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穏やかな時間

ハッピーエンドだと思います。

 朝食後。

 幸次は食後のコーヒーを楽しんでいた。既に幸太と美衣はそれぞれ、職場、学校へ出ている。向こうの世界へ呼び出される前は、自分も職場へ出ている時間だ。

ここに帰還してからは、朝のゆったりした時間を過ごすのが日々の楽しみとなっている。美穂と言葉を交わすこともなく、テレビから聞こえてくる朝のニュース番組をぼんやり聞いている、こんな穏やかな時間を美穂と過ごす、「このためにも帰ってきたかいがあったよねぇ」と漏らすと、美穂は穏やかな微笑みを向けてくる。

自分は性別も変わってしまったけれど、美穂とこうしている時間はやはり宝物なのだと思う。


30分ほどもこうしていただろうか。洗い物をしようと美穂が立ち上がったとき、固定電話のベルが鳴った。


「あ、私が出るから。幸次はコーヒー飲んじゃってね。カップも洗っちゃうから」


「はいはい」と苦笑を返す。シンクに洗い物を持っていって、俺は掃除でも始めようかな。と考えていると。


「幸次……」


美穂がこちらを向いて、「お義父さん、駄目みたい」


 幸次の父は、1年ほど前から癌を患い、入退院を繰り返していた。臓器の切除を行うが転移が進んでおり、手遅れではあったのだ。それでも薬の効果で、癌の部位は縮小していたと聞いていたのだが。

どうやら再発していたようだ。幸次は行方不明のままであり、家には病状が詳しく伝わっていなかったようである。


「そうか……美穂、すまんが準備をして向かってくれるか。俺はすぐに飛んでいくから」

「大丈夫なの? その……女の子の格好で」

「ん、いずれは話そうと思ってたんだ。最後くらい、いてやりたいしな」

「そ、うよね。あの、幸太達も呼んでいくから、今からだと、午後の新幹線……かな。ごめんね、間に合わないかも」

美穂は悲しそうに、顔を歪めてすまなそうに話す。

「いいさ、俺の喪服はいらないから。こちらで準備する」

「うん、わかった。お義父さんによろしくね……幸次、本当に大丈夫?」

「ん、ああ。美穂も気を付けて。戸締りとガスとか気を付けて来いよ」

「わかってるわよ……」

「では、先に行くぞ」


幸次は転移魔術を発動する。





 病室。ベッドが1つしかないそこは、弱弱しいうめき声が聞こえている。

老人が、ベッドの上で痛みに喘いでいた。麻薬で弱められている感覚は、それでも癌がもたらす痛みを完全に消し去ることはできないようだ。

 その病室の隅に、いつしか一人の少女が佇んでいた。淡い金髪を腰まで伸ばし、青い紋様が描かれた僧服。この世界では、僧服と認知されるか微妙なところではあるが、少女が元いた世界では、聖女のみが身に着けることを許された聖衣である。


コツ……コツ……と歩く足音を聞いた老人は、そちらへ目を向け……


「幸次が? 幸次だべ?」


と声を掛けた。

 偽装もしてない、このディアーナの格好なのに、どうしてわかったんだろう。親には敵わないな。と思う。自分も父となったが、自分の親を超えることは出来るのだろうか。なんとなく、それは一生叶わないのではないか、そんな気がする。


「ああ、こんな成りだけど、幸次だよ。父さん。ただいま」

と、泣き笑いで父のベッドの傍にある椅子に座る。


「……可愛くなって……幸次、元気だったか」

 とぎれとぎれ、恐らく命を削ってしゃべっているのだ。だが、幸次にはそれを止めることはできない。最後くらいは好きなようにしゃべらせてあげたい。自分のような親不孝者が、相手でもいいのならば。


「ああ、いろいろあったけど、元気だよ。美穂や幸太もこっちに向かってる」


「そうか、そうか。母さんは、いったん家に帰ってる。もうすぐ来る」


と、老人が苦しみだす。内臓、腸にも転移しているのだ。内臓が動くと痛むのだろう。


「父さん、痛いか?」


「ううっ、痛い……な」


幸次は手を握る。気が紛れるのかよくはわからないが、少しだけ老人の険が和らぐ。


「父さん、痛みだけ、なんとかするよ」


腹部に手をかざす。暖かい光が漏れると、老人の口からほう、と息が漏れる。同時に麻薬の効果も打ち消す。


「どう? 楽になったかい?」


老人は驚きに目を見開き、「お前がやったのか。よく見りゃ、その恰好、尼さんか」と笑った。


「なんだよ、尼さんて。これでも聖女って呼ばれたんだぞ。あっちじゃ」


「あっち、か。お前も面白いことになってるもんだな。大丈夫なのか? 子供の女の子だぞ。見た感じは」


「あ~、内緒だけど、子供もいるよ。むこうで生んできた」


「大丈夫、ではないということか?」


「いや、もうここに戻ってきたんだ。もう大丈夫だよ。最後まで心配かけた。ごめんよ」


「そうだな。心配だったが……幸次は強くなったな。そんなになっても、どんな目に在ったかは知らんが、戻って俺の死に目に間に合ってくれたのだ。だから」


老人は微笑み、少女の頭に手を伸ばす。


「だから、泣かんでくれるか」


「それは……無理だよ。そこまでは強くないさ」


少女は涙を流しながら答える。


「折角最後に別嬪さんが見舞いに来てくれたんだ、せめて笑ってくれると、良い冥土の土産になるんだけどな」


「はは、父さんは向こうでも元気なんだろうな」


と、少女は泣き笑いのような顔を向ける。これが精いっぱいの笑顔なのだ。


「ああ……元気で……やるさ……」


 老人は目を閉じる。安らかな寝息が聞こえる。次に目が覚めるかどうか。次が最後の時だろう、そろそろ母が戻る頃だ。驚かすのは、いろいろ終わった後にしよう。

それまで、2人で穏やかな時間を過ごしてほしい。自分と美穂のように。



 少女は病室から姿を消す。恐らく、今晩まで持たないであろう。田舎故、葬儀に纏わるあれこれは、色々大変なのだ。自分も準備を始めよう。



その後、目覚めた父は、最後の僅かな時間を最愛の妻と過ごすことができた。

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