目覚めて
「ん……」
幸次が目覚めたのは、和歌山の騒動から2日後のことであった。自宅の布団で目覚めたとき、深夜なのか隣に美穂が寝息を立てていた。
しん、と静まり返った夜の雰囲気に、こちらには何事も無かったことを悟ると、ほっと息をついてそっと布団から抜け出す。
んん、と美穂が寝返りを打つが、すぐに元の寝息をたてはじめるのを見届けて階下のリビングへ向かう。寝ぼけまなこで、階段を降りようと右足を踏み出す……が、その足は階段を踏むことなく片足を穴に突っ込ませ、バランスを崩した体はそのまま階段を転げ落ちる。
「あばばばばば!」
ごろんごろんと階下に転がる幸次。思えば向こうの世界に飛ばされたときも階段降りようとした時だっけ……と懐かしく思いながら起き上がる。
「いてて……階段に穴とは。何があったんだか……あれ? 誰か電気消し忘れたか?」
リビングのドアから僅かに漏れる光に気が付いた幸次は、そっとドアを開ける。
「……なにやってんの?」
割れたリビングの大きな窓、破れたソファ。片付いてはいるがあちこち破壊されたリビングの中央には、黄色い軍衣を着こんでいる聖女付きの騎士が胡坐をかき、満面の笑みで幸次を迎えた。
「おお! 気が付いたかお嬢!」
幸次は、ぐっしゃぐっしゃと頭を撫でられながら、「で、なんでまだいるの?」と唸ると、「いや、こちらにも賊が入ったようでな。ちょっと暴れたんだが……ちょっと家? を傷つけてしまったかもしれん。窓も壊してしまってな。お嬢が気が付くまで待っておったのだ!」わっはっはっと笑いながら再び幸次の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
黄色の軍衣を着こんだ男は、辺りを見渡してしみじみと呟いた。
「しかし、ここがお嬢の家か……狭すぎて驚いたぞ。小屋かと思った」
ほっとけ、と幸次がペシリと叩いてにこりと微笑む。これでも35年ローンなのだ。
「……で、まさかこの手狭な家にエスティヴァン、お前が来るとはな。ここに出たのはシャーリード帝国の者か?」
エスティヴァン、と呼ばれた男は、ふむ……と顎を撫でつつ恐らくは幸次の勇とおりであろうと答える。
「しかし、倒した途端死体が掻き消えてしまってな。恐らく、召喚術のような術式が刻まれていたのだろうが」
「ふん……」
シャーリード。異教の教圏で、髄一の規模と野心を持つ、次々と周辺諸国を併合していく大陸中央部の強国だ。彼らがどのようにして知ったのか、疑問はあるがどうやら幸次が元の世界に戻ったことを察知したのだろう。
「その上で、対抗できる駒をこの世界から連れて行こうとしたわけか……つくづく他力本願なことだ……っとごめん。お前に言ったわけではないが」
すまなそうに眉根を下げるエスティヴァンに手を振る。エスティヴァンも向こうの人間で、幸次を非道にもこの体に封じてしまった組織の一員なのだ。
「……お嬢、今回で拠点をすべて潰せたかどうかはわからんが、結界らしい反応はこの島には無いようだ。他の大陸も見てみたいが、そこまでは我らも手を回せなんだが……」
2m弱の巨体を気持ち小さくしながら、すまなそうに頭を下げる。
「よい。というか、アルスたちも来てたか?」
「うむ。もう帰ってしまったが。お嬢の良人がいる世界と会ってはな。居ずらいだろうさ」
くっくっく、と笑うエスティヴァンをじっとりと睨む幸次だ。
「ときにお嬢」
「うん?」
「お嬢が言っていた、カレーという料理だが。この俺にお似合いと言っていた料理だが」
「お? おう」
「あれはいいものだな!」
カレーである。かつて、幸次が黄色の軍衣を纏ったエスティヴァンを見た時に発した言葉が、「なんかカレー好きそう」である。昭和世代である幸次は、黄色い巨漢はカレーという、セピア色の連想により、いつかカレーを食べるといいとエスティヴァンに言い聞かせていたのである。今回、エスティヴァンはその本懐を遂げたというわけである。
「美穂のカレー食ったのか」
「うむ。美穂殿と、美衣殿の作るカレーは絶品であった」
「美衣も作ったのか」
「うむ?」
「まだあるのそれ」
「……いや、お、お嬢が言ったではないか。カレーはのみものだと……いたっ! いたたたた! 鼻が! 強化は勘弁!」
「もう帰っていいぞカレー男。俺だって美衣のカレー食ってねぇのによぉ!」
「あだだだだ! お嬢! そろそろ現界も限界だから!」
ぎりりりりりりっと、エスティヴァンの鼻を捩じりながら、今日は美衣のカレーがいいな。と涎を垂らしているうちにエスティヴァンの姿が徐々に薄くなり……
「お嬢、我らは全員お嬢のご家族も大事なお方だ。どうか……」
エスティヴァンの訴えは最後まで聞こえなかった。聞きたくもなかった。
「私は……どうしたらいいんだ……ディアーナ……」
幸次は俯き、唇をかみしめた。
聖騎士とかそういうアレはこっちを見るとアレかもしれませんので、どうぞアレしていただければ幸いです。
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