春の目覚め(下)
(あ、もうめげそう)
転がされたまま、数回の蹴りを貰った幸太は既に心が折れかけていた。
両親と違って、あまり格闘技に取り組んでいなかった幸太は、痛いことには慣れていないのだ……慣れるのだろうか。
結局、話は平行線。まさか右手に埋まっている宝玉を差し出すわけにもいかず、出来てもやっぱり差し出すわけにもいかない代物ではあるので、適当な受け応えをしていたのだが、イラついた男がついに暴力に訴え始めたところである。こういう手合いはやっぱりキレやすいのかしら。と不規則に襲う体への衝撃に耐えていた。
ドンっと腹に衝撃を覚え、「うぐっ」と幸太は呻く。(さすがに耐えてても無駄な気がしてきたし……やろうかな。あれ)
そう、耐えても相手が疲れるのを待たねばならず、待ったとしても事務所で1戦終わらせた仲間が加わる可能性が高い。
「あ、鷹さんお疲れっス! タケのやつ、まだ美樹ちゃん抱いてますよ。アイツも元気ありすぎっすねー」
BGMのように行為を想像させられる声が聞こえる事務所から、少しばかりチャラそうな若い男が出てくる。ガチャガチャとベルトを弄っているところを見ると、やることはやってきたのだろうな。と謎の義憤8割、妬み2割くらいの複雑な感情が芽生えてくる。よく考えてみたら、俺はそんな経験なかったなぁ、と2割の感情の元に思いを馳せる。そうだ、父も30過ぎに結婚するまで経験がなかったとかなんとか。実際には早々と母との婚約は取り付けており、どちらかと言えばリア充寄りの人間であったが、それはさておき、30過ぎまで童貞であったのだ。そのせいかどうかはわからないが、セオリーに則って魔法使いのようなものになってしまっているのだが。
ちらりと、事務所のほうに目を向けると開いたままのドアから中の様子が少しだけ見える。残念ながら(?)ベッドや行為の様子は見えないものの、金属製のラック(以前は資料などが置かれていたのだろう)が見える。刀剣類、鏡や勾玉などいかにも魔力が籠りそうな物品の中に目を引くものが。
(日本人形? にしては顔が西洋人っぽい……金髪だ。着物だから日本人形なんだろうけど……)「ゲフッ」
様子を見つつ、人1人分加わった暴力に少し意識が飛びかける。今や、手加減しているであろうが、頭部へも攻撃が広がってきている。このままでは、ちょっとしたきっかけでエスカレートしかねない。それでもなお、幸太は性別や見た目が変わりかねない行為に躊躇していた。数か月にわたって躊躇していたのだ。追い込まれてもまだそこらへん割り切れていなかったのだ。まあ、自分の問題であり、先送りに出来るのであればそうしてしまうのだ。
自分の問題であれば。
それが他人を含む問題になれば話は変わってくる。幸太にとっては、きっかけは事務所からの声であった。
「……もう許して……帰らせて……」
息も絶え絶えに絞り出すような弱々しい声がそれだ。
(まだ、そうしているの?)
(誰……? 精霊じゃない?)
父を思わせるような、もう少し成長した大人の落ち着いた女性の声。
「ヤダッ! もう……」
事務所の向こうから聞こえる声は、何かを想起させるように、幸太には思えた。意思を無視して加えられる行為。帰るべき場所に帰ることができない少女、それは父が確かに負っている瑕と同じものだ。所詮幸太はどちらも経験していない、そのような立場ではないので想像することしかできないが、一度考えてしまったそれは自分の中で、野火のように広がっていった。
(私は……)
(僕が……)
目に火花が散る。それは殴られたからか怒りのためか。カッと全身が熱くなるようだ。
(助けたいわ)
(助けよう)
(承ったよ!)
最近では聞きなれた精霊の声。その声と共に、右手の甲が猛烈に痛み出す。
「あ……うわぁぁ!」
一方的に暴力をふるっていた男たちは、幸太のただならない様子に警戒した様子で後ずさる。
「や、野郎っ!」
加藤が感じたのは、膨大な魔力だ。このような魔力を発する物や生物に会ったことがない。これは人に扱うことができるものなのか?
とにかく仕掛けれられる前に仕留めないと!
加藤は、デニムのポケットからバタフライナイフを取り出し、一気に仕留めるべく飛びついた。殺しは出来れば避けたいところではある。組織を存続させるには、この日本では殺すこと自体大きすぎるリスクなのだ。だが、これを放っておけばリスクどころではない破滅が待っているように、加藤には思えたのだ。
「死ねっくそっ!」
魔術を成功させるための時間は、複雑度にもよるが反復練習を繰り返していれば数10分かかるものを数秒にまで短縮できる。
魔術を齧りだして数か月の幸太は、まだまだ反復練習など出来ていないのだ。
(やば、やっぱ無理かも)
(いいえ)
バシッ、と大きな音とフラッシュのように強い光が瞬き……
「な、なんだ……?」
「え……」
襲いかかろうとした加藤も幸太も暫し呆然とする。
相も変わらず芋虫のように横たわる幸太の目の前に、あの人形が佇んでいた。そして……
「ひっ……お、おば……」
(お前たち親子は……)
ポロリと首が外れ……
「む、むぐっ」
(怖がりであるのう)
転がる首の唇と幸太の唇が重なっていた。
「えっ!? うそっ!? あ、あいたぁぁぁ!!!」
先程の精霊と同化する際の痛みなどとは比較にならない痛み。全身を砕かれているようにも錯覚するような暴力的な、と形容したくなるような痛みが幸太を襲った。
(何、痛いのは最初だけ。最初だけすこーし我慢するのじゃよ)
(じゃよ、って!)
「ちっ、おいお前ら! 全員でかかれ!」
加藤が慌てて事務所に向かって声を張り上げた。程なくして、最低限パンツだけは身に着けた男たちがぞろぞろと出てくる。
一方の幸太は先ほどの声のとおり、痛みは数秒程度で治まり、それでも残滓を感じるのか荒い息をついている。
(憑りつかれた……)
(さっきから幽霊扱いとは酷いものじゃの。ほれ、早速己の頭の中を探ってみよ。いいか、魔術の知識じゃ)
言われたとおり、魔術に関する知識を思い出そうと頭を捻る。すると、以前から丸暗記したかのような知識が、確かに存在することに気がついた。まるで辞書が放り込まれたかのような感覚だ。
(この私の知識を覗き見ることができるようになっておる。使え。31代聖女の知識をな)
31代。聖人が出てくる間隔は100年以上じゃなかったっけ。それはともかく。
何故か思ったより膨大になった気がする魔力を利用し、かねてより研究していた術式を展開する。但し、展開するのはこのならず者の死角。
展開された術式は複雑でそれなりの規模を持つ。総じて術式は複雑化すると巨大になり、巨大化すると流し込む魔力も膨大になるので、術式自体を強化するために補助的な強化の術式をかけることになり、さらに巨大化していく。幸次の術式はこの辺り工夫してあり、瞬時には感知できない程のサイズまで集積度を上げられるのだが、これはまた別のお話。
工場の生産ラインに使われていた設備が、音もなく固定されていた地面を離れ、宙に浮いていく。さらに幸太が望む形に変形していき……ある程度の形になったところで、幸太は満足げに笑った。
「鷹さん、こいつ……こんなんでしたっけ……?」
部下の男が、困惑した様子で加藤にこの困った状況をどうにかしてくれと丸投げする。
「魔力のアイテム使われちまった……どうやって使ったのかは知らねえけどよ。コイツもパニクってるうちにやっちまうぞ!」
ウッス! と、野太い返事と共に襲いかかる男達。のナイフは届くことはなかった。
「うわっ!? なんだ!?」
「イテェ! ぐえっ」
ある者は首根っこを咥えられ、ある者は幸太から引きはがされるかのように放り投げられ、ある者は胴ごと挟まれ高く持ち上げられており……
巨大な5つの首を生やした金属の塊が、まるで生きているかのように幸太の前に仁王立ちしていた。幸太の術式、それは自律可能な人形、ゴーレムの術式であった。精緻な制御が必要な術式はエンジニアである幸太の力作である。いわば魔術工学? とでも名前が付けられそうなそれは、完全に幸太のオリジナルである。
「ふふん、名付けてメカヒドラ……ってところか。んんっ! あーあー、風邪かな」
うんうん、と咳払いしながら幸太は立ち上がった。いつの間にか、ぐるぐるに巻かれていたロープは緩んでいたようで、するりと体から解けたのである。
(器用じゃのう、ここの鉄くずでゴーレムとはの5本の頭を同時に動かすのも中々じゃ。流石は私の子孫なだけあるわ)
「子孫……って、やっぱりおばけじゃねぇか! あー、うん、うん、やっぱり喉おかしい。女の子助けて帰ろう。かっこいいなー俺」
うきうきと、事務所ー入っていく幸太。幸い、身長が縮むこともなかったようで、つまりは元通りのはずだ。それよりも女の子だ。優しく慰めてあげなきゃね! 先程までの怒りはどこかに消えたのか、あわよくばお友達とかそんな感じからどうかなぁ、と実に呑気なことを考えながら事務所のドアをくぐる。中学生男子並みの思考。
「大丈夫か! 助けに来たよ……うひゃぁ!」
あられもないすがただ! 見えちゃったよ! すごく白くて柔らかそうだ。
「あの……助けて頂けるのですか?」
「へっ!?」
一瞬逸らした目をうっかり戻す。うっかり。あれ、ちゃんと隠したほうがいいんじゃないかな!? と思いつつも、色々あってその辺がアレな感じなんだろうな。アレってなんだろう。と無理やり自分を納得させる。
「え、あ、た、助けて……じゃないや、助けに来ました。一応……あ、あの……な、何か着たほうが……」
(これだから童貞というやつは……)とご先祖サマの呆れ声に思いっきり泳ぐ目は、次の少女の一言でピタリと止まった。
「す、すみません! 同性だったので、安心しちゃって……ふ、服着ちゃいますね!」
同棲。いきなり!?
と、ボケるほど天然ではないつもりでいる幸太は、黙り込んで下を見……ようとしたら何かに遮られていることに気がついた。
でけぇ! そして髪ながっ!
さらりと零れ落ちるはちみつ色の髪は、自身の頭部へと至り、確かに地毛であることが判る。
そして、視線を遮っている2つの物件は妹の美衣よりも父の乳よりも2回りほども大きく感じられる。
そう……
幸太もTSしていた。
がさごそと少女が服を着る音と、「おおうい。助けてくれぇ」と少しばかり間抜けな助けを呼ぶ声を聴きながら、家族に知られた時の反応を想像してうんざりとため息をついた。
すっかり美人になった幸太を見て大爆笑する父(やはり両親には大笑いされ、妹には微妙な目を向けられた)とこの件の後始末(ゴーレムは男共を咥えたままであった)をしに行く最中、「美人姉妹」的なささやき声にいろいろ削られるものだなぁ、とため息を止められない幸太である。
この姿は数日で元に戻り、幸太は大いに安堵するのであるが、これからも忘れたときに女性の姿になってしまい、やっぱり大いに自身の美貌に悩まされることになるのであった。
ご先祖の逸話は後で書いときます。
8/3 ヒドラの下りが分かりにくいとのことで(あとで……とか思ってたら……)、描写を追加しました。
7/10 少しだけ加筆。もう少し足してしまうかも。




