夫婦試合
雪が薄らと積もった野原に2人は対峙する。
1人は少女。薄い色の金髪を後ろに束ねたジャージ姿の幸次だ。
1人は青年。同じ色の髪を同じく後ろに束ねたこちらは道着姿の美穂だ。
10mほど離れたところで向かい合う2人は、それぞれ魔力を迸らせる。
「よし、いつでもいいぞ。そっちから動いて――っ!? うがっ!」
幸次がしゃべっている最中に、目にもとまらぬ速さで距離を詰めた美穂が重い前蹴りを放つ。
その速さは精霊に憑かれる前の自分では考えられない人外というべき瞬発力。
その重さは、女性であった頃の自分では持ちえなかった威力。
美穂の実家は幸次も通った格闘術の道場を営んでおり、美穂も幼い時分から幸次と一緒に修練を積んできていたのだ。女性の軽い体をカバーするように相手の呼吸を読み、柔軟な体から繰り出す変化のある攻撃。
前蹴りを両腕で防いでしまった幸次は、その後の変幻自在な変化を加えつつも、常人では視認できないような速度の連撃の前に防戦一方だ。
(あ、まずい。これ、めちゃくちゃ強いぞ……!)
打撃防御と同時に、強化された手で手足を取ろうとしても、それ以上の速度で引いていく。自分と同じ身体強化がある相手と戦うのはこれが初めてだ。まさかこれほどやりにくいことになるとは。
そんな感想を内心で抱く若干下がった幸次の顔めがけて、美穂が膝蹴りを出してくる。頭を固定された状態ではないが、尋常ではない速度で放たれるそれは、入れば只では済まない一撃だ。反射的に両手でガードしようとした幸次に、その衝撃が伝わる……ことはなかった。
(!? しまった!)
正面から打ち込まれた腹部への衝撃と共に吹き飛ぶ幸次。4,5mも飛んだであろうか。とっさに衝撃を殺そうと、後ろに飛んだ幸次だが、当然全てを受け流せるはずもなく……
「うげぇ!?」
胃の中身、今朝食べた旅館の朝食を吐き出してしまう。勿論、その様を眺めている美穂ではない。意外と自分の拳に伝わる力が少ないことに気が付いた美穂は、追撃の蹴りを蹲る幸次に放つ。
げぇげぇと吐きながら、転がるように避けた幸次は、吐瀉物に濡れた自分の胸元から立ち昇る臭気に顔を顰める。
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青年が少女を嬲るかのような光景。
……なんとも壮絶な光景ではあるが、これは夫婦げんかのようなものである。
発端は幸次がスキー客と思しき男たちに声を掛けられたことだ。要するにナンパだ。
困った笑顔でのらりくらりと躱している幸次にイラっときた美穂が少しばかり手荒に男たちを遠ざけた。それに驚いた幸次が普段の自分を遠い棚に放り投げて叱りつける。
はぁ? と呆れ半分で幸次を睨みつける美穂。なんかちょっと権太顔だ。自分だって私が声掛けられてたら色々してたでしょう。と。
は? 俺はあれだよ。色々鍛えてるからいいんだよ。
はいぃ? 私だって稽古してるし。技術なら幸次より上だし。
「あ?」
「おお!?」
睨み合う2人。
2人とも、同門の格闘術を学んだもの同士だ。ましてや、片や妻となった少女の兄弟子、片や稽古を続け女性のハンデを克服する術を克服してきた妹弟子。
どちらからともなく、挑発し合い、試合する流れになってしまった。
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幸次は、踏みつけるように放たれた美穂の蹴りを必死に躱し、どうにか足首を握ることに成功する。
「いっ!?」
全力で握られ、骨がきしむ感覚に慌てる美穂。躊躇なく外側に捻る幸次。流石に格闘術ではこのような人外の力に頼った攻撃など学んでいない。その力を自分も持っていながらもなお、この攻撃は常識外れではあった。
「あ、がぁぁぁ!」
倒れ込みつつも、幸次の腹の上に馬乗りになる美穂は、荒い息をつく。攻めようにも吐き気がするほどの痛みに、油汗を流すばかりだ。
「あ、ああ……こんなことで……」
痛みに涙が滲む視界に映る幸次に狙いを定め……
「み、美穂……」
「自分の妻を守れるかぁぁ!」
渾身の力を込めて振り下ろす。
驚きに目を見開く幸次。その口元はどこか嬉しそうに緩んでおり……
美穂の意識はここで途絶えた。
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自身の頭に感じる柔らかな感触と、甘い女の香りを感じながら意識を浮上させたのは、それから2時間後であった。旅館の畳の上。
「む、起きたか」
今は聞きなれた可愛らしい声は、幸次のものだ。そして、この柔らかく暖かいのは幸次の膝枕だ。
「負けた……かぁ。でもどうやって下から攻撃したの?」
ふむ……と形のいい顎に手を添えて、あの時の結果を思い出すように口にする。
「全身を強化してるからな。あの拳を躱して、上半身をおもっいきり起こした」
んー? と、その意味を考え……あっ、と身を起こす。
「あー、頭突きかぁ……その手があったかー」
悔しさに、再度幸次の膝にゴロリと転がって、腹に顔を埋めると、ぐりぐりとこすりつける。
「怖かったよ」
え? と顔を上げる美穂の顔を幸次は両手で優しく包み込む。小さな手は包み込むというよりは、挟み込むと言った方が適当かもしれないのだが。
「うん、この体になってから、初めて負けを意識した。言うだけのことはあったよ、美穂」
そっか、と嬉しさに自然と浮かぶ笑みを誤魔化そうと、顔を幸次の腹に埋めなおす。幸次はそのくすぐったさと、どこからかこみ上げる愛おしさに、ふふっと笑いながら美穂の頭を優しく撫でた。
「ありがとう」
嬉しさと照れを含んだ声。
「守ってくれて。ありがとう」
くぅぅぅ……と控えめに主張するお腹の音を至近距離で聞いた美穂は、幸次が満足するランチのお店を頭の中でリストアップする。
「……今日は美穂の奢りだからな。腹の中が空っぽだよ」
「なんだ、午後も相手してほしかったのに」
「また、吐き出させようってか……鵜か俺は」
2015.1.7 誤字修正と加筆少々




