食後の運動
「おお、カツカレーか」
昼食。昨日の夜に食べたカレーの残り物だが、新たに揚げたトンカツをトッピングしてある。カツは美穂と半分こ。思わずふふっと笑い合う。まだ若いころ、2Kのアパート暮らしでママゴトのような同棲生活をしていた時のことを思い出す。あの時は、レトルトのカレーと、チキンカツを分け合って食べていたのが御馳走であった。
「あ、カレーのお肉も豚肉だったね。かぶっちゃった」
「ああ、いいさ。カツ、半分ずつだしな。ちょうどいいよ。あ、福神漬け……ラッキョウって気分かな。とってくれる?」
「はい、どうぞ」
「ありがとう。……ん、一日寝かせるとおいしくなるのは、いつ食べても不思議だな」
「そういえば、カレーって幸次も5年ぶり? だよね。どう? 味変わってない?」
「うん、いつもの味だな。いつもの……うまい」
「よかった。味覚とか変わってないとは聞いているけど。やっぱりドキドキするね」
「……新婚みたいだな!」
ふふふっ、と、笑いながら進む食事。
2人でとる食事。幸次の体は随分変わってしまったが、帰ってきてからの二人の距離は、何も変わらないことを確認し合う、宝物のような時間。
昼食後のひと時を美穂と過ごしている時間。幸次はリビングのテレビの前に陣取り、午後のワイドショーを見ていた。たまに見ると面白いものだと思う。
美穂は昼食で使った食器を洗っている。そんないつもの緩い雰囲気が漂うリビングのインターホンが、来客を知らせるベルを鳴らした。
洗い物を片付けていた美穂が、パタパタとインターホンに駆け寄る。
「はい」
モニターの向こうには見慣れた中年の男。
「あれ、兄さん」
幸次は美穂の声にギョっとして、振り返る。
「え、健兄さん?」
「うん、遊びに来たみたいね」
「あ、そ、そう」
どうしようかな、書斎に避難しとこうかな。と考えていると、大きな声が聞こえてきた。
「おお、美穂! ダンナいなくなってのびのびしてたのに、あいつ帰ったんだって? ん?」
幸次の義理の兄に当たる健は、逃げようと腰を浮かした幸次を見て固まる。幸次も固まる。
「……」
「……」
「お茶入れてくるわね。兄さんも座って」
幸次は諦めて座りなおす。
「あーー……お久しぶりです。師匠」
美穂の兄である健は、幸次の格闘技の師匠である。古武術をベースに様々な格闘技術を取り込んでおり、道場も盛況らしい。幸次は健の指導を学生の頃から受けており、海外遠征にも連れられて試合もしていた。その健は、幸次を見て唖然としていた。
「……幸次なのか。お前。美穂には聞いていたが」
「あ、はい。今なんだかこんな感じです」
「……久しぶりに殴っ……稽古つけてやろうと思ったが、それじゃ無理じゃねぇか」
「いや、いいですけど。別にいいですけど……って殴りに来たんですか」
健の体は、どこの部分も幸次の数倍のサイズはありそうだ。腕も幸次の太もも以上はありそうだ。
「ああ、さすがに今のお前は殴ったらシャレにならんかな?」
ふむ……と幸次は考える。まさか引くわけにはいかないか、と思う。幸次の男の子の部分が、美穂の見ている前で引くことを拒否する。今でも強化魔術で互角以上の戦いは出来るだろう。
そっと魔術をかける。ふわりと体が軽くなる。女性の陣構成速度を利用し、極めた幸次は詠唱を口にすることは殆ど無い。
「いや、やりましょう。俺も強くなってますよ」
空気が変わる。健は幸次が見た目通りの可憐と言っていい美少女そのままの実力ではないことを感じる。
「……ほう。公園でいいか?」
「ええ」
「2人とも怪我しないでよ?」
「ここでいいですかね」
3人は近所の小さな公園に来ていた。
ゴムタイヤを使った遊具と、鉄棒と砂場程度しかない公園。
「おう、じゃ、始めよう」
「ええ、始めましょう」
ゆらり、と幸次が歩き出す。健の間合いに踏み込む寸前、幸次の体がぶれた。
胴回し蹴り。大技だが、今の幸次はジャブのような速度を出せる。
拳を開いて構えていた健は左手でガードし、さらに幸次の蹴り足を極めにかかる。対する幸次は、極めにかかってくる手を掴み、自身の頭部を健の手に打ち付ける。
小さな公園に、2人の練り上げた闘技が繰り広げられた。
夕方、2人ともボロボロになったころに、美穂の「そろそろ夕食の支度するけど、兄さんどうするー?」の声を合図に試合は終了した。




