お人形vs聖女
夏の熱帯夜特有の、じっとりとした湿気と昼間の暴力的な暑さの残滓が体に纏わりつく。用心のために身に着けた手甲と脛当ての内側が蒸れているのを意識してしまう。
幸次と美衣の2人は、少年を追って忍び込んだ屋敷入口の土間で佇んでいる。5メートル四方ほどの土間の奥には上がり框に続く廊下。さらに奥は暗くてよく見えない。
(不用意に明かりをつけていいのやら……ま、いっか。美衣もいるんだし)周囲を見渡して気配が無いことを確認すると、魔術で明かりを灯す。若干黄色がかった光は、周囲を柔らかく照らす。
「よし……行こうか」
美衣は興味深そうに、ふよふよと浮かんでいる光を眺める。恐る恐る手を伸ばして指でつつこうとすると、光の玉は嫌がるように避ける。
「へぇ~……生きてるみたいだね」
「ん、生きているぞ。それ自体は意思を持っているからな」
へぇぇ……となんとなく納得したように頷くと、「ま、蛍みたいなものだね」とポリポリと頭を掻いた。
幸次は廊下(板の床だ)に足を踏み入れると、廊下の床が2人を拒絶するかのようにギシリと音をたてた。
「お、お父さん、は、こういうの、慣れてるよね? なんかあっちで色々アレしてきたんでしょ?」
美衣は震え声で幸次に話しかけつつ、周囲を見渡す。
2人は廊下をゆっくりと歩みを進めている。途中、廊下の両脇に引き戸がいくつかあったが、「なにか出ちゃったらどうする」という意見が一致し、おっかなびっくり進んでいるところである。
「え、あ。うあ、お、俺はこういう心霊系は駄目だから。宗教の人だけど、駄目なものは駄目なのだ。あ、おい、おいていくな……あれ、この部屋ちょっと扉開いてる」
見ると、木の引き戸が僅かに開いているのがわかる。美衣は心底嫌そうな顔で、扉の隙間を覗く。
「んー……寝室? 布団が敷いてある」
さらっと中を覗く娘の豪胆さに心底感心するとともに、少しは用心しろと突っ込む幸次は、恐る恐るなかを覗く。中は、蚊帳に覆われた布団と、奥に飾っている古い日本人形。
「うう……せっかくだし、なか入ってみようか」
がらりと引き戸を開いて中に入る。なかの畳はボロボロで底が抜けているのか、ぶよぶよと沈み込む。
衣紋かけの着物は成人女性が着る意匠の着物だ。使用人の部屋であろうか。
幸次はふと日本人形を見ると「ひぇっっ!」と声をあげてのけぞった。
上品に微笑む顔。髪が、薄い金色だ。おかっぱに切りそろえられたそれは、幸次には似ても似つかないが、着物の模様が自分に関係あるのではないかという疑念を抱かせる。フィアーセの、異世界における教会のシンボルに非常に似ているのだ。
美衣は衣紋かけの和服を興味深そうに眺めていたが、幸次の悲鳴に振り向いた。
「どうしたの? わ、この人形……似てるね」
つんつん、と美衣が人形の顔をつつく。「うわ、美衣。なんか、そういうのよせよ」
美衣は首を傾げつつ、「ん? 平気でしょ? 人形だし」とあまり気にしていない様子だ。
まるで、自分の顔をつつかれているような居心地の悪さを感じ、そろそろこの部屋を出て先に進もうと決意する。
「そろそろ先進む……か?」
視線の先では美衣が固まったように動かない。視線は、人形……の頭に釘付けだ。
その人形の頭は、ころりと胴体から離れ、美衣の足元に転がり、目を赤く光らせて幸次を睨んでいた。よく見ると、閉じていた小さな口が開き、中の歯が覗いている。
上ずった声で「なんで俺を睨んでるんだ!? いじってたの美衣だろ?」と抗議? するが、相変わらず人形の首は幸次を睨みつけている。
「み、美衣! そ、その首、もと……に……」
ころん。
不意に人形の首が一回転。幸次の方へ。
「ひ……ひぃぃぃぃぃ!!!!」
ぺたんとへたり込む幸次。古くなった畳である。座り込んだ時の衝撃で、僅かにたわんだ畳は微妙な傾斜を生み出し……
人形の首が更に一回転することになる。幸次の方へ。
「ぎぇぇぇぇぇ!!!! お、お化けぇぇぇぇ!!!!」
犬のように四つん這いになり、パタパタと逃げ出す幸次。美衣はダッシュで退避済みだ。
「み、美衣ぃぃぃ!! 置いていかないでぇぇぇ!!!」
元々乏しかった父の威厳と、聖女の肩書を遠い彼方に放り出して、美衣を追いかける。四つん這いで。
「お、お父さん、早く走りなさいよ!」
「こ、腰が! 腰が抜けて!!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で、必死に這う父の顔を見て、美衣は噴出した。
「あはっ! あははははは! こんなときに変顔しないでよ! あはははははは!」
「わ、笑うなぁぁぁ!」
必死の思いで、入り口の土間にたどり着いた2人。
「はぁ……はぁ」
幸次は、ふり乱した髪がへばりつく顔を拭いながら、息を整える。
「はぁはぁ……うふっ……ふふっ」
美衣は先ほどの幸次の醜態を思い出しつつ、笑いの残滓を落ち着かせる。
屋敷の探索。まだスタート地点である。




