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年越しの準備とオヤジ達の集い

 佐藤家は大晦日に御馳走を食べる習慣がある。つまり、おせちは正月のものではなく大晦日に食べるもの、という認識があるのである。そして、30日の今日はその準備に追われているのである。

 夕方にはまだ早い時間。この時間でももう辺りは青みがかった薄暗さと、クリスマスからのイルミネーションの光が綯交ぜになり、急ぎ足のサラリーマンと家族連れ。この都心へのベッドタウンとしての顔を持つこの街は、人通りも極端に少なくなっている。幸次にはもうお馴染の、年末独特の空気だ。

 冷たい、いつもよりも幾分澄んだ空気にぶるっと身震いする。

 幸次は、自分が履いている厚手のストッキングが存外暖かいことに感心しつつ、ダウンジャケットに首をうずめる。



「さてと、まずは八百八(やおはち)でネギとゴボウと……大根と蓮根か。根っこばっかり。くーださーいなー!」


 小さな商店街の行きつけの八百屋にたどり着いた幸次は、いつものように店主の親父を呼ぶ。


「おー、幸次の親父……じゃねぇや、嬢ちゃんか! わはは!」


 嬢ちゃん、と言われたあたりで反射的にチッと舌打ちする。この姿になってもうすぐ6年。そろそろ慣れるかと思っていたが、やはり違和感が拭えない。オッサン時代の方がいろいろ気楽なのであった。


 メタボ腹はあの脂肪がどこに行ったのか見事にくびれ、格闘技をやっていたためにごつごつとした太い腕と手はふわりと丸みを帯び、白く繊細に。最近ひとまわり大きくなってしまったが、胸も邪魔になるかどうかギリギリの線でその美しさを主張するかのように張っている。よくわからないが、妻にも褒められるくらいにはよいものらしい。

 面影が残るというば残っているのは、意外なことに顔だ。元々日本人としては濃い目の顔立ちであったそれは、ディアーナの日本人離れした顔(いや、日本人ではないのだが)と相まって、神々の悪戯かと思うほどに可憐で美しい顔立ちだ。しゃべらなければ、だが。


 ともかく、買い物を進める。


「あいよ、450円だよ」

 言いながら、八百屋の親父が袋詰めにした野菜を渡す。


「さむ……今日は熱燗かな。ほい450円」


 おー、いいねぇ。と手を振る店主に手を振り返しながら、マフラーを口元まで上げてぶるりと体を震わせる。




「次は……っと、鶏もも肉と鳥ガラか。おーい! 肉屋いるかぁ! にーくーやー!」


「あーうーるせぇ! ……なんだ佐藤さんの旦那か」


「おう、もも肉2枚とガラひとつ頼む」


 基本、普通に接するのだ。この辺りの店主は。理由は……


「あいよ、670……650円でいいや」


 包み渡してくる店主は、いつもの一言。


「おう、今日は行くのかい?」


 片手を口元にもっていって、くいっと。


「寒いからなぁ。熱いのやりたいねぇ」


 要は飲み仲間だ。


「いいねぇ。俺も店閉めたら行くわ」


「おう、待ってるぜ」




 魚屋でナマコとキンキ。わざわざ取り寄せて取り置きしてもらったものだ。佐藤家ではこれらが年越しには欠かせない。それと、マグロのブロック。明日は昼からネギマ鍋で一杯やるつもりである。


 ガラガラ。


「いらしゃいー! おう、幸次さん来たぞー!」


 最後はいつもの居酒屋だ。


「帰る前に軽く一杯。な」


 荷物を足元に置いて、カウンターに座る。各自、席を詰めてスペースを開けるのが、この酒場のマナーだ。カウンターには、八百屋と肉やの店主が早くも始めているようだ。そろそろ、魚屋もくるだろう。


「んじゃ、ま、熱燗とカシラとナンコツからいくかな。塩ね」


「あいよ!」


 お遠しのコンニャクのピリ辛炒めをつまんでキュッとひと口。ジュンマイとかギンジョウなどとは違う、おっさんが居酒屋で飲む熱燗のべっとりとした甘さが残る酒だが、この熱さが冷えた体には御馳走だ。


「ん~~~!」


 思わず足をパタパタさせるのも頷けるというものだ。微妙に愛くるしい仕草も、周囲の男達のいい酒の肴である。


「はい、カシラとナンコツ。熱いから気をつけろよ」


「わかってるよ、いただきます……んまー!」


 カシラのジューシーな旨み。この店独自の辛みそが添えられているのが心憎い。ちょいちょいと付けてもう一口。


「……旨いなぁ」


 頬に手を当て、ほわりと笑みを浮かべる少女 (のようなおっさん)は、合間に酒で口に残る油を洗い流すことも忘れない。


「ええっと、次は……」


 コリコリとナンコツの歯ごたえを楽しみながら、品書きを眺める。


 レバーいっとくか。

 ネギマはやっぱり外せないぞ。

 いや、カワの旨みをこの体は求めているのではないか。

 タンもいいな。

 いや、煮込み……! その手があったか。


「オヤジ! ツクネと……ゲッ!?」



「お父さん! やっぱりこんなところで……お母さんも待ってるんだから、帰るよ! ……ツクネとネギマとレバーと……」


「カワもおまけしとくよ。美衣ちゃん」


「わあ、ありがとうございます!」


 こうして夜更けまで……のつもりが、ぷりぷり怒った娘の美衣が迎えに来てしまったので、幸次はほろ酔い程度で帰ることができた。


 このまま飲んでいたら、買ったものをすっかり忘れて帰るところであったのだ。多分。


 なお本日、佐藤家の夕餉には焼き鳥20本程が追加され、幸次の財布が幾分軽くなったのは仕方のないことであろう。



2015.5.30 意図しないルビがあったので応急措置しました。

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