剣で自分と近接攻撃との相性の良さを確認し、赤城は盾の有用性を実感したりしていた。
「そろそろ、帰らなくちゃだね……」
時計を見上げた真青が、不満そうに口を尖らせる。渋々、PCの電源を落とし機材を片付け、一応窓の戸締りも確認する。開けていないので開いているわけはないが、なにしろ高い備品が置いてあるので用心に越したことはない。
「そうだ、佐藤君。帰りに麻木先生に入部届出しちゃいなよ」
逃がさないぞという気迫のこもった目に脅され、俺はしばし保留にしておこうと鞄に突っこんだ入部届を取り出した。記入しようとして、ペンが止まる。
「……なんだったっけ、正式名称」
「現代電脳遊戯の究明及びマルチメディア活用研究部」
要するに、コンピューターゲームとインターネットについて研究する部活ということで、実際の活動内容が大きく外れているわけでもない。よくもそんなごまかしの利く名前を思いついたものだ。略称がげきま部なのはどうかと思うが。
「智が考えてくれたんだよね」
「へえ……。その、智って人、中学の友達って言ってたよね」
「うん。藍原智也って言って、同じ図書委員だったの」
「藍原?あれ、俺一年のとき同じクラスだったかも」
一年時の地味男子同盟の中でも特に目立たなかった、真面目を体現したような眼鏡の男子のことを思い出す。下の名前なんて知らなかったから、思い至らなかった。まさか、転校していたとは。
「家が厳しくて、テレビも見させてもらえないって言ってたからさ。じゃあ学校で遊ぼうよって誘ったの。私も部活に入るつもりなかったし」
「で、ちょうどサッカー部辞めた俺が引っ張られたってわけだな」
結成時にそんな経緯があったとは。訊けば、赤城が故障したのが夏の終わりで、部活を設立したのが秋のことだという。まだ出来立てほやほやだった。
「今は?藍原と連絡取ってないの?」
「落ち着いたら連絡するって言ってたんだけど……。高校で転校なんて滅多にないし、忙しいのかもね」
真青は、少し寂しそうに笑った。
「おし、書けたな。さっさと持っていこうぜ。麻ぽん七時ピッタリに帰るからよ」
鞄を縦向きに背負い、ポケットに手を突っ込んだ赤城が、書いたばかりの入部届を覗き込んで取り上げ、確認した。なんだか、借金の念書を書かされた気分だなと思ったが、口には出さない。
「じゃあ私、鍵返しに行ってくるね。昇降口で待ってて」
「はいよー」
中央棟の二階にある職員室へ向かう真青と分かれ、俺と赤城は、旧校舎の一階にある保健室へ向かう。階段を降りながら、赤城が口を開いた。
「怒涛の午後だったろ」
「うん、今までで一番手汗を掻いた一日だった……」
俺が長い息を吐くと、赤城は豪快にだはは、と笑った。
「春果にも困ったもんだよな。別に、もう部活を維持する必要なんかねえのに」
言われてみればそうだ。元々、げきま部は家で遊べない藍原と遊ぶための部活だったということだから、その藍原がいなくなった今、わざわざ学校でとーすとをやる必要はない。二人は家でも遊べるのだから。
「げきま部の名前出して大会に出れば、どっかで智が見るんじゃねえかって、思ってるんだろうな。……王冠が欲しいのもマジだろうけど」
引っ越してから連絡が途絶えたという藍原への、真青なりのメッセージということだろうか。美しい友情である。と、俺が感傷に耽っていると、
「あーっ、麻ぽんストップ!」
不意に、赤城が大きな声を上げた。気が付けば保健室の前まで来ており、白衣を着た男性が鍵を閉めてこちらに背を向けたところだった。
「保健室はもう閉店だぞ。さっさと帰れ」
顔立ちは悪くないが、服装と髪型のやる気のなさがすべてを台無しにしている三十代半ばの養護教諭は、しっしっと邪険に手を振った。
「保健室には用はねえよ。春果が入部届貰いにきたろ?書かせたから持ってきたんだよ」
俺を親指で差す赤城。麻木先生は、ちらりと一瞥してから、
「なんだ、それか。ふーん、佐藤ねえ……」
赤城が押し付けた用紙を、あまり興味がなさそうに確認して、俺の顔と見比べる。そして、緩慢な動作で持っていた鞄からクリアファイルを取り出して、仕舞った。
「お転婆お姫さんの新しい騎士様か。まあ、せいぜい仲良くやんなよ」
麻木先生は肩を揺らして笑うと、底のすり減ったスリッパをぺたぺた鳴らしながら、廊下の曲がり角に消えていった。あまりにもあっさり受理され、実感が湧かずに赤城を見る。
「……騎士様?」
「麻ぽん、たまに変なこと言うんだよな」
お転婆お姫さんというのは、間違いなく真青のことだろう。クラスで遠巻きに見ていた限りでは、誰からも愛される花のような、可憐で儚げな深窓のお姫様といった雰囲気だったが、今日一日でずいぶんイメージが変わった。もっと人間味があったというか、俗っぽかったというか。
目的を達成し、生徒昇降口のある中央棟に歩き出しながら、俺は赤城に訊ねた。
「女子たちが、赤城と真青は中学からずっと付き合ってるって言ってた気がするんだけど、あれはデマだったってことだよね」
「ああ、それか。一時期、春果がストーカーに遭っててさあ」
「スっ?!」
あの眩い容姿だ。街で見かけた彼女に心を奪われ、邪な気を抱く不届き者が現れても、おかしくはない。が、実際にいたと聞かされると、いたたまれない気持ちになる。
「ずっと気味悪がってたんだけど、実害がなきゃ警察も動いてくれねえしさ。緊急親族会議で、俺が彼氏のフリして一緒に行動してればいいんじゃね?って話になったんだよ」
二人とも、余計な面倒ごとを避けるために、友人たちにも従兄妹であることをずっと伏せていたらしい。幼い頃から愛らしい外見をしており、好意を持たれやすいことにはお互い気付いていたので、仲を取り持てだのなんだのと言われたくなかったようだ。
故に、親族以外に二人が血縁であることを知るものはなく、しかし実際には勝手知ったる同い年の従兄妹は、彼氏役としても護衛としても最適だったというわけだ。
「結局、ストーカーが逆上してナイフで切りかかってきたところを取り押さえて解決したけどな」
「怖っ!」
さらっと言ったが、同じ立場だったとて同じことができる自信はまったくない。どこまでもイケメンはイケメンだと、俺は目測十センチは高い位置にある赤城の顔を尊敬の眼差しで見た。
「ストーカーが諦めてくれるんじゃねえかと思って、堂々と付き合ってるフリしてたし、まだ言われてんのはその名残だろ」
結果は逆だったわけだが、解決した後も、別れたと宣言して回るのも面倒だったので、噂は放置。今は今で、部活のことがあるので一緒に行動していても怪しまれないほうが都合がいいということで、相変わらず特に否定もしていないらしい。
「どっちかに好きな奴でもできれば、訂正して回ろうかと思ってるけどさあ。ストーカーのせいであいつ、ちょっと男嫌いになってんだよ」
「それは仕方ない……」
そんな怖い思いをしたのなら、無理もない。しかし俺とは普通に会話してくれたし手も握られたし、全然そんなそぶりはなかったが、と首をかしげた。が、可能性にうぬぼれるよりもはやく、男として見られていないだけではと気付いて、一人で勝手に落ち込んだ。
「そもそも、俺もあいつもお互い好みじゃねえしなあ。従兄妹なら結婚できるじゃんとか姉貴に言われたけど、そういう問題じゃねえっつのな」
「え、そうなんだ?可愛いじゃん、真青さん」
真青が好みじゃない男などいるのか。新人類か貴様。
「見た目はな。まあ、あいつの好みなら、あいつのアバター見たろ。ガンバレ」
赤城は、真顔でぐっと親指を立てた。
「何を?!」
確かに、本人も可愛い男の子が好きと言っていたし、彼女のアバターは少年だったので、ガタイのいい赤城は好みではないのかもしれない。しかし、二次元の好みとリアルの好みは違うものではないのか。近づけるものでもなくないか。少なくとも、野暮ったい妖怪前髪男など論外だろう。
「つーかさあ、怖くね?ああいう清純ぶった顔して裏のある女って」
「いやァ、裏があるってほどじゃないと思うけど……」
教室と部室でのテンションのギャップに驚きはしたが、俺もくろすと佐藤駆ではキャラが違うし、人間誰しも多少の表裏はあるものだろう。
「そうだよ、普段はちょっとおとなしくしてるだけだよ」
「うわぁっ?!」
後ろから声をかけられ、うっかり悲鳴を上げてしまった。ちょうど、真青が職員室から戻ってきたところだった。
「あ、驚かせちゃった?なんか、私の悪口言ってる声がしたから。巧はねえ、ボーイッシュな子が好きなんだよね」
「オイコラ」
「ショートカットでスポーツ系のさ」
「へー……」
「鵜呑みにしてんじゃねえよ。……聞いたからには、佐藤の好みも教えてもらおうか」
馬鹿な、はめられた。突然呼吸を合わせてくる血縁タッグ、マジ怖い。俺は、普段あまり使わない部分の脳をフル回転させた。
「えっと……。ポニーテールが似合う子かな……」
「いいね、私もポニーテールの女の子好き!分かってるじゃーん」
毎日彼女の後ろの席で、さらさらと揺れる艶やかな髪を見ながら思っていたことを試しに言ってみたのだが、「じゃあこれからポニーテールにしようかな」などという都合のいい方向には転がるわけもなかった。こういうときこそ、コミュニケーションの鬼の力を発揮してほしかった。赤城は俺のヘタレな回答に、顔を背けて肩を震わせていた。おのれ、いつか見ていろ。
道の違う二人と途中で別れ、帰路についたところで、今日二人と交わした会話を反芻する。なんだか、疲れたけれど楽しかった。そうか、赤城はショートカットのボーイッシュな子が好きか。俺に協力できることなどないだろうし、彼ならきっと自力で幸せを掴んでみせるだろうが、陰ながら応援してやろう。
と、そこでふと、俺はあることに気付いた。
「あれ?真青さん、いつから話聞いてたんだろ」
悪口が聴こえたから、と言っていたが、赤城の好みを暴露してきたということは、もっと前、「好みじゃねえしな」辺りから聞いて――。
「……よし、忘れよう」
女は怖いと言った赤城の言葉が、頭から離れなかった。




