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行動の目的がひとつとは限らないでしょ

「っ――! あっー! でもですね!」


 最初の声はアストラ様があまりに強く腕を掴んできたからあがってしまった。なので、痛み寄りの声を誤魔化したくて、わざと大きな声を響かせた。


――ヴィッテに気安く触れないで欲しいわ――


 アクアが魔術を混ぜたのだろう。わずかにキンッと嫌な音がまじった。

 そのおかげか、若干眉を下げて体を離したアストラ様。なのに、逆に気遣うような触れ方で腕を撫でないでください! と、変な声があがりそうになりましたよ! ぶんんっ! って!


「えーと、そう。イメージで言うなら、アストラ様は騎士団、オクリース様は魔術師団、シレオ様は近衛という印象ですね!」


 なんとか気を取り直してソファーに腰を戻す。


「うーん、正統派な回答だなぁ。もう一声!」


 青果店での値切り交渉かな?

 空いたグラスに琥珀色のお酒が落ちる。机に置かれたままのグラスに焦って手を添えると、なぜかロックとはかけ離れた量を注がれた。なんと。これを飲み干せと。

 飲めるとは思うのだけど、それをこの場で出来るのか。つまりは泥酔せずにいられるか非常に怪しいところだ。

 そんなことを考えているうちに、アストラ様が自分のグラスに三分の二をうつしてくださった。


「あっアストラ様?」

「明日、あまり使い物にならなくともお手柔らかに頼むな」


 にかっと笑ってくださったアストラ様。その笑みが、いつものお日様の笑みより、どこかじりっと焦げた感じで。痛いくらいに心臓が跳ねた。

 ななっなんだろう、これ! ぎゅうって、気持ち悪く心臓が縮んだ。私、病気なのだろうか。心拍数もおかしい。これが――不整脈ってやつ! いや、脈どころの話かっ。心不全の前兆か⁉


「ヴィッテ?」


 皆さんに一斉に呼びかけられて、冷静になれた。

 咳払いをひとつ零して居住まいを正す。そして、渾身の決め顔だ。


「そうですね。オクリース様は父君から宰相の道を勧められていたとおっしゃっていましたっけ。でも『アストラのお世話で手がいっぱいです』とかまつりごとに関わるのは拒みそうです」


 追加のどや顔盛りをしてみる。が、数秒の沈黙が続く……!

 やってしまったかっ! 会心の出来だと思ったのに! それともアストラ様を呼び捨てにしたのが良くなかっただろうか。

 血の気が引いた瞬間、アクティさんがお腹を抱えて弾けたように笑いだした。ありがとうございます!


「やばっ! あんた、急にぶっこんでくるところあるよね! まじでさ! なぁ、アストラ」

「ふむ。さすがヴィッテだな。観察力がなせる技だ。それに……良いものだ。呼び捨てというのも」


 最後の方は良く聞こえなかったけど、というか聞こえなかったことにしよう。自分が恥ずかしい。

 そして、アストラ様が自分を指さしながら、ものすっごい期待の眼差しを向けてくる。これをスルー出来るほど、メンタルが強くない自分が恨めしい。

 下手くそ物まねの恥よりも、アストラ様のがっかりする様子を見たくないなんて、私、よっぽどだ。


「アストラ様なら『オクリースが望むなら俺はその道を否定はしないぞ! 大体、オクリースは腹黒さが全面に出過ぎているから、政に携わる前に宰相殿の庇護が及ばぬところで揉まれた方が良いと思う!』とおっしゃって、結局は自分の行く道に巻き込むのだろうなと予想します」


 調子に乗ってポーズまで妄想しすぎた。腕を組んで、ふんと得意げに笑ってしまった。


「すごいな、ヴィッテ! さすが俺の秘書兼可愛いヴィッテだ! 記憶にあるままの台詞再現だぞ! 俺は無性に嬉しくなってしまったっ!」


 アストラ様がお星さまを散らす勢いで目を輝かせた。ついでに、隣に座っいらっしゃるので距離がとてつもなく近くなっている!

 手を握らないで欲しい。とられた手には可愛らしくもない、蒸留酒のロックグラスがあるのだから。

 そもそも、相変わらず誤解を招く表現をするものだから、かっと体温があがってしまう。


「そっその兼任表現は不適切かとっ!」


 大きな手が容赦なく包んでくるのに加えて、彼の悪気のない表現に心音が激しくなる。

 駄目だ。当然の反応として赤くなっても良いけど、嬉しいなんて感じているのは悟られちゃいけない。私はずっと、上司の過剰な愛情表現に戸惑う部下でいるべきだから。それが大好きな人たちと一緒にいられる条件だと、思うから。


「俺は本当のことだけ口にしている。不適切なんてあるもんか」

「アストラ様は真正の人たらしです」


 だから、それが心臓に悪いのですってばとは言えずに、居たたまれなくって背が丸まっていく。

 この方はきっと感情と言葉が直結しているのだ。厄介なのは、それが極身近な人間に限られているところだろう。私もその中にいるのを知ってしまっているから、やるせない。

 私の中でくすぶっている想いは彼の信頼を裏切るものに他ならないのだ。


「そもそも、今のお二人から容易に想像がつきます。たった半年ほどとはいえ、業務でも私生活(プライベート)でも、お近くに置いていただいていますので」


 少しばかりぶっきらぼうな言い方になってしまった自覚はあった。

 アストラ様とオクリース様は、なんというか、ぼけらとしている。珍しく。

 どっどうしたらと動揺していると、アクティさんが勢いよくコルクを抜いた。すぽんっなんて小気味よくなった音。零れる泡はテンプスさんのグラスに注がれていく。

 

「半年くらいとはいえ、ようはヴィッテは毎日ふたりのことを中心に考えて過ごしてきたってことさね」

「もちろんです。仕事中はどうしたらおふたりが負担が減るかなと考えていますし、うちで食事会をする時はおふたりの好物をどうやってアレンジしておだしするか悩んでおります。あっ、でも

でも! 負担なんてことは絶対あり得ませんから。それが私の生きがいになっているので!」


 身を乗り出して胸を叩く。

 そして、熱弁しすぎたと反省するのにそう時間はかからなかった。口元を覆って固まるおふたりを前にして大混乱だ。テンプスさんの目尻などは地面に滴り落ちてしまいそうである。


「あのっ! 話を戻しますとですね。えーと。当時のアストラ様たちっていう話で」


 アクティさん助けてくださいと視線を向けるが、にやにやと音を立ててグラスを煽るだけ。

 うわぁぁ。これは部屋を飛び出すべきか⁉ と頭を抱えた数秒後、テンプスさんに「わかるぅー」なんてやたら可愛い系女子っぽい同意を得られた。


「というか、当時の賭けもそんな感じだったよねー。アストラ君も懐内の人には強引だし、オクリース君ってば苦労人体質なんだからぁー。まぁそこを見抜いていたのは、当時も数えるほどだったけどねぇ」


 テンプスさん、ありがとうございます。賭けっていうのはまったく可愛くないけども、助かった。

 

「強引ってのはわたしも同意するねぇ。あんたはもうちょい人目を気にしな」


 アクティさんの言葉は思ったより重い音で落とされた。浮かべている笑みはいつも通り飄々とした色だったけれど、眼差しは割と真剣さを帯びている。

 溜息を吐いたのは当のアストラ様ではなく、オクリース様だった。彼がこんな調子で息を吐く時は、その言葉の裏にある意図を察してしまっている時だ。近しい相手に限られるけど。


「そうか? 気を付けるが、俺だってある程度は絞っているんだぞ?」

「それって僕もある程度は信用されているってことかなぁー」

「テンプス殿は、今後の動向次第で対応が変わる可能性もありますね」


 テンプスさんの陽気な問いに応えたのは、オクリース様だった。


「それじゃ、まぁ。信用を得るために、締める前に真面目な話でもしようか?」


 テンプスさんが運ばれてきたデザートを前にして、そう笑った。


***


 テンプスさんは本気だったようだ。チョコレートケーキを食べながらだが、ひとしきり警備対策のアドバイスをいただけた。アストラ様もオクリース様もかなりお酒が入っているように見受けられたのだが、テーブルに広げられた地図に向けるまなざしも発言もかなり真摯だった。

 かくいう私も緊張から飲酒量にしては酔っている自覚はない。まぁ自覚がないだけかもしれないので、極力口は挟まないようにしている。


「これで一通りの話はできたかなぁ。こーいうお酒の場じゃないと色々睨まれて大変だもんねぇ。今日はちょうど良い機会だったよ」


 とは、テンプスさんである。もしかしなくても、図書館で会ったのはこれを狙ってのことだったろう。私の部屋にアストラ様たちがいらっしゃっている時でも良かったのだろうけど、ここ最近は花祭りの準備が忙しくて食事会は延期になっていたもんな。

 ちなみに、不満げに腕を組んで部屋を漂っているアクアをちら見すると、


――ヴィッテは純粋すぎるわよ。行動の目的がひとつとは限らないでしょ。こいつが胡散臭い術を発動したいたのは事実なのよ?――


お説教を喰らってしまった。口調の柔らかさに反して、かなり鋭い目元に思わず腰を折ってしまった。

 アストラ様には「腹が痛むのか」と心配されてしまったが。足元にごみを落としてしまったので言い訳をしておく。


「魔術騎士団としても、魔術師団には日頃から協力いただき助かっている」

「うちも癖が強いのが多いからねぇ。特に副団長はオクリース君にウザ絡みしてるでしょ? 魔力っていうか体目的っていうか」


 テンプスさんの表現にひやっとお尻が跳ねた。

 私の向かい側にいるアクティさんは、くつくつと喉を震わせる。


「テンプス。あんた言い方がねぇ」

「えぇー僕ってば嘘は言ってないよぉ?」


 というのも、トルテ経由の情報で副団長が同性というか、男女両方いけると噂されているからだ。

 私はどちらでも相手間のことなので気にしないつもりだったのだけど、テンプスさんのまるでそこを強調するような表現に動揺してしまった。


「私は魔術師よりなので、研究熱心な魔術師団のみなさんにはお世話になっています。貴重な情報を惜しみなく提供してくださっているので、私も自分が出来る範囲でお返しをしたいと思っています」


 オクリース様が頭を下げた。それは、いつもの胡散臭さなどなく、本心からの感謝だとわかった。

 私も思わずグラスを置き、オクリース様にならった。


「おじさん、困るんだよねぇ。そーいう誠実な対応って」


 テンプスさんが「そーいえばさぁ」と少し唇を尖らせた。建設的な話題をしめて、大人の愚痴タイムというところかな。

 テンプスさんは日ごろから軽く不満を口にする方なので、特に身構えずに「はい」と頷く。


「五年前の僕たちが主担当の時はさぁー、騎士団の協力をほとんど得られなかったんだよね」

「当時は団ごとではなく、魔術師団と騎士団が毎年交互に警備の割合を八割と二割などというように担っていたと聞いています」

「表面上はねー。まぁオクリース君も承知のうえで言ってるんだろうけど」


 正直言って騎士団の評判は極端だ。

 フィオーレは魔術大国ゆえの贔屓(ひいき)からというよりも、団の品性というか、人間性というか。老若男女、もっと言えば女性たちでは偏りが著しい。私やトルテなどは苦手な方に入る。


 確かにハイブリッドな魔術騎士団が王直下の組織として新設されたのは、騎士団と魔術師団の両方にとって脅威だっただろう。ただ、十分な人材が教育されておらず、むしろ専門性が高い分野と総合的分野との共生が目的だ。

 魔術師団は研究肌の人間が多く、自分たちの研究予算が約束されるのならば面倒な表立った活動の負担が減るのは大歓迎という姿勢らしい。ここ最近は生活魔術の研究も多いようで、幅広い魔術から古代魔術まで、実践やら研究やらが忙しいとはテンプスさん意見だ。ある程度の地位が約束されているがゆえに、というのもあるようだ。

 一方で騎士団だが……近年は騎士道から外れている言動が多い傾向にある。それでも戦争では最前線に立つという強みを盾に、本国でも一部地域では我が物顔をしているのは有名だ。


 それでも、騎士団自体を解体出来ないのは諸事情がある。前王弟の子どもたちが騎士団の要職に坐しているのに加えて、やはり実務の問題もあるのだろう。


「魔術騎士団の方って結界魔術や遠視魔術での警備は得意そうですけど、スリや小競り合いの対応は難しそうですね。なんというか――」


 思考の続きで口に出てしまっていた。途中で気が付いて、言い淀んでしまった。

 いつもはフォローを入れてくれそうなのに、皆がじっと私を見つめている。ので、申し訳なさ全開で口を開くしかなかった。


「魔術を発動するにも体力が必要なのを承知だという前提で言わせてください」


 そうなのだ。魔術師ってインドアな印象が強い。けれど、魔術を使役するのってかなり体力と精神力が必要なのだ。今、自分が習っているからこそ実感している。集中力はもちろんのこと、魔術という大きなエネルギーを支える体力があってこそ発動できるのだ。

 であっても、体術だとは反応速度だとか。騎士として使う部分とは違う。


「やっぱり、魔術発動の瞬発力と相手を捕らえるための判断って違うのかなって。あと、人ごみの中で攻撃魔術をぶっ放すわけにもいかず、という意味で」

「そうなんだよー。人ごみで対象の後頭部だけに水鉄砲なんかを放つ技量があるなんて、団の中でも上位魔術師だけなんだよぉ。魔術師が警備で実力発揮できる範囲なんて決まっているから、輪番制にしたこと自体が不満なんだけどね」


 ここにいる方はあえて口にしないけど、それも騎士団からの主張らしい。

 魔術大国フィオーレなので、もちろん魔術師団にも有力な王侯貴族出身の方はいる。テンプスさん曰く『気質的な問題』らしい。


「だから、数年前からは『みんなでつくる花祭り!』的なテーマを掲げて、商店やら地区自衛隊に居力してもらったんだよ。最初はやっぱり異例ってことで大変だったのは懐かしいなぁ」

「オレもあの年の祭りは印象深かったな。王都全体に、祭り当日だけではなく前後の余韻すら漂っていた記憶がある。国境線に行く直前に姪っ子とまわったな。あの子はものすごく喜んでくれた」


 アストラ様の顔がぱぁっと輝いた。その表情だけで、私も当時を垣間見えた気がした。わずかに陰ったのは、病死した姪っ子さんの最後の言葉があるからだろう。

 アストラ様にとって姪っ子さんは可愛くてしょうがない存在であると同時に、トラウマを残した子でもある。臨職なってしばらくしてからオクリース様から聞かされた。


 生に絶望した姪と生に執着した私。


 姪っ子さんが亡くなったのは、アストラ様が戦争の最前線から戻った直後。病気に絶望した姪っ子さんに、戦争で人の在り方に絶望したアストラ様。お互いが思いやる余裕なんてあるはずがない。悲しいすれ違いだったのだ。

 アストラ様は知らないと思う。私が、その事実を教えて貰っていると。

 この休みの前に呼び出され、オクリース様からは遠回しに言われた。アストラ様が私に執着するのは、その差があったからだと。オクリース様はしきりに謝った。私は逆に申し訳ないと頭を下げた。亡くした大事な人の面影に縋った形になったのは自分だと。

 なのに、今更だ。今更になって亡くした人を偲ぶために重ねられるのが苦しいなんて、自分勝手すぎる。私はどうあっても縋った側なのだから。


 アクア、ごめんね。私はきっと全然、ちゃんとわかってなかった。生まれる前からずっと。貴女との約束の意味を、噛み締めることもせずに上っ面で返事をしてしまった。それでも、ちゃんと約束は守るよ。


 アクアからの返答はない。それでも、彼女が泣きそうなのはわかった。影に隠れているのに、背中を見るだけでわかった。

 私は努めて笑顔で顔をあげた。


「それは素敵なアイデアですね! 細かい部分にまで目が届きそうです。アストラ様、オクリース様! 私たちもそれを取り入れるのはいかがでしょうか! もちろん交渉には私が歩き回ります! 絶対成功させましょう!」


 両腕をあげる。アストラ様たちは「そうだな」と頷いてくださった。笑顔で。

 私は、とても幸せだと思った。この部屋に満ちる空気が。


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