日常の終わりの始まり
幸次は扉に手をかける。が、力を込める前に、半歩後ずさる。
「どうしたの?」と囁くように美衣が声をかける。
幸次は、自身の胸を指して、「保険をかけておく」と言いながら術式を構築する。
「……起きてるだろうな、あいつら」
そう呟きながら扉を開いた。
「えぅ……ごほ……」
扉を開いて聞こえてきたのは、弱々しい呻き声と幸次もよくは知らない詠唱の声。
そして、薄暗い30畳はありそうな板の間の奥に見えたのは、魔法陣がびっしりと描かれた巨大なローラーに下半身をつぶされている少年の姿だった。
幸次はその幼い子に対する所業を見て、カッと頭に血を上らせる。体がこの所業を成しているであろう、詠唱を続ける人物たちを血祭りにあげるべく、動きそうになる。が、直後に背後から美衣の「うっ……」という呻き声で我に返る。
「美衣、目を逸らしてろ。大丈夫。助けるから」
ぽん、と美衣の頭に手を置いて、くしゃりとなでる。
「うん……私も大丈夫。お願い助けてあげて」
ああ、と返事をして向き直る。向こうも護衛だろうか、黒いスーツを着た男が拳銃を幸次と美衣の二人に向けて構える。即座に美衣の周囲に防壁の術式を展開。被術者の行動が防壁によって制限されてしまうが、より強固な防御を実現する強力な術式だ。同時に幸次が横っ飛びに銃弾を避ける。幸次の後方でカンと乾いた音と共に幸次の足元に着弾し、それが防壁が銃弾を弾いたためと気が付き幸次は仰天する。急ごしらえの防壁は表面が波打ち、跳ね返した銃弾をどこに跳ね返すのかいまいち判別がつかないのだ。
その跳弾に驚いた幸次だが、要は護衛を倒せばいいだけだと気が付くと、尚も飛んでくる銃弾を僧服の裾をひらめかせて右に左に躱しつつ(銃弾は見えていないのであるが)、護衛の男の足元から炎の柱を噴出させる。炎の犠牲となった男の様子を見ると、幸次は動きを止める。
相変わらず、術者達の詠唱は続く。子供は普通であれば、とっくに息絶えているであろうに、いまだにうめき声を上げ続けている。血だまりと、内臓をつぶしたのであろう臭気が鼻につく。
「……」
手遅れだ。形の良い眉を顰め、一見して判るその惨状を見つめる幸次。ローラーを取り囲むように配置された術者達は、こちらに気が付いているであろうに詠唱することをやめない。幸次が手を出さないことを知っているからだ。幸次には、少しずつ魂を向こうの世界に送り出しているように見える。そして、この陣に痛みを鈍らせるためのものが混ざっていることに気が付いたからだ。被術者の魂に術を行使するには、肉体を破壊しながら掛ける必要があるのだろうと推察する。幸次の知識にはそのような術はないのであるが。
つまり、肉体的にも精神的にもこの子供は既に手遅れだ。
術者を殺せば、この子は痛みによる死か、それでなくとも普通であれば既に死に至ってもおかしくない程失血しているであろう。ここでこの子を楽に殺しても、分断された魂はどうなるのか。
つまりは、この子の術を見届けるのがせいぜいであるという結論に達してしまう。それに気が付き、自分の力不足を感じ、相手の思惑に乗るしかないことに歯噛みする。
「……はぁ」
ため息を1つ吐いて、術者の輪の中に入り、子供の上半身の傍らに座り込む。胡坐をかこうとしたが、ちらりと見えた己の白い脚を見て正座で坐りなおす。ローラーはゆっくりと、だが着実に子供の体を押し潰していく。それでもなお意識があるのは常時治癒の魔術が掛けられているからだ。癒すためではなく、魂に術を掛けるために。死んでいく者の魂を生きながらに凌辱するために。別に幸次は大して善人というわけではないが、現代日本で育ってきた普通のサラリーマンであったのだ。その常識と比べても、向こうの世界での教圏の常識と比べても、目の前で行われている行為は到底容認できる行為ではない。
「助けたかったんだが……って、女の子だったのか」
服の胸元から見えたささやかなふくらみは、これから成長するであろうこの子供が女性であることを窺わせる。もうすぐ迎えるであろう死を前に意味があるかどうか、幸次はその少女の乱れた服を直してやる。そして、安心させるように微笑むと、少女の額に手を置いて囁くように呟く。周囲の術者が慌てるように目を泳がせる。
「貴女はもうすぐこの世界での生を終える。でも絶望することはありません」
幸次の手から色とりどりの小さな魔方陣が生み出され、少女の体を覆う。
「さて……貴方にはどのような祝福を授けましょう?」
少女は徐々に薄くなっていく意識の中で、確かに視界に映る美しい女性を見ていた。この女の人に頭を撫でられるたびに、今自分に行われていることも恐ろしいものではなくなっていくような、自分には「この先」があるのだという安心感に満たされていく。
不意に自分と頭を撫でてくれる女の人の間に、光が満たされる。ぼやけていく目を凝らすと見た事も無い字や模様が見える。
「……向こうに行っても困らないように、私は言葉をあげましょう」
少女の中に聞いたことも無い、見た事も無い異国の言葉が焼き付けられる。
「自分の脚で立ち上がれるように、力強い心を。私のようにならないように」
少女の意識が、周囲の術者が放つ魔術を拒み始める。抗精神魔術がその魂に焼き付けられたのだ。
「あとは、ええと。一芸あったほうがいいし、少しだけ魔術の心得を」
一瞬素が出た女の人に和んだ少女に魔力が満ちる。
「……よし。向こうに行っても悪い大人に騙されないようにね……必ず迎えに行くから……おやすみ」
幸次がふわりと頭を撫でると、少女は眠るように目を閉じた。
魔力を使いすぎた。元々自身への封印術式を抑えるための対抗術式が限界にきており、魔力総量自体がそれほど高い状態ではなかったのだ。そのうえで祝福などという、聖者で伝えられる秘儀を即興で使ってしまったのだ。自らの封印術式も最早抑える力も無くなるだろう。封印術式を刻まれた胸がチリチリと痛む。
「まだ……やることが……あるんだ」
詠唱を続ける術者達を一瞥し、力が入らず震える足を手で叩きながらも、どうにか立ち上がる。この期に及んで、まだなお少女の魂を自分たちに都合のいいように「加工」しようとする行為を終わらせようと力を振るう。
ごろり、とローラーが一気に加速し少女を押し潰す。単にローラーを引く力を加えただけ。これだけで既に幸次の魔力は限界に来ていた。
術者達は、魂の転送を見届けた。少女の魂は、確かに向こうの世界、大陸中央の神殿に転移したであろう。だが……
『やってくれたな……東の魔女!』
その魂は、幸次の祝福を得てしまった。最早転移した後で思うように操ることは出来ないであろう。そのうえ、厄介な力まで得てしまっている。幸次はへらりと笑い、「ざまぁ……美衣を頼むぞ」と誰かに呟いて膝から崩れ落ちた。
『いまなら、小娘二人仕留められる。やれ!』
「お父さん!」
封印が発動し、倒れた幸次に駆け寄ろうとする美衣に向かって、術師から火の玉が向けられる。
『倒れている魔女など後でいい! こっちの娘からだ!』
数メートル先に浮かぶ火の玉。初めて見る、人を傷つける魔術を前に足が竦む美衣。その恐怖が見える目を見て、嗜虐心をくすぐられた術者達は笑いながら火の玉を一斉に発射する。
「うっ!」
思わず、目を閉じて腕で頭を守り、自分を襲うであろう熱に身構える。が、一呼吸おいても襲ってこないそれに訝しみながらも、目を開ける。
「……突然呼び出されて慌てて用意してみれば……間に合いましたか。お怪我は?」
チェインメイルの上に桃色の軍衣を羽織った女性が、顔だけを美衣に向けて無事を問う。手には大きな盾を構えている。恐らくその盾で火の玉を防いだのであろう。
「え? あ、はい、大丈夫……です」
「ようございました」
うっすら微笑み、頷いた女性がスラリと剣を抜く。
「自己紹介はこの賊を制圧した後にでも」
凛々しく剣を構え、「フィアーセの聖騎士、サクラ! 聖女様の命により、貴方たちを罰します!」と術者達に躍りかかった。
戦いは、サクラが圧倒した。身体強化された体から盾をぶつけられると、頭は熟したトマトのように潰れ、剣を一閃すると首と胴を確実に分かつ。さながら巨大な羆と無手の人間と戦うかのように一方的な「罰」であった。
ものの数分で戦い(?)を終わらせたサクラは、幸次の体を腕に抱き、美衣の前に跪く。
「ディアーナ様の御子、美衣様とお見受けします。私は、フィアーセ……」
「のサクラさんですね。さっき聞きました」
「……あれ?」
そうだっけ? と首をひねるサクラ。ふっくらとした厚めの唇と、目の下の泣き黒子が魅力的なお姉さんだ。美衣が思わず見とれるほどの。
「ふわぁぁ……残念天然お姉さんだぁ……」
「えっ!?」
聞きなれないフレーズが並べられた呼び方をされてしまったが、どうにもポジティブな印象は受けない言葉である。いつかそのよくわからない印象を払拭しなくしては、と決意しつつ、外へ出ることを提案する。
「この屋敷の結界が弱まっています。多分この賊が死んだからかと思います。そして、恐らくですが、結界が残ってるうちに出ないと、この場所はどことも知れない空間の狭間に消えるかと思われます」
「は、はい。出ないと死んじゃうんですね」
「平たく言えばそうですね」
そこはかとなく大雑把な話し合いの後、屋敷の外に出る。
ケープを敷き、幸次を静かに横たえると、うんっ、と手を突き上げて伸びをするサクラ。
「出来れはこっちの世界を見たかったけど……そろそろ時間かな?」
「あ、透けてますね」
「向こうに本体があるようなものですから。美衣様」
「は、はい」
サクラは再び跪く。
「聖女様は……コージ様は、こちらの世界にいつまでも居られるわけではないのです」
「え……」
いつまでも居られるわけではない。突然言われた、ことに動揺する美衣。ぐるぐると頭の中を言葉が回る。また家族がいなくなる。半年前のあの状況を思う。5年続いた家族が欠けた生活。
「それで……う、うわっ」
跪き、下を向いて言葉を続けようとしたサクラが、美衣に顔を向けると、その大きな目からこれまた大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていた。
「ぞ、それで、ひっく。なん、なの、ぐすっ、です」
「あわわわ。お、おおお落ち着いてください。言い方が悪かったです。申し訳ありません」
多分、5年前の出来事と合わせ技で、悲しい想像をさせてしまったのであろう。内心、自分のミスに舌打ちをしつつ、サクラはハンカチを渡す。同時に、人は慌てると本当に「あわわわ」って言っちゃうんだなぁ。とこっそり感慨にふける。
渡されたハンカチで涙を拭き、ついでに鼻をかむ。
「ああ……」
「えぐえぐ、ぐすん。なんですか?」
「いえ……」
お気に入りのハンカチだったのに……と微妙に落ち込むサクラだが、自業自得かと無理やり自分を納得させる。
「まだ」
「え?」
「まだ時間はあるのです。数年は猶予があります」
「猶予?」
「聖女様が私たちの世界にお戻りになるまで。そして、美衣様がたご家族が来られる準備期間」
「……? 私たちが!?」
驚く美衣から視線を逸らし、深く頭を下げる。
「この件については重ね重ね、お詫びせねばなりません。私たちの世界は、未だ聖女様のお力を必要としているのです。この度の件も、聖女様が不在であったことが関係していると言えるのです。ああ、時間が無い。詳しいことは聖女様からお聞きください。ご家族を私たちの世界にお呼びするのは……」
サクラは再び顔をあげて、「聖女様がお心をこの世界に残さないためです。こちらの都合で、勝手な言い分ですが……」
「確かに勝手よね」
「……」
美衣の冷たい言葉に項垂れるサクラ。
「美衣様……聖女様も御承知しています。どうかご家族でお話し合いを……」
「聖女じゃない!」
「……は」
ぐったりと横たわる幸次の体を抱えるように抱き付く美衣。
「お父さんは……私たちのお父さんは、あんたたちの聖女なんかじゃない!」
「……」
しまった、とサクラは失敗したことを悟った。自分が話している相手は、フィアーセなどとは関係ない異世界の少女で、聖女の家族ではなく、佐藤幸次の娘なのだ。聖女などと自分たちの都合のよい肩書など、忌むべき存在だ。単に家族を引き裂いただけの。それに気が付かず話してしまった自分の迂闊さにうんざりする。
「……美衣様……」
「帰れば。早くあっちの世界だかどこかに帰りなさいよ!」
「美衣様、どうか……」
「帰れ!」
ついには幸次の胸に顔をうずめて泣きだしてしまった美衣を、沈痛なまなざしで見つめ、深く頭を下げたままサクラはその場から姿を消した。
次回からは、いつもの調子に戻します。
2014.10.6 少し加筆しました。




