がいこつ
夏の熱帯夜特有の、じっとりとした湿気と昼間の暴力的な暑さの残滓が体に纏わりつく。用心のために身に着けた手甲と脛当ての内側が蒸れているのを意識してしまう。加えて先ほどの醜態による汗が気持ち悪い。
幸次と美衣の2人は、少年を追って忍び込んだ屋敷入口の土間で佇んでいる。5メートル四方ほどの土間の奥には上がり框に続く廊下。さらに奥は暗くてよく見えない。もっとも、先ほどその暗がりから逃げ帰ってきたところだが。
「……いこか」
「うん……」
ぎし……ぎし……
2人はゆっくりと、廊下を進む。
途中、例の人形部屋を通り過ぎる時には、中を見ないようにして引き戸を閉める。
先程は取り乱してしまったが、今の幸次は気配を感じ取るために周囲に魔力を放っている。人間などの動物から死霊の類まで感知できるそれは、心の準備ができるという点で、大いに幸次の心の余裕を齎すものであった。
斜面に建てられた屋敷であり、幾つかの階段を上りつつ進んでいくと……
「行き止まりか」
「……ん~、でもさ、行き止まりの手前って部屋が無いよね。何のための廊下だろう?」
板張りの壁と床。そこは不自然なまでに行き止まりであった。普通の建築ではこのような廊下はありえないだろう。幸次も美衣も建築の知識があるわけではないのだが、これが不自然であることくらいはわかる。
「あ」
美衣が声をあげて廊下の壁、床付近を覗き込む。
「これ……お札?」
「……お札かぁ。む……」
美衣の後ろから覗き込んだ幸次は、お札に書かれている文字を見て首をひねる。
(あっちの世界の文字だな……大陸中央辺りの文字か。行ったことは無いが、術師をシャーマンと見做すんだよな……そういうのがこの世界に干渉しているのか?)
「美衣、ちょっといいか? これを調べてみる」
美衣は、うん、と返事をして幸次の後ろに回る。
「封、死、眩……? 分かるようなわからんような。ただ、魔力は感じるから何かの術ではあるんだよな~」
ぼりぼりと頭を掻きながら幸次は、お札の前に胡坐をかいて座る。
「う~ん……うん?」
いつの間にか、迂闊にも魔力を帯びた手で、つんつんとお札を突いていた幸次は、張られていた壁の一角が僅かに魔力に反応していることに気が付く。
「この壁……扉か何かかな? どれ……」
手に意識して魔力を纏わせて、壁に触れる。
「お父さん、大丈夫なの?」
父の様子を見て、美衣が不安そうに声をかける。
「ん……大丈夫……多分」
ゆっくりと壁に手を近づけ……手が壁など無かったかのようにすり抜けていく。
「おっ? やっぱり向こうに何かあるのか……」
どうする? と美衣に振り返ったと同時に、突っ込んだままの右手が何者かに掴まれた。
「ひぇぇぇぇっ!?」
先の人形騒動からの余韻が覚めてきたところである。落ち着きかけた心が、再び恐慌によって乱される。
「ちょっ!? どうしたの?」
美衣が慌てて、幸次の左手を取る。
「な、何かが腕を……!」
美衣に手を取られたことで、若干、ほんのわずか落ち着きを取り戻し、体に強化の術式をかけなおし、力いっぱい右腕を壁から引き抜く。
「ふんっ!」
ずるり。
幸次の右手を掴んでいたソレも一緒に引きずり出される。
「……」
じぃーっと見つめる幸次の視線の先、幸次の右手を掴んでいたのは、ところどころ白骨化した手だった。
「どひぃ!」
掴まれているため、尻餅もつくことも出来ず、掴まれている手をもう一度見て、もう一度驚く。
「どひぃぃぃぃ!!! 手ぇぇぇ!?」
振りほどこうと、更に力を込めて腕を振りぬく。
ずるり。
「ア……ア……ア……」
手は振りほどけたが、引っ張った拍子に白骨化した手の持ち主がその姿を現す。
『ア……ア……ワタシ……ヲオコシタノハ……オマエカ……!』
白装束に包まれ、腐り落ちた目のあったところは、ただ黒い穴で何も映してはいないように見える。
長い髪を振り乱し、いくつもの指輪で飾られた手でワンドを持つ姿、そして声帯も無いのにどうやって声を出しているのはわからないが(恐らくそのような魔術だろう)、発せられた言語は……
「こいつ、あっちの世界の存在か……!」
驚きに目を見開く幸次に、ガイコツはケタケタと笑った。
『トウゴク……ノ……マジョカ……』
ふむ? と幸次は首を傾げる。
『なんだ? 東国の魔女とは。私のことか?』
魔女と呼ばれた幸次が目をパチクリさせる様子を見て、ガイコツはケタケタと笑う。
『ソウダナ……ジャキョウノマジョ』
(ああ、そうか。教圏の影響が少なく、他の神を奉じている国々が大陸中央部だ。そういう人間と話す機会もほとんど無かったからな~こういう見られ方もあるんだよな……)
『……で、この世界でお前たちは何をしている? 外法……というつもりも無いが、こちらの世界の人間に何をしている?』
言いながら、対死人の術式を組み上げていく。
その様子に気が付いたガイコツはケタケタと笑いながら、両手を上げる。
『オチツケ、モトヨリワレハ……オマエト……アラソウキ……ハ……ナイ。ドノミチ……トウゴクノマジョ……ナドトイウ……バケノモト、タタカエルハズナドナイノダカラナ……』
「ば……ばけもの……ね……」
思わず出た、日本語での呟きを聞いた美衣がガイコツ(怖くないのだろうか)と幸次を交互に見る。
「どっちのこと?」
「ん?……どっちって……このガイコツが俺のことを化け物だとさ」
「あ、そっちか」
うんうんと頷く美衣。
……どっちだ。




