まるで魔力酔いをしているように、自分でも何を口走っているのか。
「アストラ様」
「なっ! なんだ⁉」
ひっくり返ったアストラ様の声が、懐かしいと思えたのはなぜだろう。頭の隅では思い出したいと思うのに、どこかの私が拒絶する。知らない、ただ知らないと否定するように叫んでいる気がした。
深い呼吸が浅くなる。でも、嫌じゃない。
「気がまぎれると思うので、何か話してください」
「はっ話かっ! どうしたものか! ヴィッテは、何が聞きたいか?」
「アストラ様のお声で聴けるなら、なんでも」
具合が悪いのを言い訳に、アストラ様に一呼吸分近づく。彼の香りが深まった気がした。太陽の香りと、ほんの少しの汗の匂い。昔はよく知って、今は許されない匂いだと思った。
「はっ! あっアストラ様とオクリース様のお師匠様的な方のお話、聞きたいです!」
今、私はなにを口にしたのか! 声色とかなんかやばかった!
ぱっと全部から離れ、「あっあはは!」と笑う。窓際に背をぶつけ、いつもより濃い化粧の頬をかく。指が動くたび、チークがはがれる気がした。
「うっうむ。ヴィッテから強請られるなど、そうそうないから承知した」
また、この人は。内心でべちっと相手の頭をはたく。が、今は感謝しよう。居たたまれない雰囲気にならずに良かった。
「ケレブルム公爵閣下――先生は、オクリースの父上の前の宰相だった。それだけではない。魔術騎士団の最たる理解者であり、後見人だ。俺やシレオ、オクリースが通っていた学院の学長でもあった」
アストラ様は馬車のふかふかの座席に座りなおす。
壁に背をつけていた私もならって、きちんと背を正して彼の隣に並ぶ。それだけなのに、アストラ様はすごく嬉しそうに笑うものだから。私はいたたまれなくなって、ちょこっと壁側にお尻を動かした。「寄りかかっていろ」と肩ごと寄せられたけど。……ずるい。
「厳しさがあり、それ以上に真っすぐに本質をみてくださるお方だよ。君のように」
そっと手に乗せられた温度に、全身の血がわく。熱い。体中が熱い。前とは違う。暖かいだけじゃない。
私は――。
考えた直後、すっと血の気が引いていった。この私の想いは、いくつもの約束を破るものだ。なぜか、そう思った。
――ヴィッテは人を『そういう意味』で好きにならない――
アクアの言葉が頭の中で反芻された。
幼いころからずっと抱いてきた違和感の正体を見つけた気がした。フィオーレにきて、この道を通った瞬間、それを理解した。アストラ様を前にして。
自分が自分を嫌いだった訳のひとつ。
自分がこんなにも自分を嫌いなら、人に好かれるはずなんてあり得ない。
だれかに否定されている感覚よりもずっと前からあった考え。
だから、私はこのままでいるべきなのだ。変わっても、ここが限界だ。私は、ここを超えてはだめなんだ。これ以上は。
自分が愛されて、愛して良い存在だと勘違いしてしまうから。
勘違い? 勘違いとは、なにか。だって私は確かに両親や家人に愛してもらってきた。
そう、あのサスラ姉様にさえ。いや。サスラ姉様が理由なのだろうか。
――ヴィッテは……恋をしてはいけない。それが私との最初の約束だから。私が彼の生まれ変わりと結ばれるために、貴女は犠牲になってくれると誓ってくれたじゃない――
妙にしっくりときた。全部が。すとんと、心に落ちてきた。妙に納得できた。アクアが、
――あぁ、違う、違うの。押し付けたいわけじゃない。それでも、私は制約に従って全部が動く。動いてしまう。犠牲なんてダメなのに、あぁ、私は!――
叫んで、「だから、ごめんなさい」と謝ったのが聞こえた。
聞こえて、なぜか心が軽くなった。理由がわかったから。私は謝ったその人のために恋をしないと決めたんだと思い出した。あの夢は、正しかったのだ。この世に生まれる前に取り交わした約束は本物だったのだ。
「当たり前です。アストラ様はそれだけの想いを抱かせる人です。私も、アストラ様に救われた一人ですから」
馬車内に漂ったのは、曖昧な静けさ。私らしくなく、きっぱりとしすぎた口調だっただろうか。
どうしようか迷って、アストラ様に向き直った。あまりに真剣な表情をしていたからだろう。アストラ様も、姿勢を正された。
「私、アストラ様がとてもとっても大切です。これだけは、何があっても変わりません。すごく大事なんです」
まっすぐに紫色の瞳を見上げる。きらきら、あったかくて深い瞳を。その目に自分が写っているのを自覚して、どうしようもなく嬉しかった。
なのに、目の前に零れ落ちた感情は私なんかには、指の先ほども触れられないものだった。
「うん、ありがとうヴィッテ。ありがとう」
アストラ様は泣きそうに笑った。だから、私は自分の感情が漏れてしまったと思った。アストラ様に線引きされてしまったと焦ってしまう。
「あっあの、他意はございません! けっして! 魔術騎士団に繋がる全員が大好きですと、伝えたくて! オクリース様が好きで、フォルマが大好きで! そういった部類で!」
咄嗟に言い訳をしてしまった。
「えぇっと! 花妖精に憧れる気持ち――よりは身近で、それでいて、ほっとしつつ、懐かしさもあり、尊敬が溢れて!」
右往左往して暴れている自覚はある。もはや死にかけ寸前で悶えている虫レベル。羽音さえ鳴りそうだ。目が廻る私の頬を撫でるアストラ様。ちょっとかさついた指先がアストラ様らしいと思って、体中が発火した。
「ヴィッテが話すたび、魔術の薫りが濃くなっているぞ」
「ほわっ! 汗くさくなっているのでしょうかっ!」
混乱が極めて、夢と現実が混合される。
「咄嗟に言い訳をしてしまったのですけども! お日様、向日葵のお兄ちゃんと重なってしまったのです!」
そして――アストラ様が見せたのは、陽の感情からかけ離れていた。だからと言って、拒否でもない、まるで迷子の感情。
「そうか。そうだな」
「アストラ様?」
私は、それ以上は踏み込めなかった。敵意でもなく、好意でもなく。中立でもない感情を、私は初めて見た気がした。本人さえ、戸惑っている色。
「それを望んでいるのは他ならぬ俺だから、当然なのだろう。俺はいつまでも、あの頃から変われずに……いや、あの頃に戻りたいのだろう」
独り言のように零すアストラ様。
馬車に酔っているのはアストラ様の方だと思える調子で、掌に顔を沈めた。とても気怠そうだ。
「アストラ、様? 馬車の揺れがお疲れにたたりましたか?」
「悪い、体調は平気だ。しかし、まるで魔力酔いをしているように、自分でも何を口走っているのか」
こんなにも迷子な想いがこの世にあるんだと、初めて知れて悲しかった。
自分の想いより、アストラ様からそんな曖昧な感情がにじみ出たことが。そんな感情を抱かせているのが自分だと思うと、どうしようもなく嫌だった。
アストラ様の奥に見えた、シレオ様に似た方が涙を零す。
――君がいなければ。君さえいなければ、みんなが幸せになれたのに。なれたのに。xxx以外は――
その声に、私は心の中でごめんなさいと繰り返す。掠れた部分もあったが、彼が言葉にしたのは大多数以外の個人なのはわかった。
ぽんとアストラ様の手を指で弾いたのは無意識だった。自分でも感じられるくらい、場車内に立ち込めていた黒いものが払拭されたのがわかった。
「すまない。これは――少し掴めたかもしれぬ」
アストラ様がすっきりとした様子で顎を撫でたのと反対、正面にいるアクアが喉をひゅっと鳴らして悶えている。涙目でアストラ様を睨んでいる。不思議と慰めようとは思えなかった。どうしてか、アクアが悪いと思ってしまったのだ。
それでも、やっぱり自然と手が伸びていた。
「ヴィッテ?」
アストラ様からしたら、ただクッションを軽く叩いているだけの仕草。
「クッションをつぶしてしまったので、整えようと思いまして」
アクアはほろりと笑って、消えた。私が『今は消えていて』と願ったからだろう。
「そのクッションはヴィッテを支えるためにあるのだ。思う存分、つぶしてやると良いぞ」
「実は、クッションは抱える派なんです」
実際に極上肌触りのふかふかもふもふクッションを抱えると、アストラ様は数秒ほど私を凝視して「ははっ!」と声をあげて笑った。
なっなにかおかしな発言だっただろうか⁉
「すまぬ。昔話を思い出してな。あれは――姪っ子以外だった記憶はあるのだが、はっきりとだれだかは浮かばないのはなぜだろうな?」
アストラ様は謝っている割に、意地悪な笑みを向けてくる。
これは『お疲れなのです』というフォロー待ち? それとも『お年ですか』というからかいを誘導されているのだろうか。
後者は、アストラ様と同い年なオクリース様からおっしゃっていただく方がしっくりきてしまうのは、なぜだろう。
「ヴィッテに根掘り葉掘り聞いて欲しいところだが、ちょうど良いところに着いてしまったようだな」
カーテンを手の甲で押し上げたアストラ様。視線で促されて窓に張り付く。いや、促されたのは外を見ることだけなのだが――これはっ!
「うっ噂には伺っていました。それにしたって、広すぎませんか⁉」
硝子窓の向こう側には、でででーんなんて効果音が似合いそうな光景が広がっていた。城を基調とした左右対称の建物が美しいのはもちろん、それが若干小さく見えてしまうほど、広大な屋敷面積なのがわかるよ!
まさか宮殿のある首都に、こんな場所があるなんて。
「先生の屋敷は庭園が見事なのだ。公爵夫人自らが手を入れている区画もあるのだよ? ヴィッテはそちらを案内してもらうと良い」
アストラ様が、顎が外れんばかりの顔で固まっている私の頭を軽く撫でてきた。
これは公爵閣下とはアストラ様とオクリース様のみで面会されるという意味か。でも、確か手紙では私を見たいとあったような。アストラ様を見上げる。
やけにご機嫌なアストラ様が、
「特に薔薇園は人懐こい花妖精が多いのだ。門からも近いから、まず行ってみるといい」
悪戯少年さながらに笑った。
アストラ様に花妖精が可視できるようになったのは話していない。なんだか隠し事をしているのを指摘されたようで、むずっとしてしまう。別に隠しているつもりはないが、話すタイミングを逃しているというか。
「お庭は花の都フィオーレでも随一と聞いています。拝見するのが楽しみです!」
ぐっと両手を握ったのと同時、馬車が停止した。




