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苦行

「18:30、6Fのレストラン集合だよー」


 モデル仲間の子が弾んだ声で、各部屋を廻っている。


「ほう、夕食か。楽しみだ。ていうか、腹へったなー」


 美衣に髪をアップにまとめてもらいながら、幸次もうきうきした声を出す。

 入浴後、部屋のビールを飲もうとしたら美衣に止められてしまっており、ちょっとしょんぼりぎみであったのだ。

「冷蔵庫代も編集部持ちだからね。一応、未成年扱いなんだから、飲んじゃ駄目よ?」


「あ、あれ……?」


 嫌な予感に身を震わせる幸次。

「ひょっとして、夕食時も?」

「だめだよー?」


 幸次は、がっくりと肩を落とした。





 会場に入った美衣は、窓からの景色に目を輝かせた。


「わぁぁぁ……海が一望だよ。きれい……」


 窓に貼りついて、海を見つめる美衣はすっかり年頃の少女だ。いや、もう大人になりつつある。

 その過程を見ることが適わなかった幸次は、胸が掻き毟られる思いにかられる。


 こんな思いを外に出しては駄目だ。そんなことをしたら、多分、きっと美衣は悲しむ。そして、この駄目な父を慰めようとするだろう。


 だから、幸次はこう言うのだ。


「美衣……大人になったな。どうだ、父と一杯」


「やりませんよー?」



 がくんと肩を落とす幸次だ。





「ううむ……」

 旨いのだが……

 先付の寄せ豆腐を口に運びながら、幸次は唸る。

 ここにビールがあれば!

 冷えたグラスに水滴が付くようなビールがあれば!

 飲酒しない時の幸次は食べるのが早い方である。ペロリと先付の豆腐や、野菜を平らげてウーロン茶を啜る。


 次! 次はよこんかーい!


「お造りでございます」


「ええー……」

「はい? お嫌いでしたか?」

「あ、いえ」

 大好きだ。そりゃもう大好きだ。鯛とかトコブシとかいかにもうまそうだ。ぴちぴちと元気な刺身に喉が鳴る。元気な刺身。死んでるが。

 だがしかし。

「あーもー。そこに酒が無いとかどんな拷問だよこれ」

 泣きたくなる気分を誤魔化すように、マグロを口に放り込む。旨い。

「……すみません、ご飯ください」

「はい! 赤出汁も一緒にお持ちしていいですか?」

「いいですいいです」


「おまたせしましたー ご飯です」


 刺身に醤油をつけ、ご飯にのっける。

「はむっ! はむっ! はむっ!」

 ……「おかわりお願いしまーす!」


 お造りで、ご飯お替りしてしまった。


 美衣も心配顔だ。

「……お父さん、明日撮影だからね! 程々にね!」

 小声で囁く。


 幸次はむっしむっしと鱧をおかずにご飯を食べていく。


 おろおろと、何かいい方法は無いかと辺りを見回す美衣は、「これよ!」とメニューを掴んだ。

「すいませーん!」






「はいどうぞ」


 鍋、椀物を食べ、茶碗で4膳目のご飯に取り掛かろうとしたとき。

 周りでは、担当編集者の心配そうな顔、隣に座る橘の丸い目、どこからか聞こえてくる「はわわわーー」という若干慌てた声。


「たったらたったったーん! ノンアルコールビールー(ほんとは生ビール―!)」


 異次元のポケットから出したかのような、調子で出したジョッキには幸次が見慣れたあの泡。あの黄金色。

 今の自分の髪色はビール色、と言いたいところなのだが、このグラスに注がれた液体の高貴な色にはとても及ばない。この一杯のために生きている者の一人として、膝を屈する圧倒的で至高の存在。


「おおお……」


 小さな両手で恭しく受け取る。後のモデル仲間はこう述懐している。


「あの時のディアちゃん、一幅の絵画のようでした。ええ、実に神々しい感じで。ええ、美衣ちゃん? 美衣ちゃんは、そう……まるで女神のようだったわ。少なくともディアちゃんは、美衣ちゃんのことを崇拝の眼差しでみていたわ」


 うぐっんぐっんぐっんぐっ……


「ぷはぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 このときの幸次の気持ちを、本人は後にこう述懐している。


「ええ、まるで……そう……神。ええ、神が私の体に入ってきたのです。喉から。え? 美衣? そう、美衣こそが神から使わされた御使い。聖女そのものでした。私? いえいえ、私はあのとき、聖女様の救いを待つただの子羊だったのでございます」


 そして、美衣はこう述懐している。


「……ビールって、結構カロリーあるのねぇ……」





※ 2014.7.17 誤字を修正しました。

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