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憂鬱に、酔う

 青森、八甲田山のとある湿原、周囲にこの湿原にアクセスできる道は無い。八甲田山には、沢山の湿原が存在し、それが八甲田の名前に繋がっていると言われている。


 通常では立ち入ることができない空間に、1組の男女が向かい合っていた。

男は身動きができない状態で棒立ちである。女――少女であるが――指を男の胸に突き付けて美しく微笑んでいる。

女が口を開く。

「特にそちらからはお聞きしたいこともありませんし、いまさら命乞いもないでしょう? 貴方の声、預からせてくださいね」


 男が、まて、と口を開きかけたときには既に遅く、どれだけ喉を振るわせようとしても、口から出るのはひゅうひゅうと空気が漏れる音のみ。――この女、いつ力を使ったのだ? その力を何の苦も無く、使ったことが判らぬくらい自然に行使してのけたことに、驚愕し、この目の前の少女の力量に、それが己に向かって振るわれていることに恐怖する。


「そろそろ、体も動かなくなってきたでしょう? 目と瞼は動かせると思うけど。瞬きくらいできないと辛いものね。倒れないように支えているから安心してね」


 邪気の感じられない笑顔で少女は、言葉を繋ぐ。思えば、手足はおろか、首も動かなくなっていた。少女の言う通り、目は動かすことができるようだが……


「この世界でこんなに早く人を殺すことになるとは思わなかったけど……こっちにも魔術を行使できる人間がいることに気が付けたのは幸運なことね。随分幼稚な使い方だと思うのだけれど。他の術師に師事したりするほど層が厚いわけではないということかしら……」


 少女は男を見上げながら、ぶつぶつと独り言をつぶやく。


 ――魔術? この力、俺達だけが使えると思っていた、この力は魔術と呼んでる者たちがいる? この世界? この女、

何言ってるんだ!? なんなんだよこいつは!?


「貴方には聞かれても、何の問題が無いので自己紹介しますね」


 少女は一歩下がり、優雅に礼をする。


「私は、ディアーナ。ディアーナ・ローゼと申します。ここの世界とは違う別の世界で魔術の心得を習得しました。あ、後聖女とも呼ばれています。ちょっと恥ずかしいですよね」とはにかむように笑った。


「貴方が手を出した子は、私の実の娘でして…… ここで貴方を開放してしまうと、娘に危険が及んでしまうかもしれないんです。親としてはちょっと見過ごせないんですよ。幸い私は人体程度の大きさであれば、特に問題なく消すこともできますので、後片付けも安心、というわけです」


 ここでディアーナは、あっと口を手で覆い、少しだけ頬を赤らめる。


「失礼しました。ちょっと話が飛んでしまいました。割と大事なことを言い忘れてしまうことがあるようで、よく注意されるのですが……」


 はぁっ、とため息を吐いて、首を振る。


「貴方、気の毒ではありますが死んでくださいね。あ、勿論苦しくないようにいたしますので、どうぞご安心ください」


 人道的でしょ? と首を少し傾げ、可愛らしく微笑みかける。


 男は目だけをぎょろつかせ、必死で何かを訴えているが、ディアーナにはその訴えは届かない。既にディアーナの中では、男は処理する対象としてしか映っていないのだ。


「では、失礼します」


 と、ディアーナは小さな両手を首筋にあてがうと、そこで男の意識は暗転した。


 ディアーナは何度か、男の意識が残っていないか確認すると安心したように微笑み、男の全身を取り囲むように、魔法陣を現出させ、指をパチンと鳴らす。すると、緑にぼうっと光り……真っ白い炎が男に無我ってふきつけた。


「指ぱっちんは、不要なんですけど。こういう作業には、少しの潤いがあってもいいと思うんですよね。骨も残さないので……ちょっと供養には不都合があるのかしら……」


 ふと少し考え込み、「今は違うところの聖女ですし、その辺は仕方ないですね。仏教徒でもあるのですが」


 などと、手を合わせつつブツブツと呟きながら、今や原形を留めないほど崩れた男の体を見つめる。


「私の家族を危険な目に合わせたのです。そのような存在は、この世界の人間であっても……私は許しませんよ」


 ディアーナは薄く嗤い、湿原から掻き消えるように姿を消した。




「ただいまー」


「あ、お父さん! 平気だった!? 怪我とか無いの?」


「んー、ないぞー」


 幸次はいつもの、のんびりした口調で答え、キッチンへ向かう。妻の美穂は、まだ帰っていないようだ。


「お父さん、ちゃんと女性っぽい言葉話せるんだね。いつもその口調でもいいのに」


 幸次は冷蔵庫を漁り――あっレバーペースト! と嬉しそうに声をあげる。


「む、そういう口調は前の俺の姿を想像したら、気持ち悪いじゃないか。もう少し皆がこの姿に慣れたら考えるよ」


「ふうん、残念」美衣は少し不満そうに、口を尖らせる。


「あ、みんなにはまだちょっと内緒だぞ。俺も口調は練習してからの方がいいからな」


「練習してるんだ……うん、わかったよ」


「俺ちょっと疲れたから書斎に引っこんでるから」


 と、一言告げ、幸次はレバーペーストを盛った小鉢を手に書斎へ向かった。


 ドアを閉め、机からスラリとした瓶を取り出し、中身をグラスに注ぐ。少しだけ、と言いたいが今日はいいよね……と、指2本分だけ。以前の体での指2本だが。


 ドン・フリオ。幸次が帰還してから、買い求め、飲まれる日を待っていたテキーラ。いい値段なので、栓を開けるのはもう少し後だと思ったのだが。冷蔵庫もない部屋なので、ハードリカーばかりだ。そろそろセラーでも……と思ってはいるのだ。


 肴にしようと持ってきたレバーペーストを箸の先に少しだけ。それを舐めるように味わう。鳥のレバーと香味野菜をミキサーにかけただけのシンプルな料理だが、深いコクのある味わいと香味野菜のスパイシーな香りが口の中に広がる。そこへ、テキーラを流し込む。


 あ、テキーラの香りを楽しむには、レバーペーストは拙かったかな。と思いつつ、バニラっぽい香りを放ちながら喉を抜けていく。熱くなる喉を感じながら、幸次は、ディアーナはため息をつく。


「美衣にディアーナ、見られちゃったなぁ……はぁ……」


 向こうの世界で何があったのか大体のことは美衣も知っているのではあるが、実際に見られるのは避けておきたかったのだ。別に口調も練習しているわけでもない。幸次と一緒にこの身に封じられたもう一つの存在が、その口調を自然にさせているのだ。出来ればその存在は見せてやりたくはない。いつもの父としていつもの変わらない家族でいたいと思う。

 物憂げにグラスを回しながら、それでも今度はゆっくり香りを楽しみつつその中身を口に放り込んだ。

※ 2014.4.28 句読点や微妙な言い回しを修正しました。

※ 2014.4.27 誤字修正しました。

※ 2014.4.26 ちょっとだけ加筆しました。


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