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春の目覚め(上)

 彼らの目的は分かっている。この宝玉(僕の力)だ。



「困ったなぁ……」

 自由にならない両手両足にもぞもぞと動かして、やっとのことで姿勢を変えたことで出た安堵のため息と共に転がり出た呟きは、冷たいコンクリートの床にかすかに反響した。

 廃工場と思しき大きな建屋の中は、微かな油の臭いと高い位置にある、小さな窓から差し込む光に照らされるとそれと判る埃に満ちている。その片隅に転がされている青年は、赤みを帯びた日の光を見て、胸の中に湧き上がる焦燥感を何度目かのため息と共に吐き出した。



 春先とはいえまだ寒さが残る朝、幸太は一人の休日を楽しむべく、街に繰り出していた。


 残務整理や(ディアーナ)関係のあれこれで非常に忙しかった幸太にとっては自由に時間を使える久しぶりの休日だ。前日夜から休みの計画を、頭の中で組み立ててニヤニヤしていたのだ。何しようかなっ、どうしよっかな。と。

 午前中は本屋だろうか。ネットでの購入や電子書籍も利用しているが、書店のあの雰囲気、紙の匂い、カラフルな背表紙が並ぶ本棚を見ていると、宝の山を目の前にした気分になる。

 昼はしばらく行ってない洋食屋にしてみようか。チーズインハンバーグとカニクリームコロッケの盛り合わせ。豚汁のセットで少し豪華に。肉汁迸るハンバーグをナイフで割ると、中からとろけて絡まる白いチーズ。さっくりとした衣を割り、口に含むと熱々のベシャメルソースと微かに感じるカニの風味。そして旨さを数倍に膨らませる白いご飯が補強する。想像しただけで口からビームが出そうだ。


 午後は映画だ。難しいものではなく、軽いノリでスカッとするものが良い。ただし、ファンタジー系はダメだ。魔法などもっての外だ。なにしろどうしてこうなったのかわからないが、自分の周りは魔法が身近なものとして存在しているからだ。映画でそんなものを見たら、残業してる気分になってしまうのだ。まあ、父が使うのは魔術で、自分が学んでいるのも魔術なのだが、魔法とはちょっと違うんだなと。傍から見れば似たようなものだが。まあ、魔法や魔術はおいといて、あれだ、マッチョなニーチャンかオッサンがドンパチやるのが良い。ベッタベタなハリウッド的なやつだ。


 映画でスカッとしたら、電気屋を冷やかしてみるのもいいか。前々からグラフィックボードを、自室のパソコンに取り付けたいと考えていたのだ。これで、あんな動画やこんなゲームが快適に。ちょっと後を伸ばして電気街をうろつくのも良いかな。最近は電気店以外の店も多いと聞くが、それでも電気街だけあって選ぶ楽しみはまだまだ残されているのだ。


 久しく足を運んでいないゲーセンも良いな。下手の横好きというレベルではあるが、所謂音ゲーを嗜むのだ。周囲に誰もいないことを確認して、下手なステップを踏んで汗を流す。


 そんな休日の計画を立てながら、ベッドの上でゴロゴロする。まるで遠足前の小学生のようだ。



 そうして迎えた次の日。



 バッグを片手に街に繰り出す。休日朝の駅は人もまばらで平日の殺伐とした喧噪もなく、どこかのんびりとした空気が流れている。子供連れでどこかへ遊びに行くのであろう、楽しげな笑い声も聞こえてくる。


 ところで、幸太は父から受けた格闘技の心得も多少ではあるが身に着けている。だか、あくまでも多少であり、実戦などほとんど経験がない。魔術の知識もまた父より学んでいるが、これも知識だけで実践不足だ。ゆえに、この安穏とした空気の中に漂う違和感にもまた気が付かなかったのだ。


 予定を少し変えて、電気街へと足を向ける。特に理由はなかった。夜はあれほど頭の中で計画を立てていたというのに、自分でもなぜ計画を変えてしまったのか。心の片隅にわずかな疑問を覚えたが、頭を振ってそれを追い払う。まあ、いいじゃないかと。自分は今リラックス中なのだ。だから、行動が少しくらい我がままでも仕方がない。計画たてた昨日の自分、ごめん。

 電気街口を降りると、そこは休日ならではの雰囲気だ。


 縦横無尽に行きかう人の流れ、店舗から流れてくる軽快なBGM、パンフレットを配る人々。


 駅からほど近いカフェで一息入れながら、幸太は付近の地図を思い浮かべる。魔術の訓練を始めてからというもの、頭に思い浮かべるイメージがより具体的に、よりリアルになりつつある。地図は詳細な住宅地図のように(勿論覚えている範囲ではあるが)。人物はよりくっきりはっきりと、肌の質もリアルに再現。世の男子には夢の技術だ。

 あのパーツショップで工作用のマイコンボードでも買おう。あそこの大型電気店でグラフィックカードを検討して、裏通りのあの店で昼食といくか。いやいや、ここはメイド喫茶なんてあるんだっけ、一人でも大丈夫だろうか。そういえば、街角にそれっぽい恰好したお姉さんがいたな。パンフレット貰えるかな。


「よしっと」


 幸太は快晴の日差しの電気街を縫うように歩みを進める。


「いいな、この感じ」


 思わず声が出てしまう。やはり買い物自体を娯楽としてみると、このような専門店が並ぶ街はまだまだネットに勝ると思う。


「あ、メイド……」


 どういうわけかまだ結構距離があるというのに、自分とそのメイドの間だけが人が視線を阻むこともなく一直線に誰もいない空間が伸びていた。黒髪を赤いリボンでツインテールにまとめ、猫を思わせる弧の字を描いた目と、白く肉感的な肢体と相まって妙な愛嬌を感じさせる。一言でいえば幸太の好みであった。見惚れたのは一瞬だが、そのメイドは幸太の視線に気が付くと、にこりと微笑んだ。

幸太とメイドの間が空いていたのはほんの数瞬だ。すでに行きかう人々が、幸太の視界を埋め尽くしている。


 あの娘にパンフ貰おう、と人ごみをかき分けていき……メイドに手をされたパンフレットをちらりと見た瞬間、幸太の意識が霞にかかったように希薄になっていく。


「……美人局?」


 幸太の思考力はすっかり鈍っていた。


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