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煙が目に染みて

「おおん、おおん、うおおおん、べそべそ」


「はい、いらっしゃい! ……3人様で! えーと、奥のお座敷どうぞ! 3名様ご案内!」

「いらっしゃいませ!」

「っしゃいせー!」


「えぐっ、えぐっ、ぶぇぇぇ」


 幸次は行きつけの酒場のカウンター、焼き場がよく見える端の席でビール片手にモツ焼きと格闘していた。このぼってりと大きく切られたレバー。表面はしっかりと焼かれ、その身に秘伝のタレを纏わりつかせた褐色の身は、官能的なまでの艶を見せ、早く食べてと誘っているかのようだ。食うけど。


「うえええええ、うえええん」


「はい! ナマチュー3と盛り合わせと煮込み3丁!」

「あいよー!」

「あ、すいませーん!」

「はい! ただいま!」


 桃色の花びらを思わせる唇を開くと、レバーを口に含み……豪快に串をスライドさせ、咀嚼を開始する。まずタレの甘辛い味。ぷつり、と表面のぱりりと焼けたところを噛みしめると、なかからトロリとレバーの甘みが口いっぱいに広がる。これこれ、この味ですよ。そこをビールで洗い流す。


「んーーー!!」


 思わず声が出るというものだ。ちなみに生ビールのサイズは中である。6年前は大ジョッキを雄々しく飲み干していたのであるが、あれは中々に重いもので、今のこの体では強化しないかぎりは大ジョッキを自在に操ることなどは出来ないのである。


「おーいおいおい。ちょっと聞いてるのかよ、父さん。ぐずぐず」

「もぐもぐ……聞いてる聞いてる。マスター、ナンコツとタンとシロとカシラ。シオで」

「あいよ! ビールのお替りはいいかい!?」

「ホッピーで!」

「あいよ!」

「……そっちのネエちゃんはいいのかい?」

「……ぐずっ、生中……」

「……あいよ!」



 カウンターに並ぶ薄いビールの色をした少女とそれより濃い色の金髪を後ろで束ねた少女よの一回り大きくしたくらいの美女。黒にピンクのラインが入ったジャージに身を包み、双方とも中々のボリュームを誇る胸部をテーブルに載せながら(楽なのだそうだ)、やけにおっさん臭い食物を口にしている図は、ちょっとしたものである。

 この店のマスターは、幸次の自宅がある町内会での付き合いが長い顔見知りだ。もちろん6年前の幸次のことも知っているのである。おかげでちょっと飲酒にはどうかというような幸次の外見にもかかわらず、なにも咎められることもなくアルコールの類が出てくるのであった。


 少しだけ七味を振りかけたこのホルモン煮込みの美味さはどうだ。数日煮込んだこのホルモンはなんと味付けは塩だけだと言うではないか。しゃっきりと盛られているネギと共に口に入れると、トロリと溶けていく肉に目を細めて、ビールを流し込む。至福。


「はい、ホッピー……と生ね」


 氷と焼酎が入っているジョッキにトクトクとホッピーを注ぐ。ちょうど一杯になったところでビンの中身が無くなる。その正確無比な量に感心しつつ、ハツをコリコリと咀嚼し、ぐいっと。


「ぷはー。旨いねぇ。ほれ、幸太も呑め呑め」


「ううっ、ちくちょう。うぐうぐ……」


 ふうっと、息をつくとポツリポツリとあの時のことについて話だした。

 ……あの時とは捕まったときのことではなく、精霊を憑かせたときのことでもなく、ご先祖が憑いたことでもなく、その後のことであった。

 ああ、あの、男好きしそうな娘か……と理解した幸次は黙り込んだ。



 幸太が話し出して15分。概ね幸太が勝手にぐすぐずしゃベリ、幸次が適当に(本当に適当であった)相槌を打つ展開である。幸次は出来るだけ肉と酒のマリアージュに集中し、残りを幸太の相槌に使うといった具合である。


「あ、頭を錦に染め上げて、この寒いのにダメージジーンズを履いた風の子感ある、ボクちゃん強い子だねーっていうと、ホヘ? って返しそうな感じの男だった」


「すごい言われようだな」


「へい、カシラと……その他!」


 2人の前に追加注文した焼き物が並べられる。焦げ目がジワジワしているカシラに味噌ダレをちょいとつけてぐいっと、口の中へ。肉だ。肉の味。油と肉汁と塩と唐辛子入りの味噌が混然一体となり、ディアーナ脳が幸福で満たされ、追撃のホッピーで幸次脳が喝采を上げるのだ。


 タン。ここは豚のタンを使用しており、牛タンにはない気安さ、それでいて心を鷲掴みにする旨さを客に提供しており、佐藤家の男性陣(?)もこの至宝の一本に憑りつかれた呑兵衛の一角をなしているのである。

 ぐいっと咀嚼。(おおお! これは! この歯ごたえ! 旨み! 店主の塩加減と焼き加減のたまものじゃの!)……脳内で煩くわめくのは31代目の聖女であったカリーナだ。日本で没する際にはカリナ婆ちゃんとよばれていたとかなんとか。佐藤家の先祖であり、なんと家系図にも書かれているときいて、一同、でんぐりかえったものである。兎も角、幸太もその旨みに感じ入りながらもコリコリと肉片を噛みしめ、ゴクリと飲み込む。こちらはビールで口の中をさっぱりさせるのだ。


「でね?」


 若干座った目の金髪美女に僅かに慄きつつ、「お……おう」と続きを促せば。


「美樹ちゃんの元に駆け寄って、ぐいっと抱き寄せたのだ! あの頭にカラーボールが詰まってそうな小僧は」


「酷い言い方だなぁ」


 頭を肉と酒で満たしている2人の女子(?)は、更に各々が持つジョッキを傾ける。


「あまつさえ、2人とも目を合わせて……ちゅーしたのだ! オレの目の前で!」


「目の前で」


「頭の中まで鶏なんじゃないかと思わざるを得ないような、赤や金の髪を中途半端に立てた男が!」


「ひどいなぁ」


 主に豚肉を詰め込んでいる最中の幸次は呆れつつも相槌をうちのだ。


 まあ、つまり、始まる前に終わった系の、そんな話であったのか。

 幸次はそのような失恋の経験はほぼ無かった。いつの間にか決まっていた美穂との婚約と結婚という、かなり珍しい人生を送っているのだ。もっともそれ以外の部分が幸次の人生をより珍妙にしているのであるけれど。


「で、でもまあ、女の子なんていっぱいいるしな? な? まあ呑め。空か。マスター、焼酎お湯割りで」


「父さんはいいよなぁ、サクッと良い人見つかるし」


 店主は幸太の「父さん」という言葉に気づかわし気な視線を幸次に向ける。ここは多くが常連客とはいえ不特定多数の客が来店する店なのだ。ただでさえ悪目立ちする容貌であるので、更に目立つのはこの2人にとってもあまり良いことではないだろう。


「あいよ、焼酎ね」


 メジャーな甲類焼酎をグラスに注ぎ、お湯で割る。このシンプルな代物は、不思議と油ギッシュなモツ焼きとこのうえなく合うのだ。

 幸太はそれをグーっと、些か危険な速度で飲み干してみせ、ふう……とため息をついた。


「ああ、モツ焼きの煙が目に染みる」


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