学校の怪談
「わあー!カワイイ!」
朝の挨拶のついでにニンジンクッキーを渡すと、真青はさっそく中身を見て、満面の笑顔になった。そう、その顔が見たかった。
「佐藤、またクッキー作って来たの?」
「器用だねー」
声を聞きつけ、寄って来た金子さんと藤田さんは、「いっこちょうだい」と言うが早いか、ウサギ型クッキーをつまんだ。
「俺も俺も」
その頭上からにょきっと伸びてきた手に、二人が驚いて振り向いた。金子さんと藤田さんは、いつも一緒にいるせいか、よく動きがシンクロする。
「びっくりしたー」
「なんだ、赤城くんじゃん……」
赤城は、はよーっす、と言いながら、さっさと口にクッキーを放りこんだ。どうでもいいことだが、俺のことは呼び捨てなのに、赤城は”くん”付けの藤田さんだった。二人は真青と俺の顔を見るが、
「もう、ちゃんと断ってから食べなよ!」
「うるっせぇな。こないだもクッキー持ってきてたんだろ?食べ損ねたからな」
「どうしたの、朝から。珍しいね」
俺と真青がそれぞれ話しかけるのを見て、顔を見合わせた。傍から見れば、彼女と元彼と今彼の三角関係に見えるわけで、普通に話しているのが逆に不思議だったようだ。
「いや、なんか妙な噂聞いてさあ」
「噂?」
「なんか、旧校舎に幽霊が出るとかって」
「なにそれ」
この平和な由芽崎第一にもそんなベタな噂があったとは知らなかった。すると、金子さんが口を挟んだ。
「あ、知ってるー!部活してる生徒が見たって奴でしょ」
幽霊は旧校舎に出るのではないのか。旧校舎で部活をしている生徒は、げきま部だけのはずだが。真青と二人、疑問符を増やしながら話を聞く。
「誰も使ってないはずの教室の窓に、グラウンドから人影が見えたとか」
「そうそう。髪の長い女子生徒の幽霊でしょ」
「なにそれ、ヤダー」
わざとおどろおどろしい声を出す藤田さんに、毎日旧校舎を利用している真青が口を押えて眉をハの字にしている。
「偶然、何か用具取りに来た生徒がいたんじゃないの?」
暗くなる時間まで部活に勤しんでいるげきま部はそんなもの見たことがないし、そもそも、幽霊なぞただの気の迷いが見せる幻影だろう。
「でも、春休みくらいからちょこちょこ目撃情報あるよね」
「おん。俺もそんな話聞いた」
「ふーん……?」
旧校舎。窓から見える女子生徒の幽霊。俺はふと思い当たり、会話からひっそりとフェードアウトして、スマートフォンを取り出した。チャットアプリから鈴木の名前を探して、速やかに短い文章を打つ。俺が赤城と行動することが増えたせいで、休み時間にも鈴木はまったく近寄ってこなくなったが、校内の情報を手に入れるには奴に訊くのが一番手っ取り早い。
『旧校舎の幽霊って何』
『グラウンド側の窓に女子生徒の幽霊が見えたって奴?』
即座に返事が返って来た。さすが鈴木だ。同盟の異端者のくせに質問サイトのようなノリで訊ねる俺にも、親切に情報をくれるあたり、結局は人が良いのだ。
『くわしく』
『野球部の男子が、いつも閉まってるカーテンが開いてるから変だなって見てたら、制服着た前髪の長い人影が見えたってさ』
『どの窓かわかる?』
『三階の、いつも暗幕掛かってる物置教室』
完全にげきま部の部室のことだった。ということは、
『時間帯は?』
『部活中しか見ないって言ってたから、放課後だけなんじゃね』
予測が確信に変わった。すると、続けてもう一文送信されてきた。
『何だよ、彼女と肝試しでもする気か?』
裏切者め、という地味男子同盟一同からの副音声が聴こえてくるようだった。
『違うよ、残念ながら』
「あーっ!」
真青の悲鳴で意識を呼び戻されて振り向くと、
「巧、全部食べちゃったの?!まだ私ひとつしか食べてないよ!」
いつの間にか、数人で分けて食べられるように多めに作っておいたクッキーの袋が、空っぽになっていた。
「腹減ってたんだよ。さっさと食べないお前も悪い」
「何それ!」
真青が、また朝ごはん食べなかったんでしょ、と口を尖らせている。教室ではあまり見せない顔なので、なんだか新鮮だった。すると、その言い合いを見ていた藤田さんが、小声で俺に訊ねた。
「彼氏に訊くのもアレだけどさ、二人、なんで別れたのか知ってる?」
相変わらず仲が良いので、別れる理由が思い当たらないようだ。元々付き合っていなかったんだよ、とは言えず、俺は答えた。
「なんか、方向性の不一致みたいな……」
「バンドかよ……」
しかし、そんな適当な理由でも、二人の様子を見ていると一端の説得力はあったようで、金子さんはあきれ顔で首を振るだけだった。
× × ×
昼休み恒例になりつつある保健室での会議の内容は、もちろん幽霊騒ぎの件だった。
「ということで、多分、幽霊の正体は俺と真青さんだと思うんだよね」
「だよな。俺も思った」
「てか、ほんまに部活やったんか自分ら」
毎日出入りしているのだから、一人二人目撃者がいても不思議はない。髪の長い女子生徒が真青で、前髪の長い人影が俺だ。
暗くなるまでは部室のカーテンは開いているし、たまたま、俺や真青が窓に近づいた時に外から見えた。外からは室内は暗く見えるので、そこにぼんやり見えた影が不気味に映った。加えて、放課後、旧校舎というそれっぽいワードも相俟って、怪談話に発展した、というのが事の真相だろう。赤城の目撃情報がないのは、『髪の長い女子生徒』のほうが幽霊っぽいので、伝言ゲームの中で消えてしまったと考えるのが妥当だった。
「しかし、どうするよ。結構噂広まってるみたいだし、そろそろ肝試しする奴が出てくるんじゃね」
衣替えも終わり、そろそろ本格的に夏が来る。となると、怪談話もヒートアップするのが、世の常だ。
「わざと幽霊のフリしておどかすとか?」
怖がらせて追い払おうと提案した真青だったが、
「余計騒ぎになるぞ。下手したら、部室の鍵壊して入ろうとする奴が出る」
麻木先生が、首を振った。もちろんそんなことをしたら生徒指導室行きだが、悪ノリとは恐ろしいものだ。
「じゃあ、どうしよう。あんなとこに電源の入るパソコンがあるなんて知られたら、ホントに活動できなくなっちゃうよ」
下手に立ち入り禁止にしたところで、入るなと言われると入りたくなるのが人の心理だ。人の来ない場所を好み悪さをする妙な連中も、多少いる。部室がバレる可能性がまったくないとは言い切れなかった。
各々、腕を組んで唸る。噂を打ち消すには、新しい噂で塗り替えるか、話題にするほどでもないつまらない事実を与えるのが効果的だ。しかもその事実は、真実である必要はない。真青と付き合っているのは赤城ではなく俺である、というような、適度な説得力があるだけでいい。
そこで、ふと俺は思いついた。
「成功するかわかんないけど……。あと一人協力者がいれば、なんとかなるかも」
その言葉に、全員が一様に、首をかしげた。




