酔い覚まし
「いよぉぉし!」
幸次はガッツポーズ。ホテルの卓球場。数台の卓球台が設置されているそこは、若者たちの熱気がこもっていた。
食後にふらふらとホテル内でお土産や、部屋で食べるお菓子(何故かビーフジャーキーや裂きイカなどが買い物かごに入っていたが)を物色している最中にゲームコーナーと卓球場を見つけたのであった。
ゲームコーナー組と卓球組に分かれて遊んでいたのであったが、徐々に興が乗ってきた一同が盛り上がり……
「うわ、ディアちゃん強いな!」
「吉村君がんばー」
卓球台を挟んで対峙しているのは吉村だ。声援を送っているのは美衣だ。それを聞くたびに幸次の闘志が燃え上がる。
「さあ、あと2ポイントだよ! (美衣を欲しくば)このサーブ、返せるものなら返してみなさい吉村君!」
ビシッとラケットを吉村に向ける幸次。先までののんびりとピンポンしてた卓球場が嘘のような真剣勝負の場と化していた。
「ディアさんしっかり!」
橘の声援に、にこり微笑み(本人はニヤリと笑ったつもりだったのだが)、左手にボールを握る。
「いくよ!」シュッとボールを高く放り、手首をしならせラケットに当てる。
自エリアに落ちたボールは大きく加速し、吉村のエリアに飛び込んでいく。
「うわっっ!」
吉村のラケットに当たることなく、ボールが床に落ちた。
「ふふん。新幹線サーブですよ! 中々当てられないでしょ!」
胸をそらして自慢げに話す幸次が、背後に気配……のようなものを感じて振り返った。
卓球場の窓から見えるのは既にとっぷりと日が暮れた外の暗闇である。はずなのだか……
「あれ……? 昼間の子供か?」
昼に砂浜で寝そべっていたときに、見かけた子供が窓の外を横切っている。外は暗く、細かいところは見えないが、確かに野球帽には見覚えがある。
(ふむ……なんか気になるな。俺の視界にちらちら入ってくるのも気に入らんし……)
自分だけならまだしも、家族に何かあったらと思うと、自ずと行動は決定される。
「あ、ごめん。電話みたい」
スマホを耳に付けて、エア通話しながら卓球場を出ていこうとするところで足を止める。
「あ、橘君」
呼ばれた橘が、どうしたの。と幸次を見る。
「私の代わりに、吉村君の相手をお願いするよ」
と笑って手を振り、卓球場のドアを開けて足早に出ていく。
「あ、私もちょっとディアの様子見てくるね。家からかもしれないし。吉村君頑張ってね!」
「おう! 美衣さんが応援してくれるなら、橘くらい一捻りだよ」
「はわわわ!? 私、どっちを応援しようかなぁ……」
盛り上がる卓球場を背に、美衣も卓球場から出ていく。
美衣は、足早にロビーから玄関の外へ出ていく幸次を呼び止める。
「ちょっと! お父さん! ……あの子でしょ?」
後半は囁くように言ったのだが、幸次はその言葉で足を止める。
「見えたのか……」
ビーチでもそうだったが、先ほども自分以外の誰も反応しなかったのだ。てっきり、自分だけが知覚していると思っていたのだが。
「ちょっと気になってな。様子を見るだけだぞ」と外出用の草履を履く。下駄もあるのだが、つけていくのにカランコロンもないだろうという判断だ。履きなれていないし。
「うん。私もついてく」
(まあ、離れているより手の届くところの方が安心だけどな)
「はいはい」
2人並んで、帽子の子供を探す。
「お、あれか……」
この辺りでは、大きい道路である県道をゆっくりを歩く小さな影。
(もう、これは普通の子供じゃないな……今更だけど。こっちの世界でも魔力を感じることが多いし、なんだかなぁ……そういう力をどう使ってるんだろうな。ろくでもないことに使ってるんだろうなー。贄とか言ってた気がするし。捧げてもなんにも起きないと思うんだがなー……お?)
気が付けば、辺りは小高い山を背にした門の前。奥には、ぼんやりとしか見えないが、古びた屋敷が建っている。
歩みを緩めた幸次は首をひねる。見ると、山肌に沿って屋敷が建てられているようだ……だとしたら、この屋敷はこの辺りで有名な建物なのではないだろうか。
(古いし)
そもそもこれだけの大きさであれば、公開されている衛星写真にも写っているはずなのだが……自分がこの世界に戻ってきてからは、この写真を見せるサービスが気に入って、自分に関係する土地の写真を眺めることが多い幸次である。当然、この辺りの衛星写真も出発までにかなり隅々まで見て楽しんでいたのである。それらの写真には、当然このような巨大な屋敷は映っていなかったように思う。
(あ……げっ! そういうことかい!)
自分の周囲を見渡してあることに気が付いた幸次は、前を歩く美衣に声をかけた。
「……ん? 美衣、ちょっと待って」
美衣が緊張感を孕んだ幸次の声に振り向くと、幸次が険しい顔で辺りを窺っていた。
「どうしたの?」の声にも、シッと人差し指を口の前で立てて黙り込む。美衣もその雰囲気に呑まれて、おとなしく幸次の邪魔にならないように口を閉ざす。
幸次が久しく感じていなかった感覚。周囲一帯を覆うかのような、内と外を隔てる感覚。あるはずがないと思い込んでいたが、この感覚は。
「……結界か」
「結界?」
聞きなれないようでいて、漫画や映画ではたまに耳にすることのある単語に首を傾げる。美衣は、具体的にはどういうものかよくわかっていないのだ。
「中と外を隔てる魔力の壁のようなものの総称だ。シールドだったり魔法陣の中だったり、聖域とその外だったりな……ここは……」
幸次は、顔を歪めて吐き捨てるように言った。
「聖域だ」
「出られるの? 結界の外に」
んー……と腕を組んで考え込む。祝福を与えるための聖域は、中から外への脱出は容易だ。好き好んで、祝福を受け無いように身構える者も少ないからであるが……聖域から出さないような結界もあるのだ。捧げものが自力で出ていけないように縛る目的の場合がこれにあたる。そして、この場合は。
「出られん……と思う。術者が満足するか死なない限りは」
言いながら、幸次は浴衣を脱ぐ。取り出したのは、洋服……ではなく、僧服。もぞもぞとそれを着こんで、さらに手甲と脛当てを取り出して装着していく。教会内の活動が多かった幸次は、長物を振り回すよりも魔術と打撃を組み合わせることが多い。多くの者が、どちらかを極めないと中途半端になるため、剣や槍術を修めることになる。魔術を行使できるものは、その研鑽にほぼ一生を費やすことになるので、体術など論外……となるわけである。幸次の場合は、たまたま元からやっていた格闘術があり、この体となった際に注がれた魔術の技術と膨大な魔力により、魔術と体術の同時行使が可能となったわけである。
「誰かは知らんが、これだけの結界を作るやつがいるとなれば、それなりに準備しとかないと……美衣のはどうするか……せめて走れないとなぁ」
美衣も浴衣姿である。幸次は青いドレスを取り出し、美衣に放った。
「元は膝下丈だが……美衣には短いか……? まあ、浴衣よりはましだろう?」
美衣はドレスを広げて渋い顔だ。
「ふんわりしたアレじゃないのねぇ……ま、思ったより可愛いか」
「あー、ああいうのは無かったなー。座ってパーティする文化だし、トイレもあったから、ああいうスカートは流行らなかったんじゃないかな」
思いつきで幸次が自説を述べると、美衣も納得したように頷いた。
「んしょっ……っと。むう。スカートが大分上になっちゃったなぁ。ま、いっかー」
「ふむ。まあ、そんなもんだろ。一応魔術が掛かっているドレスだ。切られても皮膚は切れん。魔術も大体は跳ね返す。ただ、衝撃は吸収しないから、力を加えられると打撲や骨折は普通にあるから気を付けてな」
「……わかった。丈夫な服ってことね」
「うん? あ、そうだな。いこか」
2人は屋敷に向かって歩き出す。
もぞもぞと、幸次たちが着替えているのを待つはずもなく、子供の姿は二人の視界からは消えていた。
門の前で着替えていたこともあり、子供の行き先は屋敷の中であろうと思われた。
門から続く石畳の上を歩いている幸次は、不意に後ろを振り返った。
(……ううむ。あれって、海だよな。となると、手前が街のはずなんだがな)
まだ夜の8時を回ったところである。歩いている時間を加味しても、9時前ではあろう。現代の日本であるここも、夜ともなると街灯や車のライト、コンビニやガソリンスタンド、家々の明かりが見えるはずである。しかし、小高い位置にあるこの場所からは、そのような明かりは見えず、ようく目を凝らすとちらちらと頼りない明かりが見えるのみである。
さいわい、月明かりが満月とまではいかないまでも、夜空を照らしているので足元はどうにか見える状態である。
「……この屋敷ごと吹っ飛ばしてしまえばどうだろうな」
と、一瞬めんどくさがりな自分が不穏な言葉を吐いてしまったことに気が付き首を振る。
「いや、冗談。あの子供もろとも……ってことになるしな」
うん、そりゃまずいな。と自分で頷く幸次を睨む美衣。
「大雑把でシンプルなやり方は好きだけど、中に人がいるかもしれないんだからね」
「わかってるっての」
ぶつぶつ言いながら、入り口であろう扉の前に立つ。
扉(引き戸だ)の周りを探りながら、美衣が呟く。
「呼び鈴は……無いね。インターホンとかあったらいいのに。広いんだから」
扉は木造でささくれており、周囲は土壁のような材質である。土壁と木の板を組み合わせているのかもしれない。
どうする? と目を向けられた幸次は、ふむ……と一瞬だけ考えたのち、おもむろに手を扉にかける。「ごめんくださいってのもな。見た目廃墟だし」
よいしょ、と引き戸をスライドする。思ったよりも滑りの悪い、重い戸をあけると(つまり鍵はかかっていなかった)、土間が見えた。
「……出そうだね」
「そうだな……」
主に幸次の繰り出す超常現象を見慣れているはずの美衣と、超常現象の元であるところの幸次は、おっかなびっくり屋敷の中に足を踏み入れた。




