おとなげ
タイムアタックのスコアを、もはやどう足掻いても抜き直すことが不可能な記録に塗り替えられ、俺は落ち込んでいた。
「はぁー……。欲しかったなァ、らぶぃくんの王冠」
白身フライをかじりながら、本日何度目かのため息をつく。
「課金飛行具に移動速度増加ポーションからの華麗なコーナリングって、もう完全に張り合えない奴じゃん。暫定一位が俺だって知ってたくせに、ウサギ先生本当大人げない」
移動速度増加ポーションは、百円程度の追加課金で手に入る消費アイテムだ。使用後二十四時間、アバターの移動速度が二倍になる。飛行具にも適用される。二分台を叩き出すには、それしかなかった。
「ためらわずに課金するところは、むしろ大人だろ?」
保健室の自分のデスクに昼食を広げ、割り箸を綺麗に割った麻木先生は、偉そうに笑った。
「無理のない課金、略して無課金って奴かァ……」
移動速度増加ポーションはセーフティサービスでも時々もらえるが、そちらは一.五倍の三時間なので、より強大な金の力には勝てない。一度だけ、仮想現実システムの真骨頂を味わってみたくて倍速ポーションに課金したことがあるが、グルファクシで全速力を出したら、危うくバックトゥザフューチャーするかと思った。受信機能を切ってゴーグルを外し、従来のレーシングゲームのように画面だけ見ていれば行けるかと思ったが、視野がモニターのみになるので更に無理だった。何故ウサギ先生はあのスピードで最短距離を回れるのだ。彼こそ化け物だ。
「てか、ウサギ先生そんなにらぶぃくん好きだったの?」
コンビニのサラダを啄む麻木先生に、俺は訊ねた。
「いや?今の装備に飽きてきたところに良さそうな報酬があったからついな」
「”つい”で抜かれたのかァ……」
追加課金するプレイヤーのおかげでとーすとのサービスが続いているようなものなので、最低限の課金しかできない学生風情が文句を言う筋合いはない。しかし、相手が知り合いだと、恨み言のひとつも言いたくなるのが人間だ。
「十メガで売ってやろうか」
「自分で取らないと楽しくないからいいです」
一メガは百万なので、一千万。もちろんゲーム内通貨の話だ。その気になれば用意はできるが、『装備は自前』が俺のポリシーなので、実力で手に入らないものは潔く諦める。
「シールドブレイカーの称号取った時はどうやったの?」
「あの時は、学校が春休み期間で、偶然俺の休みと正式リリース初日が被ったんだよ」
「一日休みだからって、スタート初日にトルマリまで行こうっていう精神がすごいよね」
マザーグランデは広い。攻略情報の出揃った今ならまだしも、β時代の限られた情報しかなく、課金でしか移動速度増加ができなかった時代にそれをやるのは、もはや人間業ではなかった。
「教員は学生が休みの間に研修やらなんやら詰め込まれるから、休日が貴重なんだよ。効率良く楽しまないと、一日なんかすぐ終わる」
そうして誕生したのが、日中普通に働きながら、二年で生産スキルを全て極めるという、恐るべき効率厨生産廃USAGIだったというわけだ。社会の闇を感じた。
「ところで、今日はお姫さんたちは一緒じゃないのか」
「うん、今日は真青さんも赤城も、友達と食堂行くんだって」
皆、それぞれにコミュニティがある。海鳥もホームは四組なので、真青以外と校内で会うことは、意外と少ない。
「そういや、夏季限定メニューが出る季節だもんな。そんで、佐藤は一人で昼飯か。侘しいな」
衣替えの季節になると、食堂のメニューが一部変わる。いつも弁当の俺には縁がないが、食べ盛りの高校生たちの胃袋を支えているだけあって、安くて美味いらしい。卒業するまでに一度くらいは利用してみようと思っているのだが、ついクセで弁当を作ってしまうのだ。
「元々一人で食べることのほうが多かったから、そうでもないよ。ウサギ先生もいるし」
「ふーん……」
一年の頃は、クラスで食べる気分でないときは、一人で屋上に行ったり住吉さんの休憩場所を訪ねたりしていた。むしろ、いつも誰かと一緒に過ごしている今のほうが異常なくらいだ。
静かにしていれば追い出されることもないので、そのまま保健室に居座り麻木先生と雑談をしながらのんびりとした昼休みを送っていると、不意に廊下から、足音だけでわかる威圧的な気配がした。
「失礼します!」
威勢のいい挨拶が聴こえて扉が開くのと、俺がベッド区画を仕切るカーテンの向こうに身を隠したのは、ほぼ同時だった。
「どうした」
「紙で指を切ってしまって、絆創膏をもらいたいのですが!」
無駄にハキハキと通る声で、事情を説明する男子生徒。カーテン越しなので姿は見えないが、足音の時点で予想した通り、小林風紀委員長だった。前髪の件で再三に渡り彼の指導に逆らい続けているので、できれば鉢合わせたくない。普段から影が薄い俺は、姿を隠して音を立てなければ、滅多に気付かれない。かくれんぼで鬼になった記憶がないくらいだ。シノビになれるかもしれない。
「消毒してやるよ、見せてみろ」
麻木先生は、纏う空気は不真面目だが、職務に私情を挟まない良い先生だ。俺がいるそぶりなど微塵も見せない。しかし、
「先生。最近また、赤城巧が保健室に出入りしているそうですね」
切り出したのは、小林委員長のほうだった。
「それが?」
「しかも、相変わらず真青春果を連れていて、終いにはあの佐藤駆ともつるんでいるとか」
『あの』ってなんだ。目立つようなことはしていないぞ。
「『あの』ってなんだ。目立つような奴じゃないだろ」
麻木先生が代わりに聞いてくれた。
「いいえ!あの前髪は校則違反も甚だしいですよ!生徒手帳には、男子生徒の髪型について『眉、耳に掛らない程度の短髪で、染髪などをせず、清潔感のある髪型』とされています!」
髪型に関する校則は、多様化とグローバル化の叫ばれる昨今では、もはや形骸化してしまっている。全て守れているのはそれこそ、風紀委員長の彼だけではないかと思うほどだった。
「ぶっちゃけ、そろそろその文言変えるべきなんじゃないのって話も出てんだよなあ」
「先生方までそんなことを」
釈然としない真面目な若者の声に、ふん、と鼻を鳴らして笑い、麻木先生は続ける。
「誰だってコンプレックスくらいあるだろ。放っとけよ」
「ですが、社会に出れば、外見のコンプレックスなんかで規範から外れた格好をすることは許されませんよ。甘やかすのは良くないのでは?」
小林委員長は、なおも食い下がる。確かに、就職するにしろ進学するにしろ、身嗜みにはある程度の基準がある。俺の前髪はもちろん論外だ。それはわかっているのだが。
「……コンプレックス”なんか”って簡単に言える奴は、幸せなんだよ」
妙に含みのある言い方をする、麻木先生だった。
「ま、決められた規則を守ることは、人間生活には大事だよ。守らせることもな。小林の言い分のほうが、正論だ」
そして麻木先生は、小林委員長が何か言う前に、ただし、と付け加えた。
「他人に規則を守らせる場合、全員に平等にやらんと、いらん天邪鬼を生むぞ。俺だって、その日たまたまやってたネズミ捕りに引っかかるとさあ、自分の反省より先に、取り締まるんなら徹底的にやれよって思うしな」
その語気に一瞬、一高のウサギ時代の血の気の多さが垣間見えて、隠れている俺の背筋が冷えた。
「全員に……?」
「佐藤の髪は、極端だから目に付くってのはわかる。けど、女子の髪型についても、『肩に付く長さの場合は結う』ってのがあるだろ。あと、『スカートは膝丈程度』もだな。真青の違反はどう考えてんだ、風紀委員長?」
真青は、髪は体育で邪魔になるとき以外は基本的に下ろしている。スカートも、はしたないような丈ではないが、明らかに膝が見える丈だ。
「そ、それは、男子の俺が言うと差し支えがあるだろうと思って、女子の風紀委員に任せているだけです」
ちなみに小林風紀委員長は、危なっかしい丈のギャルたちに対しては、全く臆することなく注意して変態呼ばわりされている。そして、それにめげない強いメンタルの持ち主だ。
つまり、真青に対してあからさまに態度が違うことは、誰もが知っていた。
「ふーん、そうか。ほれ、終わったぞ」
麻木先生は、性格が悪い。若かりし頃の鶴崎先生の苦労が窺えた。
「手当、ありがとうございました。失礼します!」
このアウトローな大人を相手にするのは分が悪いと踏んだのか、小林委員長が速やかに保健室を出て行く音がする。来た時とはうってかわって、静かに扉が閉まり、
「オンでもオフでも、大人気だなあ佐藤。羨ましいぜ」
「あれは好かれてないと思うんだけどなァ……」
居心地悪そうに盆の窪をさすりつつ、足音が遠ざかるのを見計らってカーテンの裏から出てきた俺を見て、麻木先生は肩を揺らして笑った。元々陣取っていた長椅子に座り直し、俺は訊ねる。
「ウサギ先生、コンプレックスある?」
「あるように見えるか?」
「ううん」
即座に首を振ると、悪い大人は一際楽しそうに、にやりと口元を歪めた。
「あるの?」
「さあね。あっても、ないように見せるのが大人なんだよ」
その答えを聞いて、大人になるのは難しそうだ、と前髪を摘んで弄りながら考え込んでいる間に、昼休みは呆気なく終わった。




