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穴と暴走とサンマ

「つまり、この世界はあっちの世界から概念的な穴のようなものが空いてるんだな……さんま旨いな」


 夕食時に、父さんがこう切り出した。

 うん、確かにこのサンマは身がほこほこして、脂がのってて、はらわたの苦味も素晴らしい。大根おろしにも合う。


 ……ではなくて。


 「それも魔術なのかな?」


 父さんが預けてくれた魔道デバイス。そのインターフェースをスマホから呼び出すのはすごく苦労したけど、その中の膨大な情報を読み解いているところだ。いきおい魔術にも詳しくなる。

 今のところは、魔力が弱いという欠点があるが、これがあれば。発動までシーケンスを実行できれば……

 魔法陣を指で書く、というやり方も検討中だ。誤タップが怖くて試せていないが。


「ん? ううん」


 幸次は腕を組んで考え込む。


「うーん、魔術でもあるが、それはあくまでもきっかけだ」

「というと……あ、そういうこと」


 魔力の流れによって、小さな穴を通してこちらに流れ込んでいると。小さな穴がいくつも開けられ、流れる魔力は世界の境界を徐々に削り取っていく。流れる水が岩を穿つように。


「つまり向こうの世界に戻るということは」


「うん、穴を塞いでしまうということだな」


 こちらの世界に魔術師がいるというのは、つまりそういうことだ。元々存在しない魔力が向こうの世界から流れ込んできている。その魔力を取り込んでしまった人間に、向こうの世界の人間が接触すると魔術を行使するノウハウが伝わり、魔術を使用できるようになる。ということらしい。

 もっとも、向こうの世界でも魔力を持つ人間は1000人に1人程のごく低い割合のようだ。こちらの世界では流入する魔力もまだ薄い。人数も質もまだまだ低い状態なのであるらしい。






 佐藤家にもそのような穴がある。幸次が落っこちた穴と、戻ってきた穴。どちらもこの世界有数の大きさを誇る。誇っていないが。


「今のうちにこの穴を塞いで回らないと、こちらに魔術が広まってしまう。魔術は便利なものだが……それを知った支配者は例外無く殺戮のための利用を考えるだろうね」


 幸次はもたもたとサンマの骨を取り除きながら、穴を塞ぐ理由を説明する。


「ふさいじゃったら当然……」


「そうだな」


 幸太の懸念が肯定される。


「……」


「おっと、食事中にするような話じゃなかったな……おかわり」


 見れば、美衣の箸が止まっていた。差し出した茶碗を受け取って、ご飯を半分だけよそった美穂が話題をそらすように、「駅前でシュークリーム買ってきたの。後で食べましょう?」と少しだけぎこちない笑いを浮かべる。


「あ……」


 美衣は顔をあげて周りを見る。父の苦笑、母の困ったような笑顔、兄の苦虫を済みつぶした顔(実際、サンマの腹を口に含んで苦味を堪能していたのであるが)。ぱんぱんっと両頬を叩いて、笑顔で謝る。


「ごめんっ、ちゃんと考えておくから。ごちそうさま。お父さんもダイエット中でしょ? 程々に、ね」


 んぐっと、幸太に続いて幸次も苦い顔する。

 美衣がダイニングから出ていくと、幸太がふう、とため息をつく。


「父さん、俺は付いていくから」






 行けば戻れない一方通行。何せ自分たちで帰る手段を潰して回るのだから。つまり、ここで別れれば永遠の別れになってしまうのだ。確実、ではないであろう。死に別れるというわけでもない。だが、穴を潰してしまえば、百戸に戻る手段は失われる。また長い年月をかければ、穴の1つも空くかもしれないが、生きているうちにその手段を得ることはほぼ不可能だ。

 幸太は既に選んでいる。家族と一緒にいるか、この世界の暮らしを取るか。


「でも、みんな残るって言い出してもまあ、俺くらいは行くだろうなぁ。このデバイスもあるしね」


 と、照れ臭そうに笑った。








 ぐっちょぐっちょぐっちょぐっちょ。


 風呂上がり、体の手入れは習慣化しておらず、ムラっ気のある幸次は、美衣に髪を乾かしてもらいながらアイスクリームに、安物のブランーデーをたっぷりかけたシロモノをスプーンでかき混ぜている。色素の薄い肌に薄らと血の色がさした頬を緩ませながら、手に持ったアイスクリームを丹精している様子は、幼さの抜けていない少女のようである。実際、肉体的に年齢はそうなのであろう。もっとも、アイスにかかっているブランデーの強い香りに頬を緩ませているだけであり、中身は見た目通りの美少女ではないのであるが。


「ん~~~~っ!」


 一口食べたアイスクリームが会心の出来であったのだろう。スプーンをぶんぶんと振り回してそのおいしさを表現する。


(向こうに行けば)

 と、美衣は幸次の髪をブラッシングしながら考える。一家は聖女の縁者だ。東部ではどの国でも保護される。もちろん、幸次の本拠地であるところのフィアーセもだ。そして、殆どの国々は封建制度のようだ。立憲君主制を採用している国もあるが、ごく僅か。まだまだ決定が早い体制を採用する国が殆どなのは当然だ。そういう世界なのだから。

 それはつまり、自分がどこにいても今のような自由な空気は吸えないということ。どこにいても人の目があって、自分は自分でもあって、でも、他人から見たら教会の駒、なのかもしれない。


「ん~~~~っ!」


 二口目も心を揺さぶる美味しさだったようだ。足をぱたぱたと揺さぶりながら、そのおいしさを表現する。


(駒ということは)

 おいしそうね、と適当な言葉を掛けて考える。フィアーセとやらは、大聖堂を中心とした都市らしい。つまり門前町みたいなものだ。なんとなく、頭の中に永平寺とか清水寺の様子が浮かんでくる。日本人らしい。

 つまり、自分の周囲はお坊さんばかりなのだろうか。つまり、出会いが無い。つまり、お見合い結婚。

「んぐっ!」

 明後日の方向に暴走しかけた自分の妄想に、妙な呻き声をあげてしまう。ん? と幸次が顔を僅かに後ろ――美衣の方に向けるが、美衣はなんでもないよと、幸次の頭を優しく持って前を向かせる。ふわりと、コンディショナーの香りがした。

 

(いやいや)

 政略結婚なるものもあるかもしれない。どこかのイケメン王子だ。やっぱり白タイツとか履いてるんだろうか。小学生でも無さそうな王子のイメージが頭に浮かんで、思わず笑いそうになる。

 政略結婚。相手はナントカダンシャクみたいな太っちょで頭が薄い、背の低いおっさんかもしれないぞ。と想像する。

「……絶対いやだぁ……」


 なんか言った? と幸次が顔を僅かに美衣の方に向けるが、美衣はなんでもないよと、幸次の頭を優しく持って前を向かせる。コンディショナーは美衣お気に入り、薔薇の香りのだ。幸次から漂うその香りを胸いっぱいに吸い込む。よく考えてみると、目の前の父がそんな変な結婚など勧めるわけがないのだ。ついでに、さっきのナントカダンシャクのイメージは、まんま以前の父の姿である。

(お父さんごめんね。前のお父さんも結構良かったから。あとナントカダンシャクさんも)


「おとうさん」


「なに?」


 あーん、とアイスクリームを口に運びながら返事をする幸次。


「結婚相手はかっこいい人にしてよね」


「ん~~~! ……ぶぅぅぅぅぅぅぅ!!! げほっげほっ」


 美衣の暴走した思考の余波をまともに受けた幸次はおもっきり(むせ)た。

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