モイ
マザーグランデのオブジェクトは、基本的には攻撃しても壊れることはない。が、中には伐採できる木や、凍らせることのできる水など、プレイヤーの行動で状態が変化するものもある。
その最たるものと言っていいのが、宝石学園の校舎だった。自販機ではジュースが買えるし、音楽室の楽器は鳴らせるし、黒板はアイテムのチョークがあればらくがきができる。屋上にはプールがあり、いつでも泳げる。遊び心満載で、結構好きなフィールドだ。他にもギミック満載だが、今はそれらで遊んでいる場合ではない。
「三階、着いたで。いうても見えんけど」
「二組の前の辺りにいる」
「了解」
車両の上で暗闇くんと膠着状態になっている俺の耳に、着々と合流する蘇芳とライムの声がした。
「おい、ライム。モイってどういう戦い方する奴だ?」
「んー、ざっくり言うたら、オールラウンダーやな。あんな脳筋みたいな恰好しとるけど、器用やねん」
モイについては、俺はよく知らない。好戦的で騒がしい百鬼夜行の中にあって、最低限しか喋らず騒がず、大会のような目立つところにも出てこないからだ。
「私も、もうすぐグラウンド着くよ」
「おっ、ええやん」
これで、俺以外のメンバーは当初の目的である学校に集合できたわけだ。数の有利は大きい。と、小さく息を吐いた時だった。
「おい。モイが出てきたぞ。案の定グラウンドだ」
「っへ?なんで今なん?」
ざわつくパーティー会話に割り込むように、暗闇くんが薄ら笑った。ぞわりと背中が泡立った。
「っ!二人とも、窓から離れろ!」
「キャスト、抜刀!」
「伏せろ!!」
「うぇっ?!」
「何?!」
俺が叫んだ瞬間、暗闇くんが斬り込んできた。同時に、ヘッドホンの向こうで蘇芳が叫び、ライムとルリが悲鳴を上げた。
「そういや、校舎のガラスは割れるんだったな!妙な仕様にしやがって!」
ウサギ先生の舌打ちで、予想通りの事態が起こっていることを確認する。そう、モイは――グラウンドに面した校舎の窓ガラスを範囲攻撃で全て割ったのだ。電車の窓は攻撃しても割れない。それどころか、マザーグランデ中探しても、窓が割れる仕様になっているのはショール城と宝石学園校舎しかない。実装当時はプレイヤーたちが面白がって再生するごとに割りまくり、伝説の不良高校のようになっていたことを思い出す。俺は歯噛みした。
「キャスト、粘網!」
「キャスト、鯨尾!」
どうにか学校方向に向かおうと試みるも、足止めは暗闇くんには効かない。即座に打ち消され、余波で肩口の布が切れた。
「チッ、迷彩解けた!」
「蘇芳、逃げんで!」
ガラスの破片が当たったのだろう、二人の焦る声が聞こえる。
「なんで、二人が合流したタイミングがわかったの?」
まだグラウンドの中には入っていなかったようで、間一髪位置バレを免れたルリが、混乱した声で訊ねる。俺は足場の悪い車両の上で暗闇くんから逃げ回りながら答えた。
「ごめん、俺のせいだと思う」
俺が一瞬だけ暗闇くんに見せた、小さな小さな安堵の仕草。それを、目敏く察した暗闇くんが他のメンバーに伝えたのだ。敵チームが合流に成功したようだと。
蘇芳とライムは初期位置が比較的近かったので、合流するならその二人。モイが迷彩を使ってグラウンドに潜んでいることをちらつかせれば、グラウンドの様子が伺える窓際に来ると予測したのだろう。
「油断したな、白いガンナー」
気障に口の端を吊り上げる暗闇くんの赤い目を睨みつけ、俺は小さく舌打ちした。
× × ×
「くららのアホ!もう知らん!覚えとれよ!」
「気持ち悪ィギルドだなお前んとこ!」
「くららが特別気持ち悪いだけや!」
ライムと蘇芳は、言い合いながらもモイの攻撃が当たらないよう窓の縁に身を屈めた。
「どうする」
「教室突っ切って窓から中庭に出る!」
障害物も隠れる場所もないグラウンドでモイと対峙するのは、いくら数ではこちらが勝っていると言っても少々分が悪い。立ち上がったライムだったが、
「いや待て待て」
蘇芳に腕を引っ張られてつんのめった。
「なんやの」
不満げに屈み直したライムに、真剣な表情で訊ねる蘇芳。
「モイとボス、どっちが強い?」
「そら、ボスやろ」
「ナルがこのまま二ポイント取るとしてだ。俺ら三人とも、逃げ回って終わるか?」
「……」
蘇芳の不明瞭な意見を眉をしかめて聞いていたライムは、しばし黙った後、
「それは癪やな!」
カッと目を見開き、再び立ち上がった。
「釣るで。多分モイも、わかって釣られるはずや」
即座に弓に持ち替え、割れた窓の外に狙いを付ける。
「了解、やられんなよ」
「アンタこそ。キャスト、追尾!」
蘇芳が灼鉄剣を構えると同時に、ライムが打ち上げた矢が的確にグラウンドのモイを狙う。モイはそれを拳でへし折り、窓から見えたライム目掛けて一直線に地を蹴った。
「ほれ来た!」
楽しそうに口角を上げ校舎に誘い込むライムと、それに先駆けて走る蘇芳。モイは跳躍で一気に飛び上がり、三階の窓の縁に手をかけ、廊下に着地した。巨体からは想像できない俊敏な動きに、蘇芳が苦笑いを隠さない。ライムが足元を狙撃し、距離を詰めさせないよう威嚇する。
と。
「キャスト。ガトリングガン」
モイが突然、ジャキン、と大げさな音を伴って、大砲を構えた。
「いっ?!」
ガトリングガンは武器ではない。一回使い切りで複数個ストックができない、特殊アイテムだ。使用中他のスキルやアイテムを一切使えなくなるが、それを補って余りある攻撃力で、辺り一帯の敵を殲滅する。アクティブモンスターに囲まれた際の緊急脱出に使用するのが、正しい使い方だ。
「やっぱ気持ち悪ィよお前のギルド!」
「退避ー!」
狭い廊下でそんなものをぶっ放されたら、完全にオーバーキルだ。ライムは威嚇射撃を諦め、全速力で踵を返した。直線の廊下を曲がったのとほぼ同時に、弾丸を連射する爆音が校舎中に響き渡った。
慌てて廊下を曲がったはいいが、その先は階段だ。発射の瞬間に思わず踏み切って跳んだせいで、ライムの体は完全に下り階段に向かって飛び降りる形になっていた。
「んにゃぁああああ?!」
黎明期から変わらぬVRの醍醐味のひとつ、いわゆる高所の疑似体験は、何度経験しても、映像だとわかっていても、本能的に身が竦む。頭から真っ逆さまに落ちる恐怖に脳を支配され、ライムは悲鳴を上げるしかなかった。
とーすとの仕様では、『降りる』、即ち着地点を決めて自分の意思で高地から低地に移動する場合はどんな高さから降りてもダメージを負わないが、ランダムな着地点に不本意に『落ちる』場合は相応のダメージを受ける。このままでは、階段から転がり落ちて即戦闘不能だ。しかも、背後からはガトリングガンを捨てて身軽になったモイが追ってくる。
「キャスト、塵旋風!」
追撃をしようと飛び降りたモイを、階下からの攻撃が襲った。身を捻り避けるも、足場のない空中では範囲攻撃を避けるには限界があり、布面積の少ない巨体のあちこちに、細かい傷がついた。
「ふぇい?」
自由落下中のライムは何が起きたのかわからず、気の抜けた声を上げた。直後、予測していた強い衝撃の代わりに、身に覚えのある柔らかい衝撃が体を包み――。
「よう、二度目だな」
――先に階段を降りていた蘇芳はにやりと笑い、一対一会話モードでそう言った。




