僕はリベラティオ。ケレブルム公爵の次男坊だ。
アストラ様とオクリース様を見送る私の前に、騎士服を纏った凛々しい女性が現れた。
鮮やかな赤髪を編み込んだ妙齢の騎士様だ。すっと通った背筋は若者に劣らず、というかだれよりも美しい佇まいだと思った。見惚れてしまう存在だ。
「わたくしのことはフェレスとお呼びください」
彼女の佇まいと纏う空気から、再度名乗る必要があると思った。
「ヴィッテ=アルファ=アクイラエと申します。僭越ながら魔術騎士団の司令官付事務職を賜わっております」
足を引き、カーテシーの姿勢をとる。
正直なところ、半年間の経験上から厳しい視線を覚悟していたのだが――女性騎士は腰を折って挨拶をしてくださった。腹部の前にまわされた手は、腕の角度から指先まで完璧だ。それでいて、物腰は柔らかい。
「平素は公爵夫人の護衛を担当しておりますが、本日は庭園の案内役を務めさせていただきます」
「公爵夫人の……! そんな方が私の案内役など! 歩き回るのに差支えがあるようでしたら、えっと、その、扉前の階段でお待ちしております!」
すぐに頭と両手が吹っ飛びそうなくらい、振ってしまった。っていうか、散策とか上品な言い方をすれば良かった! 歩き回るって、徘徊かよっていう!
ここはスマートに受けるべきだったとか、表現が下手だったとか。どれから言い訳しようかと、金魚のごとく口をぱくぱくすることしかできない。
「この屋敷の庭園は、ほとんどが夫人の趣向で作られています。わたくしは長年お仕えしておりますゆえ、どの庭師よりも屋敷全体の花々に精通していると自負しておりますので、どうぞお任せください」
フェレスさんが、それこそ花弁が広がる瞬間さながらにふわりと微笑んだ。白い騎士服と紫の刺繍の効果もあるのか、まるでカトレアのようだと思った。
そして、どこかで……お会いしたような気が、する。
戸惑うやら呆けるやらの私に、フェレスさんは軽くウィンクをして体を捻った。体が向いている方には薔薇のアーチがある。ピンクと白の薔薇が咲き誇っていて愛らしい。
「この奥に花妖精が宿っている薔薇庭園があるのです。ちょうど咲きどころなのですが、お付き合いいただけますか?」
「ぜっぜひ! 花妖精さんが宿っているなら、それこそ見ごたえがありそうです!」
両手を握って、女性騎士に詰め寄っていた。もう反射的に。
そして、今の私は花妖精が見れないことになっていると改めて思い出した。
「みっ見えないので、見ごたえとは、妙な表現なのですが。もちろん、庭園は素晴らしいと思うのですけども!」
「何かの拍子に花妖精が見えたりするかもしれませんよ? 花祭りも近いことですし」
フェレスさんのお茶目な仕草に
「花祭りのご加護を受けられると良いのですか」
と笑みを零していた。
きっとアクアが現れる前の私なら『私ごときがご加護などと滅相もない』と答えていただろうなと思った。
それはもう――他人事のように。
***
アーチを抜けると、新緑が眩しかった。庭園を覆う緑。それに、咲き誇る色とりどりの薔薇。小さな泉に真っ白なベンチ。小人の置物が『見つけて!』と言わんばかりに置かれている。
まるで絵本に迷い込んだ風景だ。わぁっと声が上がるより先に、リスが飛び出てきた。リスはこちらを見上げて、ちちっと鳴いた後、我が物顔で木を駆けあがっていった。
「わたくしでよろしければ、うんちくなど」
「ぜひお願いします!」
フェレスさんに、咲き誇る花や置物の由来をひとつひとつ解説してもらいながら進む。
「フェレス様! こちらは手に取ってみても?」
目に留まったのは、テントウ虫柄のきのこを持った小人の手に握られた丸い包み。いつもなら、絶対にそんなことを口にしなかった。庭園に置かれた包みなんてオブジェだと思っただろう。何より初めて訪れた屋敷で勝手な行動なんて控えて当然だ。
なのに、口を突いて出ていた。それに、引っ込める気もおきなかった。
「もちろんです。ただし、『様』呼びを止めていただけたらですが」
「……努力します」
何度も言われているのだが、なかなか難しい。私の『さま呼び』スイッチが入ってしまったので。私は距離感が遠いか近いかの両極端なので、気を抜くとなぜかフェレス様にも馴れ馴れしくしてしまいそうなのだ。
口の中で繰り返し、
「フェレスさ、ん」
詰まりつつぎこちなく呼べば、フェレスさんは「懐かしさを感じます」と笑みを零した。
私に似た方でもいたのだろうか。フェレスさんの笑みが零す雰囲気と似ているものだから。
「あの。私、もしかしてというか、万が一でもない可能性の方が高いですが――」
あくまでも似た方について話を聞けたらと思って、そんあことを言いかけた。
俯いていた顔をあがたのと同時、庭園の奥で動物の鳴き声が空気を裂いた。
「失礼。奥の方が少し騒がしいようなので見て参ります。保護魔術がかかったエリアですので、ヴィッテ様はここから動かずにいてください」
さらに、薔薇園の奥の方から『ぴゅーっ』と笛の音が鳴り、フェレスさんは小走りで離れていった。よほどの事態なのだろうか。とはいえ、私が後を追って足手まといなりそうなので、大人しくしておこう。
フェレスさんの許可をいただいたので、遠慮なく包みを摘まむ。しゅるっと解けた紐。包みからコロリと出てきたのは――。
「わぁ。まるで夜の泉に移った月みたい」
小指の先ほどの綺麗な硝子玉。木漏れ日をうつして、薔薇の色を流す透明な玉は美しいの一言につきる。ひんやりとするのは日陰に隠されていたからだろうか。
しゃがんだ状態で見惚れる私の耳元で、
――おいしそー!――
――魔術でかくされてたからわかんなかったわい――
――あの子がこんな仕掛けするなんて、いつぶりくらいかしら。っていうか、この子ってさぁ――
鈴が転がるような会話が鳴った。きゃっきゃとはしゃぐ、子どもと――おじさんぽいだみ声。だみ声って、ちょっと。幻聴にしても夢が薄れるよ。すごく酒焼けしている声に咳がまじる。本格的すぎる。
幻聴、幻聴と言い聞かせた私をよそに。
――だれも気付いてねぇみたいだし、包みの宝石はくっちまおうぜ――
おじさん妖精がものすっごく口を開けたので、思わず後ろに尻餅を突いてしまったよ! めっちゃリアルな幻覚ですね⁉ おじさん妖精が着ているのって東洋のジンベエって夜着なんですけど! 異文化交流盛んなの⁉
「ちょっ! こわっ! でかっ!」
最終的に飛び出た言葉は、そんな叫びだった。この場にふさわしくなさすぎる!
私の驚きに、花妖精らしき三人もぎょろっと目を見開いた。
お互い目があって、どれくらい固まっていただろう。先に動いたのは花妖精だった。
――なんだ、あの時の霊付き子どもか。めっちゃでかくなってね?――
鼻先を飛び越えた花妖精に、ものすごい勢いで頭頂部を叩かれているんですけども。綿毛でぽむぽむされている程度の感触だ。
放心どころか全身鳥肌の私の膝に降りてきたのは、綿あめさながらの緑髪ふわっふわのオシャレ妖精だ。
――だからさぁ。あんたはどれだけ言えば理解するの? うちらと人間だと、流れる時間の感覚ってやつが違うっての――
――つか、めっちゃ驚いてるんですけど。もしかして、あの後、ぼくらの姿が見えてたって記憶も消えてるんじゃねぇー?――
チャラ男風な金髪垂れ目な花妖精まで現れた。
目が合うと、金髪花妖精が「よっ! ひさしいな、嬢ちゃん」なんて気軽に手を翳した。
「なななっ、ええぇぇー⁉ ちょっ、まって、なんで、花妖精がっ!」
あからさまに挨拶をされて驚いたのなんのって。思わず硝子玉を放りあげていた。
とたん、しーんと静寂が戻る。
「やっぱり――幻覚だったのかな?」
あたりを見渡しても先ほどまでの賑やかさは影もない。どんなに瞼を擦っても、掌よりさらに小さい妖精たちは見当たらない。耳を澄ましても、風の音だけが心地よく流れている。
いや。もしかしたら、あの硝子玉が特殊な魔術道具である可能性が高い。花妖精を可視できる能力はギフテッドだが、評価は割と低い。花妖精自体が平和主義で気ままだからだ。
「もしかして、アストラ様からの例の記念日お祝いだろうか。花妖精が見えるようになる」
――だから、違うって! これだから。人間ってのは短い期間で忘れるから厄介じゃ――
地面に転がる硝子玉を摘まんだ瞬間、また花妖精の渋い声が響いた。だみ声のくせして、通常運転のときは渋くてかっこいい。
――もともと先祖返りでヴィッテ嬢ちゃんに備わっている能力なんだから、それは『封印』を一部だけ解術するものよね。人間が、潜在能力がらみ以外でボクたちを見えるってなアイテムを作れるはずねぇって――
「じゃあ。あの夢の――昔の記憶が本物だったってこと?」
心臓が胸を突き破って出てきそうだ。激しすぎる鼓動で吐き気がする。耳鳴りが煩い。自分の呼吸が熱いのがわかる。
喉がひゅっと鳴って、大きくむせてしまう。
――おいおい、落ち着けって――
――落ち着くのは、うちらも同じだよ。このフィオーレだって、うちらを可視できる人間は随分と減ったもの。ヴィッテ嬢ちゃんが戻ってきてくれたのが嬉しいのは、みんなもでしょ?――
心臓が止まった。確かに、止まったと思う。血の気が引いて、酸欠で指先が震える。
「私を、知っている、の?」
乱れる呼吸の中、絞り出した今更な疑問。
花妖精はきょとんと目を瞬かせて、呆れたように肩を竦めた。
――当たり前だろ? ボクはヴィッテにとりあげて貰たんだし。悪戯少年ズも立ち会ったな。あの後、フォルマがなんで呼ばなかったんだって号泣して大変だったの覚えてるわ――
生まれた数日後の出来事を覚えてるって、花妖精って自我が目覚めるの早いよね⁉
我ながら的外れな突っ込みどころに、頭を抱える。
――ただ、フェレス経由で美味い菓子をもってきてくれるようになったのは最近になってからだったっけ。あれ、ヴィッテがつくったやつだろ? オレはわかる。ヴィッテの魔力が練り込んであったもんなぁ――
――シレオは王様になってから、意図的に公爵邸から離れているもんねぇ――
――あの子は忙しいんだよ。少し前に来た時にかなりやつれていたっていうか、ヴィッテはあの時の前に、ちゃんとフォルマと仲直りしたのかい?――
ちょっと、ちょっと待ってほしい。情報過多で混乱だ。
眩暈だけが感覚としてある。戻しそうになったのを必死に堪える。口元を押えて空を仰ぐ。
土についた反対の掌は随分とひんやりとしていた。
妖精やエルフは人間と生きる時間軸が異なるらしい。けれど、これまでにいたる会話は時差より遥かに深刻な問題を提議している。
私は幼い頃に公爵邸を訪れていた。それに加えて、アストラ様やオクリース様、それにシレオ様。この三名だけではなく、フォルマとも出会っていたってこと?
それならば、どうしてだれも覚えていないのか。
――おい、ヴィッテ。大丈夫か?――
――ちょっと待て。あいつがくる。わしらがフィオーレ土着の花妖精である限り、あやつの影響はうけずにはおられん――
アクアの気配を感じた直後、花妖精たちはいっせいに姿を消してしまった。っていうか、花妖精にも土着という概念があるのか。
ふっと、頭痛が軽くなった。それでも若干の眩暈を感じて蹲っていると、
「大丈夫かな?」
目の前に手を差し伸べられた。眩暈が軽くなったのか、ハイになったのか。どちらかは不明な――魔術の影響を感じた。
背中からフェレスさんが「ヴィッテ嬢!」と息荒く呼んでくれている。振り返って、平気ですの意味を込めて手を振る。
その手をとられた。大きくて、ごつっとした手が包み込んでくれる。
「僕はリベラティオ。ケレブルム公爵の次男坊だ。親しみを込めてリオと呼んでくれ」
全身の毛が逆立った猫みたいになった私は悪くないと思いたい。
公爵家の次男が初対面の一般人に行き成り愛称呼びを求めるなんて、まともじゃない……!
私の反応も含めて楽しんでいるようで、
「両親の言いつけを破って会いに来たかいがあったね」
と微笑んだ。




