魔術騎士団の推しポイント①
アストラ様に呼び止められたのは、仕事に一段落ついた昼下がり。
私が魔術騎士団に雇われて数日後のできごとだ。
「今日は訓練解散の号令後も、ほとんどの騎士様たちが訓練場に残っているんだねー」
魔術騎士団の食堂看板娘のトルテが、額に手を翳し訓練場へと身を乗り出した。
就任したての臨職から言って良い内容なのかと口ごもってしまう。すると、隣にいるフォルマが頬に手を当てて微笑んだ。
「今日は司令官殿と参謀長殿の両名が立ち会う、貴重な訓練日ですもの」
ふわふわ髪と同じく、愛らしい調子で首を傾げるフォルマ。
「きゃぁ。オルベスコ様、素敵ですわー!」
「クレメンテ様が髪を束ねていらっしゃるのが、美しすぎて讃美歌を捧げるレベルよ」
訓練場にはまだ騎士様が残っているようだ。
普段、ちょっとチャラい騎士様も真剣な姿が見えて、柵外から声援を送っていらっしゃる女性陣の気持ちもわかるかもーとほっこりしてしまう。
「表立って公開はされてはいなくても、情報通の令嬢は把握しているわ。ねぇ、ヴィッテ?」
問いかけられて、これは公言して良い事なのだとわかって、激しく頭を上下に振る。
司令官殿も参謀長殿も、情報制限の判断について私を試しているところがある。なので、団勤務の友人―言いたい―との雑談とは言え、口に出して良いのか判断に迷うことがあるのだ。
「こーいう情報は公開されてはいないけど、団の中ではしれっと共有されていることだよ」
「なっなるほど。他にもそういう項目があれば、ぜひ教えてください」
制服のポケットから取り出したメモに走り書きをする。このような『しれっと』は経験上の統計で判断する必要があるので、とにかくメモを残すべし。
内容が貯まれば法則傾向は読めるはずなので、一覧にして参謀長のオクリース様に確認いただこう。
「ヴィッテは生真面目だなぁ。あと、変なところで器用だよね。メモ帳とにらめっこしながら真っすぐ歩くところとかさ」
私は歩きながらメモをしていたのだが、トルテとフォルマは立ち止まっていたようだ。やや後ろから聞こえたトルテの呆れ声に我に返り、慌てて二人に駆け寄る。
すみませんと頭を下げると、後頭部にトルテの手刀が落ちてきた。
「まったく。あの二人の性格は難儀だけど、ヴィッテも負けてないよ」
こんな遠慮なくされたのは、小さい頃に姉様に頬を引っ張られて以来かも。って、そんなことなかった。幼馴染のメミニにもされたっけ。
どちらにしろ。何と返していいのかわからず、ひたすら後頭部を撫でてしまう。
「あのお二人はヴィッテを疑っているから、試すような真似をしているのとは違いますの」
「あっ、それはもちろん。私は入ったばかりの臨職だし、移民だし。お二人の立場上、当たり前すぎて。なにより。移民数日の私が雇って貰えたのも奇跡だもの」
慌てて両手を振る。逆に過分な保護を受けている現状に冷や汗が出るから、当たり前の反応で安堵するくらいだ。
私はたまたま腹ペコなところを司令官殿たちに拾って貰ったのが縁で、今ここにいる。
「えぇー。ヴィッテがどーのこーのってより」
「ですわ。あんなお二人だけれど距離をとったりしたら……と言いたかったのよ?」
トルテとフォルマが顔を見合わせた。
「私は感謝しきりだよ! アストラ様にもオクリース様にも。ただ、あんまりにもみんなが受け入れてくれるから、なんていうか、逆に申し訳なくなるというか……ネガティブというか、可愛くない自覚はあります」
思わずメモを握りしめて、渋い顔になってしまう。
「いや。あの二人は逆にヴィッテになれなれしすぎるっていう」
「馴れ馴れしい! そっそうだよね。私なんて、異国語が話せるだけで、大した事務能力も特殊技術も持ってないくて。普通に考えてもコネ採用な不審人物なのに、ほぼ引きこもりで仕事ばっかりしてたから、人との距離感が図れなくって。面目ない」
じめじめと背が丸まっていく。日当たりの良い廊下でキノコの苗床になりそうな人間なんて、私くらいだろう。
って! こんな慰め待ちみたいなのは駄目だろう! なんでこんなに湿度多めな泥人間なのか! じめじめキノコどころか、カビだ! 隅っこカビだ!
「あっ! あの! 私、昔から、陰険で! でも、陰険ながら、ちゃんと、感謝は!」
慌てて背を伸ばす。
きょとんと瞬く二人を前に、再び背が丸まっていく――と思いきや、デコピンを喰らった。それもかなり強めの。
涙目を向けると、意外にも指を丸めていたのはフォルマだった。もっもう一回、やる気だ! 反射的に額を突き出してしまう。
「ヴィッテの採用にはわたくしたちも一枚かんでいるのよ? その、わたくしたちの目を疑うの?」
「わー、めっちゃ心外。っていうか、友情の確認が必要かな? ヴィッテのとこでは、友だちになった証っていう、なんか誓い的なのがいったりする?」
トルテとフォルマが肩を組んできた。
可愛いとカッコいいに挟まれて、あわあわするのが精いっぱいだ。
どう言葉にすれば正解なのかはわからなくて。私にできたのは、小さく頭を振るだけだった。
✿✿✿
「それじゃ。食堂に移動し――」
「ヴィッテ、ちょうど良かった!」
トルテの提案を遮ったのはアストラ様の声だった。
「ひゃいっ!」なんて間抜けな返事と一緒に振り返ったのだけど……。
「とっトルテ。掌が瞼を塞いでるのはあったかくて、眼精疲労にききそうだけど。肝心な上司の姿見えないよ」
トルテの手は、今日のデザートだったプリンのキャラメルの薫りがする。抗議しつつも、ほわっとなってしまうよ。
「トルテの手、いつも色んな香りがして好きだなぁ」
「ばか、ヴィッテ。食いしん坊なあんたなら、わたしの手を食べ始めそうなんで怖いわ」
なにおーと手を振り上げても、トルテからは優しい溜息が落ちるだけ。なので、これは照れ隠しだろう。でも、本当に良い匂いがするので、食いつかないようには気を付けよう。食いしん坊さには自信がある。
「ヴィッテって、元お嬢様でほとんど屋敷に引っ込んでたんでしょ?」
「情報の訂正を求めます。屋敷に引きこもっていたのは事実だけど、お嬢様は否定するよ。商家上がりのなんちゃって貴族だったし、私は社交界が怖かったから逃げていただけ」
というか、今なぜその質問なのかと首を傾げてしまう。
トルテは「やっぱ律義」と呆れ笑った後、ため息を吐いた。
「あたしらっていうか、なんなら超お嬢なフォルマでさえも見慣れている光景だけど、これを間近で受けたら無事でいられるかどうか」
「魔術騎士団の中で危険に陥るなんてあり得ないよ。しかも、アストラ様とオクリース様がそろっていらっしゃるのに」
トルテの手を剥がしてすぐさま、私の口からは「ひぇっ」と短い悲鳴が出た。
前言撤回です。視界が危険でした。
「どうした、ヴィッテ?」
「だっダイジョブです! この臨職であるヴィッテ! すぐさま、魔術騎士団には馴染んで見せます!」
「何を言っている。たった1週間だが、すでにヴィッテはここの皆に評価されているぞ?」
違います! アストラ様! 評価うんぬんはめちゃくちゃ嬉しいですが、この状況の下人はそこ以外にあるのです!
ちらりとなんとか視線をアストラ様にむけるが、すぐさま全身の血がわっしょいと元気になる。やばい、なんか鼻の奥が熱くなってきた。これでは変態だ。私は変態そのものだ。
「ヴィッテ? 耳が真っ赤――」
アストラ様の手が耳に触れて、本気でとんでもない叫びが喉の奥に引っ掛かった。
あったかい、どころか熱い! 汗が! いや、全然汗臭いとかとは違って、むしろ濃くって良い香りがするんだけど。
自分の思考が意味不明で声なき叫びをあげてトルテに抱きついてしまう。
「そこまでになさいまし、アストラ様」
どしっと重い音が響いた。
ひぃっと身を竦めて数秒、耳に触れていた曖昧な感触がなくなっていることに気が付く。恐る恐る顔を上げると――。
「ふぉっフォルマ? えっと、アストラ様?」
仁王立ちになっている相変わらず麗しくって可憐なフォルマと、上半身裸で汗を滴らせて――床に東洋の正座とやらをしているアストラ様がいた。ちなみに、アストラ様のさらに奥では汗ひとつ流していないオクリース様が魔術衣を羽織って、こちらに近寄ってこられていた。
フォルマとアストラ様を視線往復して。
「はっ! すみません、私がなれていないだけで!」
大慌てで両手を振って、それでもアストラ様を直視できずに視線は大空に向けている。花の都は今日も快晴で、花びらが躍っている。
「ヴィッテにはその初々しいままでいて欲しいよぉー。わたしなんてど庶民なのに、イケメンとイケ筋肉に見慣れ過ぎて困ってるんだから」
「いや。いくら臨職とはいえ、私もちゃんと訓練するみなさんの肉体美には慣れてみせるよ!」
「男性も女性も、皆さん汗を掻いていらっしゃるのに放置しすぎですわ」
女三人であーだこーだ話しているところ、
「こほん。そろそろアストラを立たせてもよろしいですか?」
とオクリース様の咳払いが響いた。
はっと三人で顔を合わせて数秒、「もちろんです」と微笑んでいた。私だけが口元が引きつって歪な笑みだったと思うけれど。
***
「私、思ったんです」
アイスコーヒーを流し込んで、正面に据わっているアストラ様に声をかけた。
あの後、みんなで食堂に立ち寄りアフタヌーンティーを頂いているところだ。トルテは仕事に戻っている。
「うっうむ。あっ、訓練場を離れる際は、きちんと上着は身につけるようにはするぞ?」
アストラ様が襟付きシャツを引っ張った。半裸だったアストラ様はオクリース様に押し付けられたタオルとシャツを適切に処理された。
普段身につけていらっしゃる制服に比べたらかなり薄いので、端正な筋肉の存在は透けて見えるのだが。これ以上、入りたての人間が求めるのは失礼だろう。
「お気遣いありがとうございます。ですが、ご心配無用です! フォルマが動揺していないのに、私なんぞが照れたりするなんて烏滸がましい」
くぅぅっと拳を握ってしまう。
「慣れの問題ですわ」
「頑張って見慣れるよ! たくさん見るよ! 男性の上半身筋肉を! 芸術品だと思えば良いよね!」
「後半の言葉で安心しましたわ。それに、ここがオクリース兄様たちがいらっしゃる魔術騎士団で良かったです。これが騎士団だったら、ぱくりとされてしまっていたのではと」
頬をおさえて「おほほ」と微笑むフォルマ。紅茶に口をつけるオクリース様が、若干複雑そうな目元になった気がするぞ。
フォルマとオクリース様は遠縁らしい。こんな美少女が男子の汗かき半裸な環境に馴染んでしまっては心配にもなろう。
私は視線でオクリース様に同意を送っておいた。オクリース様には、なにやら残念視線を向けられたけど。
「それで、ヴィッテはアストラが衣服を身につけていないという点を問題にしたのではないでしょう?」
「ちょっ! やめろ、オクリース! その言い方だとオレが一糸まとわない変態みたいだろうが!」
真っ赤になって隣のオクリース様に掴みかかったアストラ様。すごいな。ここだけ切り取ると、つい最近の戦場で功績をあげた新進気鋭の魔術騎士団の司令官と参謀長なんて信じられるだろうか。特に、私みたいな移民には。
フォルマが焼いたというクッキーを頬ぼっていると、本人から「それで?」と問われた。
「こんな話、雇われてすぐの私が口にするのは憚れるのですが……」
「かまわん。むしろ、内側以外から見た意見はありがたい」
内側以外からの意見。
アストラ様の快活な言葉に、無責任にずきんと胸が痛んだ。何も間違ってはいない。私はまだ入りたての、しかも異国からきたばかりの人間だ。自分で言ったんだし。
アストラ様に拾われてからずっと、おかしいくらい親身になってくださることばっかりだから感覚がマヒしていたな。
「ほいよっ! こちら、シェフからの差し入れのシュークリームですよっと!」
自分に苦笑しかけたところで、トルテが魅惑のお菓子を持ってきてくれた。
シュークリーム! しかも、生クリームたっぷりバージョンのやつだ!
涎を垂らす勢いでトルテを見上げると、
「母さんがやってる菓子屋の試作品だから感想きかせてよ」
爽快にウィンクをされた。
「ほれほれ。食いしん坊が我慢しないの!」
「じゃっじゃあ。遠慮なく、食いしん坊特攻部員がいただきますよ?」
両手をほいほいと躍らせるトルテに促され、スイーツには不似合いな大きさのフォークをシュー生地に沈める。
すごい、さくっと沈む。これ、生地とクリームをどう堪能すべきか。迷った挙句、まずはシュー生地を頬ぼる。外側はさくっとして香ばしさがありつつ、クリーム側は良い感じにしっとり!
そして、肝心のクリームは。
「んんっー! 最高っ! シュー生地はさくっとからしっとりを味わえるし、このクリームの甘みが絶妙! 甘すぎず、かといって軽すぎず。それぞれでも満足だけど、一緒に口に含むと美味しさのコラボレーションが満開だよぉ!」
垂れてしまいそうな頬を押える。口内どころか、たぶん神経まで幸せだよ!
と、浸ったのも束の間。視線が集まっているのを感じて、咳ばらいをする。
「つまり。このシュークリームのように、カリッとしっとりの共演。つまりは、訓練している騎士様たちの筋肉、もとい絵姿をまとめて販売すれば、魔術騎士団の資金源になるのではと思った次第です」
「真面目な顔で思案して、そして緩み切った顔でいると思ったら、何を……」
割と真剣だったのに、オクリース様には絶対零度の視線を投げかけられてしまった。
三口目を頬ぼりすぎてモグモグしてしまうので、存分に咀嚼して呑み込んだ。その間にアストラ様たちも絶品シュークリームを堪能していたので、お待たせという障害はクリアできてよかった。
「話の腰を折ってしまったようなので、各々の具体的な感想は後ほどメモに書いて、あそこのボックスに投函しておいてくださいねー」
全員――ポーカーフェイスそうなオクリース様さえ、小さな花を飛ばしていた様子に満足したのか。トルテは小さなメモ用紙とペンを置いて、厨房へと戻っていった。
私といえば、速攻でメモに描きこみましたよ。




